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SF日記:『人間レコード』夢野久作

SF作品の感想を私見たっぷり濃厚に語るSF日記。最初にあらすじ、後半に感想を書きますのでネタバレに注意してください。現代を読み解く時、多くの人はデータやエビデンスに当たりますが、それらは過去を表しているに過ぎません。そこで未来の声として、将来起こりそうなことをリアルに描くSFの想像の力を借りてみようと思うのです。

あらすじ

生身の人間の脳髄に音声メッセージを浮き込んだもの。それが人間レコードだ。その音声は特別な方法でのみ再生することができ、それ以外では思い出せないから、拷問されても情報は漏れないし、買収されることもない。そんな人間レコードの老人が、共産主義思想を広めるために、日本に派遣された…

感想

時代が人間レコードを追い越している

1936年の初出の時にはまだ突拍子もない話だったのかも知れないが、もはや現代においては驚くほどでもない。なにせ脳味噌にチップを埋めこもうという研究が各所で進んでいる。

というか、以下の2019年の記事によるとアメリカではすでに40000人の脳内にチップが埋め込まれているらしいし、あと最短5年でインターネット接続の可能なチップの脳内移植が実用となるかもしれないという。

テスラのイーロンマスクも似たような研究を進めていて、脳内にチップを埋め込むことで、人間同士やAIを相手に直接意思疎通をできるよう目指している。

また、アルツハイマーなどで記憶障害に苦しむ人たちのために、記憶機能を補助する脳内チップの研究もすすめられている。

手足が麻痺になった人が、脳内チップの助けを借りて、手を動かすことにも、すでに成功している。

医学的な側面から脳内にチップを埋め込むことの障害が取り除かれれば、それが健常者の能力の向上のために使われ始めるのも時間の問題であろう。

ユヴァル・ノア・ハラリ氏も『ホモデウス』のなかで、テクノロジーの力を借りたスーパーヒューマンとそうでない人の間の格差社会到来の可能性が示唆している。

僕らはすでにアンドロイドみたいなものだ

あまりこのような情報に触れていない人にとっては突拍子もない話なのかも知れないが、スマホが脳内に入ったと思えば話は早いと思われる。

むしろ、スマホを常に携帯している時点で、僕たちの脳味噌は大幅に拡張されている。脳内にチップがあるか、ポケットの中にあるかくらいの違いではないか。

IoTデバイスが増えれば増えるほど、あなたはあなたの外へとさらに拡張し、溶け出していく。ココハドコワタシハダレ。

スマホだと脳内の信号と直接にはつながっていないが、Siriでポケットの中の携帯用脳味噌に命令を出しているんだから、まあまあ似ている。そして部屋の照明が消える。

しかしそれでは神経伝達より遅くて効率が悪い。脳味噌→声→スマホではなくて、脳味噌→スマホにしてしまおうというのが脳内チップだろう。

速さはいつだって正義なのだろう。今の4Gから3Gに戻れといわれてもほとんどの人には無理な相談だろう。すでに世界が4Gに最適化されているのだから、戻れるはずもない。アウトドアウェアに慣れたら快適すぎて戻れない。5Gが普及したら同じ様に戻れなくなるはずだ。いや、戻させないように構築される。これもまた脳の拡張。高速化だ。5Gの危険性を危惧する人は、山奥に逃げるしかないだろう。

こうして脳味噌は高性能になるが、本質としては退化してもいるのではないか。情報量は多いが、知能のクオリティについては疑問の余地が残る。

しかし、今更何をいうのだという話ではないか。斧からチェーンソーになり確かに肉体は堕落したかもしれない。しかし、生産性の向上によって刺激された社会の強欲によってあなたは一段と働かされるから、結局チェーンソーでもムキムキになるのかもしれない。伐採する本数が違いすぎる。

テクノロジーの助けを借りて情報を詰め込まれた脳味噌は、これまでになかったほどいっぺんに情報処理を要求されているじゃないか。スマホを見ながら会話するなんてもはや当たり前で、2つ以上のタスクを同時にやるなんて普通ではないか。これは進化か、またはただの現代病か。

しかし重機で伐採するようになると、肉体の酷使はなくなり、人間の行為はただの数字の蓄積に置き換わった。人は数字か。このとき本当の退化が始まった。さて、ITの重機とは一体なんだろう。これはシンギュラリティの議論そのものだろう。

自分の意思と違うことを話させる

話が人間レコードから遠ざかりすぎてしまった。

まあ、今となっては人間レコードの概念が大して目新しくもないところに時代が進んでしまっているということだ。何かしらのデバイスを体内に埋め込んで、その情報にアクセスできる人を限定するなんて難しいことではないだろう。

そんなのネット上の暗号通信でいいじゃないかとも思えるが、オンラインではハックされるかもしれない。ヤバイ情報というものはいつの時代も口頭で行われるものだ。できればレコーダーも何も隠し持っていないことが確認できる状態が良い。とすると、海とかだろう。しかし今時はレコーダーが体内に埋め込まれているかもしれないから手に負えない。体内チップ探査機なるものの需要が生まれるだろうか。

ここのところは、本人に言わせずして言わせるような技術の発展がめざましい。なんのことやら、例えばあなたがあたかも本当に喋っているような作り物の映像の作成が可能になっている。これはディープフェイクといわれるAIを駆使した合成技術だ。声だって本物とほとんど判別不可能だ。これで潰したい政治家にあることないこと言わせることも可能となってしまった。悲しくもディープフェイクの需要の多くはポルノなんだとか。

しかし、そんな凝ったことをしなくても、誰かが話している動画のスピードを遅くするだけで、酔っぱらったように聞こえてしまう。こんな原始的な方法が、アメリカの下院議長であるナンシー・ペロシの動画で使われてバズったりもしている。

そもそも洗脳というのもあるし、検察に様々な証拠を突きつけられた上で、お前がやったんだろ、と言われると、本当にやったのかもしれないと思ってしまうのが人間だ。人間の記憶なんてそんなようなものなのだ。

あなたは誰でもない

だいたい、人というものは、自分の自由意志で考えて決断していると思い込んでいるが、価値観なんていうものは記憶によって構成されているものだろう。その記憶とは経験に個人の嗜好のスパイスをふりかけたものだ。そのスパイスもまた記憶。生まれ育った環境、両親、友人などの影響も免れることはできない。

僕はそのようなものの集合でできている。だとしたら僕とはなんなのか。僕なんてものはあるのか。僕が話すとき、それは僕の思考を形作った数多の記憶が話しているのだ。なるほど僕は他者だ。他己があるから自己がある。表裏一体。

なるほど、その記憶をいじってしまえば、簡単に歩くプロパガンダが出来上がる。いじるというのはニュースを流すだけのことだ。新聞、ラジオ、テレビ、インターネット、SNSと情報源が遷移そのものも人の思考方法をごろっと変えるしに、そこに情報が乗っているときているから、なんとも厄介だ。

公式機関の発表も、陰謀論者の叫びも、半分信憑性があって半分嘘くさいような時代だから、また骨が折れるというものである。

さて、僕らは一体何者なんだ。

ある意味では、ぼくらは皆、人間レコードなんだろう。SNSでチラッと見ただけのことを訳知り顔で話すなんてのは可愛いもので、個人の自由を持って偏り無く物事を考える、なんてこと自体が幻想そのものなのだ。

そこから脱出するには、仏陀のように解脱するしかないんですよ、と、またまた仏教の話になってしまう。

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