戦争を知らない俺たちだけど…(昨年5月に訪ねた広島の原爆ドーム)
日本がアジア太平洋戦争に敗れてから79年がたった8月15日に、このコラムを書いている。
戦争体験者の高齢化が進み、その多くが鬼籍に入る中、戦争体験の記録・保存及び次世代への継承が、重要度を増しているのではないかと思う。何故ならば、戦争体験を知る者がいなくなったときに待っているのは、戦争を知らない世代が、さらに戦争の記憶から遠く離れた世代に伝えなければいけないという困難なミッションだからだ。
この難局に立ち向かうには、数少なくなってしまったとはいえ、戦争を知る人々がいるうちに、戦争体験を可能な限り正確に知り、次世代へ継承していくことが求められるのではないかと思う。
ただ、戦争を知らない世代というのは厄介なことに、単に戦争を知らないだけでなく、そもそも戦争に対する関心があまり高くない。
2019年にNHKが18、19歳を対象に実施した世論調査では、8月15日の「終戦の日」を「知らない」と回答した若者が14%だったという。
この数値が多いか少ないかは議論が分かれるところだが、日本が戦争に負けた日であるという認識を共有できない若者が一定数いるというのは、一昔前では考えられなかったことではなかろうか。
そもそも戦争に対して関心がない世代には、戦争の記憶の継承以前に、関心を持ってもらわなければいけない。戦争について若者の関心を呼び起こすためにしばしば用いられるのが、「戦争を身近に感じてもらう」というフレーズだ。
言葉の異同は多少あれど、同趣旨の言葉がしばしば用いられる。こうした、戦争を「身近に」感じてもらう取り組みについて考えさせられるニュースに先日接した。本稿ではそのニュースを軸に、戦争体験の記憶の継承について考えたことを記していく。
私が戦争の記憶の継承について柄にもなく考えるきっかけとなったのは、このニュースだ。
被爆地長崎市出身で被爆3世の大学生中村涼香さんが、東京大学や長崎大学などと共同で、原子爆弾投下後に出現するキノコ雲の仮想現実(AR)を開発したというニュースだ。専用のアプリを起動させ、渋谷のスクランブル交差点にカメラをかざすと、渋谷の空にどす黒い巨大なキノコ雲が立ち上るおどろおどろしい光景が見られるというものだ。
高校卒業まで長崎で育ち、被爆者の祖母を持つ中村さんにとって核兵器は「身近」な問題だった。しかし、大学進学で移り住んだ東京では趣が違ったようで、同世代の学生たちの原爆に対する関心の低さに衝撃を受けたという。
中村さんによると、戦争を知らない若い世代にとって、被爆の実相は、向き合わなければいけない事実であるにもかかわらず、あまりにもショッキングすぎて、「触れたくない情報」になってきているという。
一方で、被爆体験者は年々亡くなってしまい、記憶の継承が困難になっているという現実もある。そこで、次世代の若者に原爆の恐ろしさを知ってもらうための「入り口」を模索した結果、若者にとってなじみのある渋谷スクランブル交差点にキノコ雲を出現させるARをつくって発信することを思いついたのだという。
中村さんはAR制作を踏まえ、自身が考える被爆体験の継承について、以下のように述べている。
若者にとって「身近」な渋谷のスクランブル交差点から、原爆の恐ろしさへの関心を喚起する試み自体は、全く否定されるものではないが、実際に制作された仮想現実を目にした私には正直なところ、仮想現実の域を超えない―という以外の感想が浮かばなかった。
巨大などす黒いキノコ雲が渋谷の空を覆うおどろおどろしい光景ではあるものの、渋谷109など駅前の建物はいずれも健在である。実際に渋谷に原爆が落ちたとすれば、渋谷駅も、109も、スクランブル交差点も、ハチ公像も、いずれも無事では済まないだろう。このARで若者に発信できるのは、キノコ雲の規模くらいがいいところだろうか。
加えて、被爆者の痛みや苦しみ、怒りを「想像できるものではない」「そのまま受け継ぐことはできない」とはなから距離を置いてしまっている姿勢は、被爆の実相や戦争の恐ろしさを継承していくことに寄与するとは私にはどうしても思えない。
AR制作にあたって、中村さんは被爆体験者の元を訪ねている。完成したARを見て被爆者の田中照巳さんは「核兵器が爆発した瞬間はそんなものではなく、きれいすぎる」と違和感を示し、制作されたARよりも実際の被ばくが「本当に汚いもので、世の中にこんなことが起こるのかというような惨状だった」と強調している。その上で、ARでは、「なにがなんでも核を使わせてはいかんという決意みたいなものに、なっていかんじゃないか」と、被爆の実相を伝える素材としては不十分であることを指摘している。核兵器の問題を「身近」な課題として若い世代に捉えてもらうための工夫として提示したものが、つまるところ被爆の実相を「加工」したものにすぎないということを、被爆者は見抜いている。
関心を呼び起こす「きっかけ」をつくるために、被害の実相を、より多くの人々が受容しやすいよう「加工」して伝えることが、記憶の継承にとってプラスなのかというと、甚だ疑問だ。むしろ、被爆の実相が歪曲されたり、矮小化されたりしてきちんと伝わらなくなるリスクすらあるのではないだろうか。
そもそも、原爆の恐ろしさを「身近」に感じる必要などあるのだろうかとも思う。被爆者の証言、戦争体験者の日記やさまざまな資料に触れた際に、証言者や日記の筆者の年齢が近かったり、趣味趣向や境遇が似通っていたりして結果的に「身近」だと感じることはあるかもしれない。だが、身近な問題だと思わなければ、戦争の恐ろしさを想像もできなければ、感じ取ることすらできないのだろうか。だとしたらそれは最早、被爆・戦争体験に接した側の了見の狭さの問題ではないのか。
中村さんが述べるように、若者たちにとって原爆体験が「ショッキング」すぎて「触れたくない情報」になってしまっているのだとしても、それは全く気に病むことではないのではないか。
私は小学生時代に、広島の原爆被害を描いた「だしのゲン」のアニメを見た。同作は、原作者の中沢啓治さんが実際に広島で体験したことに基づいている。原子爆弾の炸裂によって放たれた光線で人体が跡形もなく溶かし尽くされる様や、爆風で飛散したガラス片などが体中に刺さってうめき声をあげながらさまよい歩く人々の姿などが作中ではダイレクトに描かれている。原爆投下の最中、運よく助かった人々は、放射能による被ばくに苦しみ、髪の毛が抜けたり、口や鼻、尻の穴から出血し、最後には体の力が抜けて死んでしまう。原爆による破壊だけでなく、原爆投下後も続く原爆症の被害の恐ろしさにも目を向けている。
中沢さんの「体験」に向き合った私はと言うと、正直、目を覆いたくなるほど慄いた。アニメを視聴したのは給食の時間だったが、箸を持つ手が止まってしまったのを覚えている。食事中になんてものを見せてくれるんだとは思ったものの、それでも、あの衝撃体験は、私にとって重要なことだったと思っている。「はだしのゲン」を給食の時間に放映するという非常識な教師のおかげで、原爆投下というものが、原爆が投下された戦争が、目を覆いたくなるほど恐ろしいものであることを、少しだけでも知ることができたのだから。
そもそも戦争は、目を覆いたくなるものだし、戦争に関する記録などに接した時に、目をそむけたくなるのは人として当然の反応ではないのか。むしろ、その目をそむけたくなる体験にたどり着くことこそが大切なのではないのか。
戦争を知らない世代が、さらに戦争を知らない世代へ戦争体験を継承していくうえで求められるのは、はなから「継承しきれない」と距離を置くことではないと思う。戦争体験が、たとえ目を覆いたくなるほど悲惨な現実であったとしても、まずは体験者と向き合い、その声に耳を傾け、何があったのかを「知る」ことでしか、記憶の継承は始まらないのではないだろうか。
あまりにも残酷な体験の数々に接してとくには打ちのめされ、耳をふさぎ、目を背けたくなるほど疲れ果ててしまうこともあるだろう。そうなったとしたらそれは、戦争体験と誠実に向き合った紛れもない証拠なのであって、全く気に病むことなどない。
(了)
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