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隈研吾論

平成の次の元号が発表される直前である今日、僕はこの隈研吾論を書き上げる。それは平成を代表する建築家であることと同時に、自分が無意識的に彼の作風に惹かれ始めた理由をたどる思考の旅を、平成の最後に成し遂げたいと思ったからだ。

僕は以前まで隈研吾氏の作品に多い表層的な意匠がとても嫌だった。…嫌というより、意味が分からなかった。高知県梼原町の図書館、栃木県の小さな駅前にあるちょっ蔵広場、イギリスのマンチェスター北部にあるV&A museum。その他の作品も建築の構成から独立した意匠が多いことは確かで、建築のプリントデザイナーとでも呼びたくなる自分もかつてはいた。どれだけ素材を入念にスタディしても、その建築構成からして表層的ならば、出来上がる建築はパッケージデザインに凝っただけの機能的空間なのではないか。そんな意匠になんの意味があるのか。ただの商業建築家ではないか。……とそれはまあ学生の割に合わないくらいに酷評をしていた。カナダのメディアが新国立競技場のデザインを「ハンバーガー」と揶揄したのを聞いて笑っていた自分だったのだ。

それからしばらくして、徐々に隈研吾氏の作風に惚れ始めた自分に気がついた。今この文章を書いている時点でもその理由が分からない。あなたが読むこの文章はその理由を探るための長ったらしい思考の旅だ。結論さえも今この時点では定まっていない。文章を書いていく中で、自分の思考を初めて客観的に眺めることができるのだが、どうすれば結論に近づいていくか分からないから、差し当たり思うことをひたすらに書き始めることにする。

まず彼は、元々東大で原広司氏(京都駅や梅田スカイビルを設計した人)と共に文化人類学的視点に立って世界中の集落を旅した。原広司の著書『集落の教え』は自分が好きな建築本としては5本の指に入るものだが、よく考えるとその本を書き上げる旅に隈研吾氏も同行していた。現代が忘れている、生きていく事の即物的な反応としての必然な建築の姿を100個のキーワードと共に短めの文章で淡々と語っていくその本には、浅はかな感想ではあるが、とても感銘を受けた。自分の考えていた建築を「物」ではなく、「事」として捉え直すきっかけになったし、その後に読んだ進化論に関する本(『進化は万能である』:自分が今まで読んだ本の中で1番影響を受けた本)の内容とも結びついて、世界に計画してできた都市で成功をした都市など無いこと(成功はしていてもボトムアップに派生してきた都市に対して経済面、政治面、民主主義体制などにおいて総合的に勝る都市は無い)や建築を使う主体が人間である以上、自然発生的に進化してきた建築スタイルは尊重すべき物だということも思い知った。

隈研吾氏の中でその経験がどれだけ彼の作風に影響を与えたかは分からないが、例えば彼が地域ごとにマテリアルを入念に選定していることは確実に文化人類学的な地域尊重だ。マテリアルも木材だけでなく、石・鉄・アルミ・瓦・ガラスなど多彩。建築と人間とを空間的に繋ぐ媒介において、マテリアル選定は建築構成を超えていく程に重要なものなのだろう。建築構成が人の流れや機能同士の関与に大きく影響し、材料選定が、ひと目見て感じる空間の奥深さ・味、もっと分かりやすく言うと高めのレストランに入ったときにどことなく感じる「高級感」なるものを創出するのだろう。

僕は2年前、隈研吾事務所から独立した中村拓志氏の事務所にオープンデスクで行ったことがあったが、同じような色合いの石タイルでも3種類を実際に取り寄せて、床に置いて担当スタッフ以外の人と話し合っていたことはいまでも印象に残っている。それこそ中村拓志氏の感性とも言えなくは無いが、隈研吾氏がマテリアルに重きを置く建築家である以上、隈研吾氏による影響と考えたい。個人的に好きな建築家TOP3に入る中村拓志氏だが、彼も隈研吾氏同様にマテリアルには力を入れて熟考する。そして、僕が彼を好きな理由でもあるが、微視的に建築と建築にまつわる要素群を捉えている視点が素晴らしい。例えばこんな話。銀座のブティックの設計で、3cmくらいの円筒状のアクリルを壁に挟み込む際に、取付け部品を残したくないがために、工場から現場まで冷凍庫に入れて運び、その収縮したアクリルを壁に挟み込んで、常温に戻るとピッタリと壁に吸着するというもの。あるいは、海外でも有名になりつつあるリボンチャペルでは、柱を極力作りたくなかったがために、二重らせんのスロープに自重を考慮したたわみを予め設計寸法に組み込んだねじりを持たせ、施工し終わった時に自重で下がり、初めてピッタリと収まるという物だった。しかも誤差は1000分の1以下だったというから驚きだ。ここで褒め称えるべきは隈研吾氏ではなく中村拓志氏であることは確か。中村拓志氏の設計レベルが極めて高いことを隈研吾氏に結びつけることは侮辱になる。ただ、その微視的な視点を得たきっかけは隈研吾氏だろうと感じる。人間の関わる部分に真摯なマテリアル選定を行う、ヒューマンスケールの設計が彼に影響を与えたのだろう。


隈研吾氏の感性は素晴らしいと思う。ルーバーの配置やガラス端部などのディテールや、全体から眺めたときのマテリアルの輝き方。そして同時にそれらを1つの建築にまとめ上げる高い能力とが共鳴して完成度の高い建築を作り出しているのだろう。設計しているのがスタッフという批判は多いに当たるが、隈研吾氏の思想が事務所内に浸透していなければここまで多くの評価を得ることはなかった。自分が1番好きな建築家ビャルケ・インゲルス率いるBIGは特にその浸透が顕著であり、もちろん彼自身設計をするが、新人スタッフに先輩スタッフが徹底的にBIGの思想を伝える文化があり、BIGはまさしく1つの思想を共有したBIGな建築集団な訳だ。隈研吾氏の事務所も同じような風潮があり、スタッフが出す多種多様なアイデアが隈研吾氏事務所全体の建築思想に基づいて洗練されていくのだと感じる。

彼に対する批判が、「表層的な意匠が多い」という帰結だけではあまりにも非論理的だ。身の回りには表層的な物ものが溢れている。街で見かける街路樹、看板建築、実際あなたが着ている服だって言うてしまえば表層的である。その表層を整えることが社会マナーとされ、それがファッションとさえ言われる。自分を表す外観として、自分の表層に投資をしているのだ。使っている財布がルイ・ヴィトンかどうか、使っているカバンがCORCHかどうか、着ている服がヨウジヤマモトかどうか。そこに個性を求められ、その表層にあなたの価値基準をあら探しされる。appleが作り出した耳から飛び出た異様な形をしたワイヤレスイヤホンでさえも「ファッション」と呼んでしまえばあなたを表す個性へと早変わり。探せば安い物ものはたくさんあるが、その表層への投資こそがファッションにおいてはあなたの相対的価値(自己満足感も)を上げるし、街路樹があれば街の印象も直感的に上がるわけだ。本質をついた物こそが正義という反論があった時、人間に溢れる都市から自然は消え去るだろう。また、レム・コールハースが著書『S,M,L,XL』の中で批判的に言っていたことだが、デパートの中に現れる表層的で安っぽい、なおかつ構造躯体にすらなっていないアーチ型の柱には「広場」としての記号が与えられる。そのアーチは建築としての役割以上に、記号として、標識として、シンボルとしてのそれを担っている訳だ。もはやアーチ型の建築様式は単なる記号論に還元され、表層的な空間玩具となる。ただ、それを肯定的に捉えると、広場らしい完結的なデザインをするまでもなくアーチを作るだけで広場という共通言語が与えられ、空間の使い方を柔らかく規定してくれるのだから、そこまで批判的に言われる必要も無いだろう。レム・コールハースの気持ちは嫌というほどにわかるが…。

…ただ、隈研吾氏への批判はそんな大げさな物では無いことも分かる。コンクリートの外側に板を張っただけの建築が、光の教会や古くから続く数寄屋造りにも勝る空間を要しているとはとても思えない。いくら論理的でも直感がそれを許さない。

負ける建築という視点で捉えてみる。上海にできたランドスケープと一体化した美術館を見るとその思想がとても良くわかる。山の斜面を構成するのと同時にそれが美術館の展示室になり、山登りをするようにして美術作品と触れていく、物語のような空間が広がる。外観は瓦をふんだんに使った佇まいで自然と建築とが視覚的に一体化していて美しい。山が持つ地形的特徴に柔軟に負け続けることでそこにしか生み出せない独自の美術館を作り出しているのだ。

また、スイスのジュネーブ北東にあるローザンヌ連邦工科大学にできた細長いキャンパスも美しい。ローザンヌ連邦工科大学と言えばSANAAのローレックスラーニングセンターがあまりにも有名だが、そのSANAAの勝利的建築に対して全長200mにも渡る高さを抑えた切妻屋根の敗北的建築が連なる。敷地内の若干の起伏差をそのまま形に活かし、エントランス部分だけ屋根が折り紙のように地面に突き刺さり、飽きさせないキーデザインを作り出す。スイスであまり見ない日本家屋的な佇まいを、決して強調することなく周囲に自然に溶け込ませる。そして大きく軒を出して歩行者を優しく包み込む。中間領域というよりは、開放的な外部を1つの建築操作だけで成立させている。木材による暖かみのある意匠も当然美しい。

これらの建築は負ける建築を体現している。そこにあるコンテクストを生かして上手に負けている。ところで、負ける建築に対して勝つ建築を対比的に考えた時に、隈研吾氏の作品が必ずしも負けているように見えないことが多い。つまり、隈研吾氏の作品にエッジがかかっていて、どう考えても普通ではない建築を見て、負けているとは思えない事が多い。ただ、その発想は違うと分かった。エッジが効いていても負けることはできる。巧妙な負け方がある。

その答えを高知と長崎に見た。

高知県梼原町の木橋ミュージアムは左右非対称なやじろべえ型の形態を、日本の伝統建築構法である斗栱を現代的にアレンジした構造で可能にしている。今まで見たことのない斬新な橋を目の前にした時は、やはり写真では感じられない圧倒感とその美しい佇まいに感激した。一般的にこれは勝つ建築と呼べよう。だが、隈研吾氏の言う「負け」とはもっと引き下がる視点を持つことで見つけ出せる気がする。梼原町原産の木材を使うこと。1つの建築操作だけで木材に可能な新しい形態の可能性を吹き込むこと。フランクゲーリーのような芸術に走らずに、あくまで構造的な合理性に基づいた建築。こういった建築家のエゴだけにとどまらず(隈研吾氏にエゴが無いとは言ってない)、大衆向けかつ合理的な建築こそが彼の言う「負け」なのだと感じる。実際に彼自身は、周辺環境に馴染むランドスケープと一体化した建築こそが「負け」だと言っている訳だが、それでは僕自身納得いかない。なぜなら、馴染むと豪語する割には彼の作る建築が美し過ぎるからである。四国山地に堂々と佇むその姿に、賢く、批判を恐れない「負け」を感じた。

長崎県美術館は運河にまたがる、上から見るとH型をした建物だ。ツイン橋は薄い床スラブにガラス張りを施した軽やかな印象を持つ。運河沿いの両脇の建物は石材による固い肌感を見せるが、そこからキャンチレバーで突きだす薄い床が固い建物へと入るアプローチとなる。キャンチレバーはある角度から見ると石材で支えられているように見えるが、これは実は薄っぺらい石材ルーバーだ。時間帯によって太陽光を遮ると同時に、建物に中間領域を作り出す。アプローチにある水盤は美術館に入る前の臨場感を高め、運河にこの建物があることの意味を拡張してもくれる。


まるで固い岩をくり抜くように空虚と物質とが絡まってできた彫刻的な建築。そこにガラスとキャンチレバーを駆使した、硬さと軽やかさのコントラスト。ここでは隈研吾氏の言う周囲に馴染む建築による「負け」という印象がよく伝わってくる。港にあって全く違和感をもたらさない佇まい。港に現れた、空虚と物質、あるいは空気と岩、あるいは光と闇の戯れである。長崎の長崎による長崎のための建築ではなく、隈研吾氏による肯定的な負けをはらんだ、自然発生的な美術館。長崎にあっておかしくない負け方の中で、最も美しい建築を作り出したのだ。

スターアーキテクトとしての建築家は、現代人にインスタ映えする建築を求められている。そして隈研吾氏ほどインスタ映え作品が有名な建築家はいない。熱海のローズガーデン頂上にあるカフェ「コエダハウス」は樹齢800年の角材を49層積み上げた、先ほどの木橋ミュージアムと同じような斗栱による、樹木のようなシルエットを持つ小さな建物だ。立地が最高すぎるが故に、いかなる建築もインスタ映えしそうな場所ではあるが、隈研吾氏の建物自体もinstagramで検索をかけるとよく出てくる。つまり、「負け」る建築がinstagramの中でいいね!を誰よりも多く獲得するための「勝つ」手段として使われている訳だ。それでも隈研吾氏の作品は負ける建築なのだろうか…。考えようによっては、そして僕の意見も「負け」であることに変わりないと思う。全面ガラス張りで中心の幹の周りに人々が集う姿は、大きな樹木に人々が集う姿によく似る。誰もを1つの木の下に受けいれる暖かい建築。軒が作り出す中間領域。周囲に溶け込むために、建築は作らずに、1本の樹木のみにその建築要素を還元したのだ。…ただ、いくらこのような論理を並べようとも、隈研吾氏の建築が美しすぎるがが故に、もっと簡潔に言うと「カッコよすぎる」、「シャレオツすぎる」、「映えすぎる」が故に、それ以上の説明が必要とされるかもしれない。

そこで彼を商業建築家、すなわち、隈研吾ブランドとしてのビジネス的な観点から彼を語ることもできるし、その語り方は彼の活躍を語るには必然的な方法でもある。新国立競技場の再コンペが出来レースだったかどうかは定かではないが、そのコンペ以降、隈研吾氏のメディア露出はより容易になった。当時は、「木を使った意匠で日本文化を美しく表す」などといった超抽象的なイメージで説明を食らっていた隈研吾氏だったが(メディアにはもう少し気を使った説明をしてほしいものだ。木だけに笑)、新国立競技場の設計が決まってからは説明も簡単だ。「あの新国立競技場を設計した」の一言で済む。建築家界隈からすると「あのせんだいメディアテークを設計した」と聞いた方が圧倒的に伊東豊雄さんの素晴らしさが分かったりするわけだが、一般大衆にとって身近な話題に登る施設を設計していることが、隈研吾氏の大きな信頼力となる。目黒にオープンしたスターバックス・リザーブ・ロースタリーの外観デザインする決め手となったのはそのブランド力ではなかったか。明治神宮ミュージアムも同様。彼に頼めばある一定以上の評価が得られるという信頼が彼に仕事を頼むきっかけになる。そして実際に彼の作る建築は大方、レベルの高い作品が多いから、誰も彼を悪く思わない訳だ。

図面を書くときは、手紙だと思って書けといってるんです。

彼はそう言う。その手紙に書かれた言葉はいずれ建築となり、人々を暖かく受け入れる。世界中に向けて数百枚の手紙を書き続けてきた隈研吾氏だが、その中には当然、村上春樹並みの文章もあれば単語だけが連なる詩のような文章もあるだろう。つまり、広重美術館のような出来作も、表層的で建築家界隈から評価の低い物もある。最終的に手紙がどういう評価を得るかは隈研吾氏自体分からないだろう。だが、その手紙は単なる文の連なりではなく、隈研吾氏なりのラブレターだと思う。例え下手なラブレターでも、彼の思いは変わらないし、手紙をあくせくと書かされる状況に置かれていることも、彼の評価そのものを表している。

隈研吾氏が建築家界隈で低い評価を受けていることはある種有名な話だが、世界で1番多くの設計案件を持つ建築家の1人でもある彼を肯定的な視点で捉えないことも同時にその評価の持つ客観性を失うはずだ。好き嫌いは誰だってあるし、僕だってつい最近まで向こう側の人間だった訳だ。こうして長ったらしい思考の旅を経た今でも彼の作風が気に入った理由を一言で言い表せない。その一言を放った所で瞬時に反論が浮かび上がってしまうからだ。だが彼が、入念な材料選定・肯定的な表層建築・負ける建築・商業建築家を強みにしていることは確かであり、それらの総合的な掛け合いによって、いわば大衆寄りの分かりやすく、美しく、なおかつ合理性を保ったバナキュラー様式の建築を作り続けているという訳だ。

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