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ぶらり関西みて歩記(あるき) 大阪の文学碑

〔第3回〕
森本薫/川田順

■役者や演出家としても活躍した森本薫
森本薫は明治45年6月4日、大阪府西成郡中津町下3番(現、大阪市北区中津6丁目)に生まれた。
北野中学校(現、北野高校)から第三高等学校(現、京都大学)を経て、京都帝国大学文学部英文科へ進んだ秀才である。
昭和9年に雑誌「劇作」に発表した「みごとな女」一幕が事実上のデビュー作で、これは後に文学座によって上演された。

昭和10年~11年に相次いで発表した「かどで」「華々しき一族」「かくて新年は」「衣裳」は、華麗な人間模様と機知に溢れた作品と評され、森本が学業の傍ら作品を発表し続けている珍しさもあって世間の注目を集めた。

昭和12年に大学を卒業すると文学座へ入り、戯曲、翻訳、ラジオドラマ、映画のシナリオと、多様なジャンルの作品を執筆し、翌13年に女優の吉川和歌子と結婚して上京した。だが一方で、文学座の同僚だった女優・杉村春子と不倫関係にあった。

代表作「女の一生」は、森本が杉村のために書いたといわれる作品で、文学碑にもその一節が刻まれている。杉村は主人公・布引けい役を演じて、戦後初の日本芸術院賞を受賞した。
昭和21年10月6日、森本は学生時代から患っていた肺結核の悪化により、京都で34年の短い生涯を閉じている。
●森本薫文学碑:アクセス/地下鉄御堂筋線「中津」下車、徒歩10分。中津公園内。

川田順歌碑_中之島図書館
川田順歌碑

■実業家を経て歌人となった川田順
住友総本社の常務理事から歌人に転身したという変わった経歴をもつ川田順は、明治15年1月15日、当時の東京市浅草区三味線堀に生まれた。

東京帝国大学の文科(文学部)で学び、小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの薫陶を受けた。だが小泉が退任すると「ヘルン先生のいない文科に学ぶことはない」と法科(法学部)に転科する。「ヘルン先生」とは、Lafcadio Hearn(ラフカディオ・ハーン)のことで、「Hearn」を「ヘルン」と表記したものである。

大学を卒業後は、住友の新卒採用第1期として入社し、トントン拍子に昇進する。昭和5年には常務理事に就任し、昭和11年には住友の総帥である総理事への就任が内定していたが「自分の器ではない」と住友を去った。

川田は住友に在職中から佐佐木信綱の門下で「新古今和歌集」を研究し、昭和7年に「山海経」で歌壇デビューしていた。昭和17年に歌集「鷲」で第1回帝国芸術院賞を、昭和19年には朝日文化賞を受賞し、戦後は皇太子殿下の作歌指導や歌会始の選者も務めた。

昭和22年、川田が66歳のとき歌人で京都大学教授夫人の鈴鹿俊子と恋に落ち、世間から「老いらくの恋」と騒がれながらも最終的には結婚した。
昭和41年1月22日、全身動脈硬化症で逝去。中之島図書館の敷地にある歌碑は、常に流れる水の中に設置された珍しい形になっている。
●川田順歌碑:アクセス/地下鉄御堂筋線「淀屋橋」下車、徒歩5分。大阪府立中之島図書館入口横。

森本薫文学碑

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