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SF日記:『夜来たる』 アイザック・アシモフ

SF作品の感想を私見たっぷり濃厚に語るSF日記。最初にあらすじ、後半に感想を書きますのでネタバレに注意してください。現代を読み解く時、多くの人はデータやエビデンスに当たりますが、それらは過去を表しているに過ぎません。そこで未来の声として、将来起こりそうなことをリアルに描くSFの想像の力を借りてみようと思うのです。

あらすじ

惑星ラガシュは6つの太陽によって照らされてきた、夜のない星だ。しかしそのうち4つの太陽が地平の下に隠れ、最も明るいアルファがあと4時間で沈もうとし、はかない光源のベータ一つになろうとしていた。

天文学者はカルト教の教義を引き合いに出し、文明の終焉を喧伝。それによってこの2ヶ月投資は冷え込み、経済は完全に停滞していた。しかし、世間は本当に世界が終わるなんて信じ切れていなかった。

天文台職員や一部の近親者のみがシェルターに隠れて、世界の終わりを乗り切ろうとしていた。ラガシュの過去文明の盛衰は周期性を持っており、そのどれもが絶頂において原因不明の火災で滅んでいる事が分かっていた。

「カルト教徒の伝説によると、ラガシュは二万五千年ごとに巨大な洞窟にはいり、そこで太陽がまったく姿を消して全世界が完全な暗黒に包まれるということになってい」た。

そして、「『凶星』なるものが出現して人々の魂を奪い、理性を喪失させて野獣化させてしまう、その結果、人類は自分の打ち建てた文明を自分の手で破壊することになるのだと」いう。

これは闇を恐れて手当たり次第に物を燃やすからとも考えられていた。

研究の結果2049年に一度、ベータが唯一の太陽となったときに日蝕が起こるタイミングがあると言う。すなわち2049年に一度、ラガシュに闇が訪れる。その日蝕が目の前に迫っていた。

闇を知らない世界に照明機器は存在しない。天文学者たちも巨大な松明で闇に対抗しようとする。

その危機を科学的に乗り切ろうとする一方、カルトは天命に従うべきと説く。さらにカルトに扇動された市民は暴徒化する中、この文明に初めての闇が…

感想

文明の転換期に、経済不安、そして市民の混乱、

もう今の世界情勢のようであるが、それらの根本原因が、「知らないことへの恐怖」に起因していようこともまた、現実とのリンクを思わせずにはいられない。

流布される情報の中に科学的見解と、陰謀論が絡み合っているリアル世界の現状も、知らないことをテーマに論じているがゆえだろう。知らないんだから正答率は高くない。その情報に権威があろうがなかろうが。

情報の方が感染力も、症状の強度もよっぽど高いように思われる。多くの人にとって、人間の想像力はこんな時には全くいい方向にことを運ばないものだ。だったら情報源をシャットアウトするのが健全のように思える。

SNSは見てもエネルギーを吸い取られるだけ。僕はニューヨークタイムズを眺めて、時々Twitterの速報をサッと見るくらいにしている。あれはよくまとまってる。Twitterのタイムラインは見てもいい事がない。この文章を読むのもどうかと思う。

最大の敵は作中のカルトが言うように、理性を喪失することにあろう。そのためには、恐れに打ち勝つ必要があろうし、恐れを克服するには「受け入れられるかどうか」だろうか。

死の受容

だいたい、死を受け入れたら怖いものはない。

むしろ死を受け入れずして、どうやって日々を豊かに過ごすのか、と言うのが日頃からの僕の意見だが、一般的にはあまりそこまで考えないらしいし、作中でだって学者から市民まで押し並べて恐怖している。

今日は死ぬのにいい日だ、的な、アメリカ先住民の言葉があるが、毎日が死ぬのにいい日じゃないと、悩み多いに決まってる。今日死んでも後悔しないように生きられれば、死ぬのにいい日しかない。こうやって死を克服すればこそ、一日一日を大事に過ごせるのではなかろうか。

これは自分の話だけでは無く、大事な人の死を覚悟することもしかりだ。目の前の人が今日死んでしまうかもしれないからこそ、本当に相手を大切にできると僕は思う。

毎日自分も他者も大事にして暮らしていければ、死が訪れても後悔することはないし、悲しいことなんてないはずだと思う。共感されなくてもいいが、僕はそう思っている。

むしろ死を悲しむ方が失礼ではないかと思うほどで、それは亡くなった人が無念だったはずだと勝手に決めつけるような感じがする。死者の生前の人生を否定するような感じがする。死んだ人が死を受け入れられてないんじゃないかという想像は、死を受け入れていない生者のすることかもしれない。

ひとつだけ確実にわかっていること

こんな時期に死をテーマに語るのは不謹慎なのかもしれない。しかし、わからないことを繰り返し考えるのも時には大事だが、確実に知っていることについて折り合いをつけることも忘れるべきではないと思う。確実に知っていることとは、僕らはみんな死ぬ体を持っていると言うことだ。他のことは推測の域を出ないが、死ぬことだけは確実に予測可能だ。

毎日がどんな一日になるか分からない、明日地球があるかもわからない、だけど僕らは100年以内くらいには死ぬと知っている。当たり前にやってくると思っていた次の食事の前に死んでしまうかもしれない。

死ぬ事実は100%予測可能。こんなに優しい取引はない。こんな確実な情報が入ってきた時、僕らは何に投資するのか、と、そう言う話だと僕は思う。本当は僕たちは恐怖に対しては勝ち戦なのだと。そうなれば、いつ夜が来ても心配ないだろう。

(これは本の感想だったのだろうか?)

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