徒然なるまま日記:2024/02/09

報道番組に疲弊してきた。

ラジオは音楽番組、それも洋楽をかけるものしか聴いていなかった。
東日本大震災の後、人に教えてもらって「Session」というラジオ報道番組を聴くようになった。
そこから10年以上は経っている。
今日まで、他の気骨ある番組も含めて毎日触れることが習慣になっているが、このところ意欲が減退してきているのを自覚する。
何が起きているのかを知ることが人として社会で生きることに直結するわけだし、これからも最低限の情報は取っていくだろう。

報道は伝えてくれる。
ときには、提案までしてくることも。

それで、その先は?
具体的な行動は誰が起こすのか。
紛れもなく自分なのだろう。一人一人、皆んながという意味で。

報道を浴び続けるだけではなく、誰も見ていない中での地味な行動を一つできるか。
後者にもう少し重心をずらすべき時期なのかもしれない。

あるいは、特にここ数年の先鋭化する情勢で、自分もやや擦り切れ始めているのかも。
そういった内面には常に気を配っておきたい。






自分の音楽番組も、作り方を変える時期に来ているかなぁと感じる。
このまま内容をさらに濃くするより、別の方法を試してみてもいいのでは。

どんなことであれ、10年以上親しんだものであれば、初めての人に比べれば有利な点が多いはず。
自分は人生で最も得意な音楽で、容赦なく全力で曲を選び紹介しているのだけど、これを続けていってリスナーも何か得られるものがあるのか。
最初から本気の姿を見せることで、初めて知る人が音楽に魅力を感じてもらえれば何よりだが、もしかしたら都合の良すぎる話かもしれない。
おかしな例えかもしれないし、またも野球の話で恐縮だが、初めてバットを持ったという人に対して、160キロの豪速球を投げ込んでいる感覚なのだ。
死球にならないようにだけ細心の注意は払っている。
それに言わなくても分かってもらえていると思うが、野球経験はあるが160キロは出せない。

手加減するという上から目線の話ではなく、もっといろんな入り口を用意できないか?という自問自答であり、自責の念なのだ。

もっと良い曲、さらに優れた音楽、と煮詰めていった先にはバッハとかベートヴェンとかしかなさそうだし、こちらも何だか息がだんだん詰まってくる。

ゲームで例えるなら、グラフィックなどの綿密さで勝負したスクウェアの「ファイナル・ファンタジー」方式もいいが、子どもから大人まで誰もが楽しめることを狙った任天堂のような戦略を打てないものか。

「縦」をさらに深掘りするのと同時に、「横」に転換できないか。
今までと異なるベクトルで。
発想をガラリと変えてみる。
それこそ、コロンブスの卵のように。

今の骨組み自体も、ほとんどゼロから自分なりに考え見様見真似で組み上げていったので、それなりに叩き上げスタイルと言えるのかもしれないが、特に重圧などはかからない環境下なので様々に試行錯誤するチャンスはあるとも言える。

でも構成などは一週間とかそこらでパッと思い浮かぶ種類のものでもないので、走りながら少しずつ修正を繰り返していくしかないだろう。
地味な作業。

どうすればもっと良くなるだろう?
と、考え続けることこそが重要なのだろうね。
これでいいのだ、完成形なのだ、と考えるのをやめたときが、終わりの始まりなのかも。
常にちょっと苦しい、ぐらいがちょうどいい具合なのだろう、きっと。

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