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遠吠えコラム・「鎌倉殿の13人・北条時政はチャーミング?義時はダークヒーロー?」(※画像は公式ツイッターより。史実のネタばれあり)

 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が先日、第31回を迎えた。北条はついに源頼家(演・金子大地)の乳母父で最大のライバルだった比企能員(演・佐藤二朗)を討ち滅ぼし、病床に伏す頼家に代わって頼朝の次男千幡(後の実朝)を次期「鎌倉殿」とする手はずを着々と整えていた。その矢先、頼家が目を覚ましたとの一報が入り、波乱の予感とともに幕を閉じた。比企との戦争を回避しようと駆けずり回っていた北条義時(演・小栗旬)がとうとう比企討伐を決意し、血みどろの権力闘争へと身を投じていく「鬼」と化す節目の回でもあった。演じ手の小栗旬の演技もこれまでとは全く趣が異なり、裏ボスとしての風格を帯びていた。一方、父時政のチャーミングなキャラ造形が熾烈なドラマ後半戦でどのように扱われていくのかが気になってきた。

https://www.youtube.com/watch?v=LpAjR0er4Jc

【妻と子に振り回され右往左往、チャーミングな親父】
 北条時政は史実では2代目「鎌倉殿」の源頼家を殺し、さらには頼朝以来の宿老畠山重忠を謀殺して大国武蔵の実権を握り、仕舞いには自身の娘婿平賀朝雅を次期将軍に就かせて鎌倉で権勢をふるおうと企んだ人物だ。
しかしながらドラマを振り返ると、今のところ時政自らが野心をむき出しにするような描写はほとんど見られない。時政が野心的な行動に出るとき、その背後に必ずと言っていいほど登場するのが、時政の後妻りく(演・宮沢りえ)だ。京育ちで坂東武者をどこか見下しているりくは上昇志向が強く、夫時政を一介の田舎侍で終わらせまいという思いがあるようだ。優柔不断な夫をそそのかし、御家人同士の熾烈な権力闘争へと駆り立てていく様はシェークスピアの「マクベス」のよう。宮沢りえの怪演もりくの狡猾さを引き立てている。例えば、梶原景時の乱を巡るりくの暗躍ぶり。弾劾を訴える書状に夫時政へ一番端に署名するようそそのかすが、弾劾を訴えた御家人の立場が悪くなってくると、書状の端を切り落として時政の名前を取り除き、泥沼の抗争から手を引く。史実でも梶原景時の弾劾状に時政の名は記されていないため、実際にありそうだと思わせるほどの脚色力だった。
りくのささやき戦術にのせられ、時政は頼家を呪い殺そうという大胆な行動にまででてしまう。この大胆な行動で娘阿波の局の夫全成をも巻き込んでしまうこととなる。りくとの関係性の危うさを懸念し、時政に度々くぎを刺し続けるのが義時だ。義時は、先の比企の乱で、能員暗殺と比企一族討滅の筋書きを描いた。時政はその筋書きに沿って能員を討ちとる。このように、ドラマの時政は、りくにそそのかされたり義時に背中を押されるなどして重要な決心をし、事件に巻き込まれて右往左往する不器用な好々爺という印象を受ける。時政を演じる坂東弥十郎氏も、鎌倉氏大河ドラマ館で放映されていたプロモーション映像の中で今後の展開について、「りくや義時に振り回されて…」と述べており、チャーミングな時政像は制作陣では共通認識とみられる。


【骨肉の争いの中心には常に時政あり】
 中世史研究者の本郷和人氏によれば、北条時政は、鎌倉時代に成立した歴史書「吾妻鏡」では「当国の豪傑」とされている。これは特筆すべきことがない場合にみられる常套句という。しかし、本郷氏は北条時政直筆の書状を見た時、書かれた時の巧みさから「ただものではない」とも感じたそう‹1›。奈良時代の当代随一の能書家である嵯峨天皇や空海、橘逸成は「三筆」と呼ばれ後の世にも伝わる。コピー機やワードがない時代、字を上手く書ける技能は古代・中世の政治家や文化人として重要なスキルだったことがうかがえる。頼朝の挙兵に付き従ったというのも、時政がただの田舎侍ではないことを裏付けるエピソードではないか。平家に必ず勝てるという保証もなく、負ければ一族全員皆殺しとなる可能性もある。いくら源氏の血筋の頼朝と言えど、挙兵にどれだけの者が賛同するかなんて未知数だったはずだ。そんな「大博打」に乗った時政はやはりただものではないと思われる。
 武蔵の有力御家人畠山重忠を殺した時も、実朝を殺して娘婿平賀朝雅を次期鎌倉殿に擁立し、外祖父として鎌倉で権勢をふるおうと画策した時も、いずれの事件にも時政が常に中心にいた。先週ドラマで描かれた比企の乱も、史実を素直に解釈すれば首謀者は時政だろう。その証拠に頼家は、病床で比企能員の死を知ると、時政の討伐を御家人たちに命じる。同時代に書かれた「愚管抄」には、大江広元邸で療養中だった頼家が病のため自ら出家し、あとを一幡に託そうとしていたとの記述がみられる。一幡が鎌倉殿となれば、乳母父の比企能員が外祖父として今後鎌倉で実権を握ることになる。頼朝の挙兵に加わり、石橋山の戦いではともに苦杯をなめ、息子まで亡くしている時政は、自分こそが鎌倉の最大の功労者であるとの自負があったはず。おいしいところだけ持っていく比企のことを苦々しく思っていたであろうことは想像に難くない。
 比企の乱、その後の畠山の乱で坂東の大半を手中に収め、初代執権の座に就く。次第に肥大化していく時政の権力に恐れをなしていたのが、他の御家人たちだろう。身に余る野心を見せた強権的な人物だったからこそ、鎌倉殿の首を挿げ替えようとした牧氏事件で他の御家人の離反を招き、鎌倉を追放されることになったのだろう。だが、大河ドラマでは今のところ、史実のような強権的な側面は鳴りを潜めている。ともすれば、義時に今すぐにでも追放されてしまいそうだが、今後どのように描かれるのか。りくや義時の傀儡であり続けるのか。どこかで化けるのか。

鎌倉市・妙本寺にある比企能員の墓(筆者撮影)

【父時政の陰謀の裏で「返り血」を浴びる義時】

 ドラマでは次第に裏ボスとしての風格を見せ始めた義時だが、史実では血みどろの権力闘争の最前線にいたことがわかる。比企の乱では、次期鎌倉殿に目されていた一幡を殺すための手勢を派遣している。伊豆に隠居した頼家の暗殺の時も同様だ。畠山重忠の乱では討伐軍を自ら率い、重忠を討っている。つまり、時政の謀略の汚れ役を引き受けている。比企の乱当時、義時は比企一族の娘姫の前を妻に迎えており、北条と比企の抗争においては複雑な立場だっただろう。妻の実家を滅ぼし、次期将軍最有力候補とはいえ幼子に手をかけなければいけないのだから尋常ならざる心理状態だったと思われる。頼家だって頼朝念願の嫡男で、母は姉政子だから、本来は殺すのもはばかられるだろう。畠山重忠の乱では、重忠殺害後、「坂東武士の鑑」との誉れ高い重忠が謀反を画策するわけがないと反発までしている。この反発と重忠の賛美は、父時政から強制されて英傑である重忠を殺さざるを得なかったことに対する自己弁護との見方もあるが、近年の研究では、義時が北条家当主の時政に逆らえなかったということを考慮すべきとの分析もあるという。こうしてみると、裏ボスとして徐々に鎌倉の中で頭角を現してきたドラマでの義時像とは大分印象が異なる。父時政が主導した血みどろの権力闘争の最前線に身を投じ、将軍やその子供、頼朝以来の重臣に手をかけ、返り血を浴びる中で身も心もすり減らしていく悲しき息子の横顔が浮かび上がってくる。
 ここからは私の想像だが、御家人たちは、将軍を殺めてまで権勢をふるおうとする時政を恐れ、父の元で暗闘する義時に同情的だったからこそ牧氏事件で時政ではなく義時・政子姉弟に味方したのではないだろうか。自身が権力を握るためなら頼朝以来の功臣だろうが、将軍だろうがさえもぶっ殺す。そんな奴危なくてついてゆけない。自分もいつ裏切られ、殺されるかわかったもんじゃない。というのが、時政の横暴を横目に見ていた御家人たちのリアルな感覚だったのではないかと思う。


【横暴な父の元で政子も…?】

義時の姉政子も、横暴な父時政のもとで苦しんでいた者のひとりだったのではないだろうか。政子にとって頼家は念願の嫡男だった。最愛の夫頼朝にとってもそうだった。いくら聞き分けの悪い息子であったとしても、そう簡単に殺そうなどとは思うだろうか。頼家を最終的に伊豆の修善寺へ隠居させたのは政子だ。時政討伐の声を上げるが、もはやだれも味方する者がいなかった頼家は自ら太刀を持って時政を討とうとするが、母政子に全力で止められる。政子のこの行動を、頼家の命を父時政から守るための決死の行動だったと解釈するとどうか。結果的に頼家の命は助かり、抗争の激化は回避された。
 しかし時政は後に隠居中の頼家を殺してしまう。大姫を早くに亡くし、その数年後には念願の嫡男だった頼家も殺される。これ以上我が子を死なせまいという決死の行動を反故にされた政子の心境はいかばかりか。その後時政は実朝を殺して平賀朝雅を鎌倉殿にしようとするが、頼家だけに飽き足らずもう一人の息子まで殺めようとする父のことを許せなかったに違いない。
 義時の墓は頼朝の墓のすぐ近くにつくられているという。作らせたのは政子ではないかと伝わる。このことから、クソ親父のもとで共に苦労し、最愛の夫が築いた鎌倉を必死で守り続けようと奮闘した弟を陰から見守り、最も理解していたのは政子だったのではないかと推察する。

https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/treasury/hokkedo.html

 そんな政子だからこそ、義時の味方となり、実朝殺害を画策した時政の追放をしたのではないだろうか。ダークヒーローとしての道を早くも歩み始めたドラマ上の義時に、上述したような運命が待ち受けているとは今のところ思えない。何なら今すぐにでも時政を追放できてしまいそうだが。今後、史実との整合性をどのように図ってゆくのか。もしくは、梶原景時の乱のときのような思わぬ脚色があるのだろうか、期待しながら見守りたい。
(了)


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