#20 雑談が苦手なINFJが雑談上手になるための道
こんばんは🌞
雑談が苦手なINFJのサラリーマンです🧑💼
今回は、「雑談」についてです。
社会人として、雑談ぐらいはできるようにならなきゃ!って躍起になっていた時期があります。
INFJのみんながみんなそうだとは思いませんが、私は雑談が下手です。
ほんの暇つぶしならいいですけど、そもそもゴール地点が不明な雑談が好きではないし、意味のないゴシップネタとか世間話をすることそのものが無駄だと感じてしまっています。
少なくとも、相手のことを知るための雑談でなければ気が乗りません。
そんな私が、長年悩んできた雑談について、
・なぜ雑談が下手なのか?
・どうやったら雑談が上手くなるのか?
・じゃあどうしたらいいのか?
など、考えたことをまとめてみました。
雑談するときに考えること
まず、雑談するときって、実はすごく神経を使っています。INFJや他のタイプの人がどうかはわかりませんが、少なくとも私はこんなことを考えずにはいられません(面倒くさい性格であることはワンハンドレット承知のすけです)。
・私は、この人と何を話せばいいのだろうか?
・この人は、私に何を話そうとしているのか?
・この話は何のために話している話題なのか?
・一体、この話はいつまで続けるべきなのか?
・この話の終わりはどこなのか?
・この人が面白いと思うテーマは何だろうか?
・果たして、この人とは深い話ができるのか?
・どんな話が嫌いだろうか?
・きわどい話題、危ない話題などをどこまで話しても大丈夫だろうか?
などなど、キリがありません。
いやいや、雑談なんだから、そんなことまで考えなくても大丈夫だって!と思ったあなたはINFJではない人なのでしょうか。
私はストレングス・ファインダーのトップ5の資質に「内省」と「慎重さ」があり、ナンバー1に「親密性」があるので、それはそれはもう、恐ろしく相手のことを、値踏みといったら言葉が悪いですが「どんな人間か?」と人一倍考えてしまいます。
なので、たわいもない会話をするにも命懸けです。大袈裟ではないのです。
そんなことを考えてしまう性格なので、初対面、あるいは、知っているけどほとんど話したことのない人とは、全然当たり障りのない会話しかできず、気の利いたことも言えず、大した話題もなく、話し終わった後には「あぁ、今日もうまく雑談できんかったわ、つまらん奴だと思われたかもしれんなー」という、認知の歪みみたいなことが起きます。笑
雑談が上手くなるために頑張った
こうなると、やはり本やYouTubeに頼るしかなくなり、これまで「超一流の雑談力」だの「雑談の上手い人はこれを〜」だの「世界の一流はこんなことを話す〜」みたいな本をたくさん読みました。
しかし!
全然うまくいかなかったのです!笑
一応弁解すると、サラリーマン経験が15年以上あるので、過ぎ去った時間が僕を強くしてくれた的な感じで、おそらく周りから見れば、別に変ではないレベルの雑談はできているものとは思います。
でも、そうじゃないのです。
そういう話ではないんですよね。
楽しくないし、疲れるんですよね。笑
何とかしたいんですよー!
とにかくなんか違うんですよ。
本とかのスキルみたいな話ではなくて、もっと根本的な何かがないと変わらない気がするんです!
そう思うのは僕だけでしょうか!?
なぜ雑談が下手なのか?
多分、僕が思う「雑談が上手い」っていう定義がおかしいのかもしれません。
雑談が上手いなーと思う人って、しゃべるのが上手い人だと思います。
「しゃべるのが上手い」ってなんなんでしょう。
しゃべる話題やテーマが面白いのでしょうか?
いえ、多分違います。
上手い人は、どんなテーマでも上手いと思うのです。
そうなると、話し方とかではなく、人間性の問題かなー?と思うわけです。
もちろん外向的な人と、私のような内向的な人は全然話し方も、話す話題も違いますよね。
何となく、しゃべるのが上手い人は外交的な人が多いような気がします。
「しゃべるのが下手な私」が、「しゃべるのが上手い人」になろうとしている。
これって、「内向的な人間」が、「外向的な人間」になろうとしていることと同義じゃないか?
海の生物が、陸に上がって生きようとしているのと同じってこと?
INFJが、ENFJとかENTPになろうとしているってことか!
そりゃあ、無理ってもんですね。笑
雑談は上手くなる必要はない!
書きながら、考えが整理されてきました。
私は、自分が雑談が下手だと思っているけれど、それは別に下手なのではなく、そもそも種類が違うということ。
数あるスキルのうちの一つが、別に抜きん出ていないだけであって、しかも、もともとそんなにできる訳ではない気質なんだ、多分そうだ。
だから、自分を卑下する必要もない。
おそらく、しゃべるのが上手くない代わりに、質問したり聞くのが性に合ってるのだ。
雑談って、結局は会話のキャッチボールだ。
外向的な人はピッチャーなんだ。
内向的な人はキャッチャーなんだ。
だから、キャッチャーとして生きていけばいいんだ。
キャッチャーだってボールを投げることはできる。
なんなら肩が強いんだから、時には遠くに投げることだってできるし、一塁にも二塁にも三塁にも投げることだってできる。
どんな球だって受けとることができる。
とりあえず、いつでもピッチャーが投げられるように、何個かの球だけ持っといて、あとはなるようになれの精神だ。
そんな風に考えればいいのかもしれないと、今思いついた!これがセレンディピティだ!
結論 どうもしなくていい
私が思ったことは、雑談って、相手に話してもらえばいいのだと思う。
これは、他力本願とは少し違うと思う。
世の中の人は、自分のことを話したい人が圧倒的に多いように感じる。
だったら、大いに話させてあげよう。
多分、私は話すより聞くほうが上手だ。
仲のいい人からしか、「そんなに話すんじゃね!」と言われたことはない。なんせ、仲良くならないと絶対に話さないから。笑
こんな感じだからINFJは、なかなか自分のことを話したくても話せない。
だったらこうしてnoteに書けばいい。
こんな話、雑談では決してできないんだから。笑
もしできる相手がいれば、その人は私と絶対仲良くなれるはずだ。
そういう意味で、雑談とは「仲良くなるための見極めツール」として優秀なのかもしれない。
そう考えると、何だか雑談も悪くない気がする。
と、非常に抽象的な答えで自己完結してしまったが、決して雑談について諦めたわけではない。
ただ、無理してもうまくいかないのは確かだと思った。INFJだと知る前は、とにかくスキル偏重で頑張りすぎてたから、ストレスフルで誰とも会話したくない病が発生してしまっていた。
そんなことで病気になるのはINFJぐらいかもしれないが、それほどまでに、ただ会話するだけであるがゆえの重大なテーマなのだ。
今後は、自然体で、話すのではなく、聞く側として、どっしりとしたキャッチャーに私はなりたい。
いや、実のところ、キャッチャーに擬態しながらも、いい球を投げるピッチャーを探す"スカウトマン"になりたいのかもしれない。
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