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(気が早いけど)ポストGIGAスクールに向けて。BYODのこと。

自分のGIGAスクール 自治体ピッチの出番が終わったので、他社のピッチ聞きながら書いています。
でも、色々と処理しないといけない仕事が色々舞い込んでしまったので書ききれず、夕飯食べながら書いています。

自治体ピッチは、インターネット回線やPC設定の問題などもあって少し手間取った部分もありました。
ただ、後半からはこれまでの大会議室での一斉視聴より聞きやすく(巻き戻せるし)、これだけの数が視聴して随時質問が出せたりと、今までと一線を画す試みに感じました。
運営側に拍手です!(偉そう)

ちなみに自分のパートでも途中で映像が切れたりがあったようです。そんなこともあろうかと、練習用に個人的に記録した動画を公開しましたので、お時間があれば以下にてご確認ください。


ちなみに、連載形式で以下を書いている最中だったので本来は続きを書くべきなのですが、、

ピッチ見ながら思い出したことがあったので、閑話休題として1人1台と3人に1台との違いとBYOD(Bring your own device:個人所有端末の持ち込み)について書きたいと思います。
第3回目の内容の前提になるかな、とも思ったので。

1人1台はこれまでの3人に1台とは決定的に違う

BYODの前に、GIGAスクールの1人1台と従来の3人に1台の違いについて。
これまでの地方財政措置の範囲は3人に1台。これはざっくり言えば「たまに使わせてもらう」環境であり、授業で使うことが前提です。
今回のGIGAスクール構想は1人1台。こうなると「自分のモノ」になるはずで「必要なときにいつでも使える」環境であり、授業中は勿論、授業外でも活用していくものになっていくことが期待されています。

上記でも違いは明白なのですが、一番の決定的な違いは上記に書けていない部分で、「必要なとき」を決定するのが先生ではなく学習者、ではないかと思っています。

そしてこの「必要なとき」を決める人が変わること、が日常活用への鍵だとも思っています。でもそれがとても難しいのですが。

2014年 近大附属中高の公開研で受けた衝撃

2014年にiPadでBYODを始めた近大附属の公開研に行き、前述した「必要なとき」を決定するのが先生ではなく学習者であることが重要、ということに気づかされました。
たしか以下のイベントです。

当時は「BYOD(Bring your own device:個人端末の持ち込み)ってどんな感じなんだろう」という関心で伺いました。
その時のBYODへの興味は、公的予算で情報端末を永続維持することは困難、BYODが予算の代替手段かな、という感じです。

そして近大附属の公開研に行き、BYODに対する認識の根本が変わりました。
そこで見たのは生徒が本当の意味で日常的に活用している姿でした。自分が関わってきたフューチャースクールの何倍も活用されているように見えました。
その根本が情報端末が「自分のモノ」として活用されていることであり「使うときを生徒が決めているから」だと気づかされました。

そこからBYODは財政不足を代替するものではなく、根本的な学習の在り方が変わる機会(予算面は極論ではオマケの効用)と思うようになり「従来の学校におけるICT活用を、こういった日常化への導線にしていかねば」と考えるようになりました。

ノートとらずに板書を撮影する生徒

上記の近大附属の公開研の際、一部の生徒は板書をiPadのカメラで撮影していて、ノートをとらなくなっていました
これって先生は嫌なんじゃないか(板書することの意味もあると思っているはず)と思って、その先生に聞いてみたのですが

最初は嫌だったけど、最近は慣れた(苦笑)
板書することの意味はあると思っているが、時間の短縮にも意味がある。そこは生徒が選べば良いと思うようになった。
今では撮影しやすいような板書をするようになりました(笑)

勿論、ノートテイキングの価値もあるとは思いますので、先生方も意見が分かれるところかも知れませんが、少なくとも私は感銘を受けました。生徒を中心に考えているのがすごい、と。
ちなみに私は仕事中、ホワイトボードで議論した結果は、パシャっとやっています(苦笑)
BANSHOTを考えているときにも、こういうの作ろうかな、くらいのことも思ったりしていました。

GIGAスクールが先生の意識の変化のための投資でも良いっす(私見)

ただ、こんな風に意識をガラっと変えることができる先生が多数か、というとそうではないと思っています。

上記の先生の話もそうですが、やってみないと分からない面が多数あります。
そして意識の変化が一番難易度が高く時間がかかります(気持ちを変えるだけならお金もかからないから簡単、とかいう人もいますが)。
でも、この意識の変化が学校教育の世界では(または日本の社会全体では)最も広く深く効果がある、と思っています。

当然、学習者が GIGA = Global and Innovation Gateway for All するための施策であり予算(これだと何するか分からない...。あ、「子供たち一人ひとりに個別最適化され、創造性を育む教育 ICT 環境の実現」のためか)です。
でも、こんなこと言っちゃうとまた怒られそうですが、この超多額の予算は先生方の意識を変えるのための投資でもアリかな、とか思っています。
あくまで私見ですが、学びが大きく転換するための鍵は先生と保護者にあり(裏を返せば子供にはほぼ課題がない)、それは意識が変わればほとんどが解決していくと楽観視しています。
裏を返すと、意識を変えるのが超困難だと思っているので悲観視しているとも言えますが、、、

学校備品ではなく自分のモノに

一方で、情報端末を使うタイミングを先生ではなく学習者が決める、は今のままでは少々厳しいです。
GIGAスクールでは整備主体は自治体=情報端末の所有権は自治体=つまりは公共の備品=使うタイミングの制御権は自治体、です。
このあたりが情報端末の持ち返りを制限する要因にもなっています。

財政上の課題や意識の問題もそうですが、BYODは所有権が学習者(保護者)側にあり、こういった根本的な前提を覆す材料にもなると考えています。

その意味で、GIGAスクール関連で公表されている中では、岡崎市の「Myタブレット」という思想はステキだな、と思ってしまいます。

Myタブレットという言葉や、児童生徒個人に端末を貸与すると書いてある点など、学習者中心の1人1台を進めようとしている意図が見えます。
自治体なかでは段階的な1人1台環境の整備をしていくにあたり、整備完了までは結果として共用端末の台数が多くなったような使い方をするところも多いのではないでしょうか。
でも、できることなら情報端末を個人に貸して、その子が管理するような仕組みの方が価値が最大化するのでは、と思っています。

そうやって情報端末が自分のモノになっていくことで、教具から文具になり、今回の政策の本当の価値に近づくのでは、と考えています。

就学援助項目の情報端末の追加を

GIGAスクールで整備される端末も、早ければ3年後、遅くとも5年後には更新時期です。
その時に予算が確保できるのか、担当者はそんな先を決められる訳がなく、目を瞑りながら今必要だからという思いで進めてくれているのだと思います。うぅ、申し訳ないです&ありがとうございます&頑張ってください。

その財政面の解決策は、皆さん分かっていても義務教育ではあまり言い辛いBYODなのだと思います。
言い辛いのは、当たり前ですが保護者の協力なしでは不可能なこと、です。それも金銭的な協力なので、各々の自治体単位でどうにかするのは困難です。

特に相対的貧困世帯に対する支援が絶必です。方法は就学援助の対象項目に情報端末を追加、となってくると思っています。

就学援助項目の追加あたりは手続き的に結構時間がかかりそうですし、その実証がないと前に進まないのでは、と思ってしまいます(そんなのすっ飛ばして、政治的な力で「えいやあ」ができれば良いのですが)。

早ければ3年後、遅くと5年後には噴出する課題なので、今から公立義務教育におけるBYODの検証をやっておかないと間に合わなくなる、と感じています。
もう死人が出るほど忙しい文部科学省に言うのもアレなのですが、早めに打ち手を考えて行動していきたいと思っています。
BYOD化がなし崩しで進み始めてしまい、相対的貧困世帯の子供が割を食う、なんて想像しただけでハラワタが煮えくり返りそうなので。

おわりに

なんか思うがままに書いてしまったので、今までで一番まとまりが無くなってしまいました。
イシューが日常的な活用、学習者への権限委譲、GIGAスクール環境更新時の財政課題などを行ったりきたりしていますね...。失礼しました。

まずは今、目の前でやれることとしては、GIGAスクール整備から更新までの3年~5年で、その導線を作っていくことでしょうか。
Myタブレットのように個人のモノとして使えるようにしていくこと、環境と経験から多くの先生方の意識が変わっていくこと、この辺りを注視して支援していきたいと考えています。

次こそは以下の第3回を書きたいと思います。
ではまた。



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