暇電に鑑みる、迷惑の主観性と客観性について ~俺ってわがまま~

初投稿がこんなんでいいのかわからないですけど、とりあえず投稿します。文章は読みづらくならないよう簡単に書き留めますので、流しでも見てもらえると幸いです。

「暇電」とは
まず知らない方もいるかも知らないので簡単に説明すると、暇だからかける電話です。
もっというと、『自分が』暇な時にする電話を指すと思っています。(知らんけど)
※『お互いに』という条件は含まれていない

さて、私は捻くれているので、お互い同じぐらい暇な状態なんてないと思ってる(「暇」という時間も自分という完結した認識の中で完璧に近いパフォーマンスで生きている)つまり、暇電が得意では無い。
暇電は愚か、突然の出来事に対して一定数のストレスを感じてしまうのです。

しかし、問題はここからです。かけられるのはこんだけ嫌がってて、かけるんですよね。わたし、ごく稀に親しい友人に暇電するんです。親しいが故のわがままですが、逆だったらと思うと…

突然の出来事に対応できないのは正直言って、一人間として喜ばしいことでは無いので、トレーニングしてまいります。

何も感じられない、粗末な文章ですが、読んでいただきありがとうございました。

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