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清水潔『殺人犯はそこにいる 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』

清水潔『殺人犯はそこにいる 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』(2013)


力強いノンフィクションであり、執念のルポでもあり、告発本とも言える。
決して流麗ではない、著者の取材スタイルさながら無骨な文章ながら、ぐいぐい読ませる。各章ごとに「引き」を作るのも職業柄なのか。


1979年から1996年に渡って、栃木県足利市と群馬県太田市という隣接する限られた地域で、共通点の多い誘拐殺人事件が起きていた。
被害者は5件とも4~8歳の幼女であり、犯行手口も酷似している。
これは同一犯による連続犯罪ではないか?
著者はこの仮説を立て、徹底した調査を開始する。

結論は本のそでにある紹介文の通り、事件は未解決つまり犯人は未だに捕まっていない。
丹念な取材によって、ほぼ特定されている人物がいるのにも関わらず。

なぜ捜査は暗礁に乗り上げているのか、行き詰まっているのか?
こんがらがっている事態をほどいていくと、警察と検察にとって都合の悪い事実が白日の下に晒されることになる。
事件解決より、組織防衛・保身が先に来る本末転倒ぶり。身内の論理が何よりも優先される、どうにも救い難い状況。
そんな組織は信頼できないと思ったし、素朴に怖いと感じた。


構図をややこしくしているのは、「足利事件」と呼ばれる冤罪だ。
報道番組に触れているとよく耳にする事例だが、詳しく内実を知ったのも本書から。
この5件の連続犯罪において、うち少なくとも1つは別の人物が逮捕されていた。
しかし、のちに無罪が明らかになる。
それも著者による取材のおかげで冤罪が明らかになったと言える。
全く関係のない無実の人を犯人に仕立て上げ、一件落着としていた。つまりは捏造であり、でっち上げだったわけだ。
この人を取り除くことで、初めて同一犯による連続犯罪と捉えることができるようになった。

ここでの自白強要の拷問、刑務所内で受けた暴行も酷い。

そもそも、証拠とされたDNA「型」鑑定があそこまで不確かなものだとは。
精度の低さもさることながら、運用の杜撰さも極まり目も当てられない。
要するに最初から犯人は決めつけられており、その筋書きに沿うような証拠しか採用されないのだ。客観的な事実は捨てられ、主観的な思い込みで「解決」する。
自分も運悪く捜査側にとって都合の良い人物としてその場にいたとしたら、ほぼ間違いなく犯人にされただろう。


最大の問題は、DNA「型」鑑定を決定的な証拠に有罪が確定され、死刑が執行されている事例があることだ。
もし、当時の鑑定が実は不確実なもので、「足利事件」と同じく冤罪だったとしたら?
疑われている人物はすでに処刑されている。
取り返しはつかない。

すぐに私の頭をよぎったのは、まさにこのことを主題にした映画『白い牛のバラッド』だった。鑑賞後の感想メモを貼っておく。


ちゃんと向き合っている記者の方が、捜査当局より真実に迫っているとは、どういうことなのだろうか?
時間は経っていても現場に赴き、目撃者の証言を改めて取り、元担当官たちにも直接話を聴き、過去のニュース映像や捜査記録も紐解き、遺族にも会い耳を傾ける。

報道とは、本来どうあるべきか?にも触れられている。
上から漏れてきた情報を鵜呑みにして流すことは、ただの広報になってやしないか。そうすることで、結果として何に加担しているのか。
自分の足を使って、目で見て耳で聞いたことから報じているか?


真犯人は今日も我々と同じく、普通の日常を送っている。どこかで。
公権力の事情が折り重なってできた妙な隙間で、ほくそ笑んでいるのではないか。
これがフィクションではなく、現実か。



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