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インターネットの砂嵐は脳を洗う

毎日毎時毎分毎秒全国全世界全宇宙のあらゆるニュースとその数十倍の意見を日々眺めている。非科学的なデマが拡散され、インプレッションゾンビが徘徊し、誹謗中傷で傷つけあうSNSはまるで生物災害で荒廃した世界で、動物のかわいいドジに「こういうニュースばっかり見ていたい」なんて吹聴するサムさを耐え忍んで、あらゆるぜいにくまみれの”ニュース”を眺めている。

しかしながら、正誤入り乱れるも多種多様な意見たちは案外いろんなこと―—主にその意見に至る文脈や背景、それらへ誘導した価値観や認知などを分析・理解しようとすること―—に使えそうで、清濁併せ呑みながら人生を終わらせない程度の暇つぶしとしてけっこう楽しんでいる自分がいる。

しかしその影響力はインターネットの世界の中で起きてることだから安心、というわけにはいかないようで、どうやら最近友人が思考や思想が偏ってる気がしている。現在は物理的に距離があるので、あくまで断片的な情報による見立て・主観だが、婚活のために作ったアカウントで情報収集するうちに偏った情報や価値観が元来の性格や半生が結びついてしまったようで、会うたび連絡をとるたびに嫌な人間になっていっている。正直なところ今の彼女は嫌いである

その辺のテキトーな人間なら関係を断って終いなのだが、似た学生時代の境遇を持つ者同士というシンパシーを勝手に感じているので簡単に見捨てることもできずにいる。とはいえどんどん嫌な人間になっていく嫌いな人間とゆるくも付き合っていくことを想像すると不安でしかたがない。嫌いな人間の偏った認知に余計なお節介を焼こうとしているのだからわたし自身もタチが悪い。

30代の目下の生活美学として「なるべく偏らない」ことを心掛けている。何を以って”偏り”とするかはさておいて、これから40、50、60と歳を重ねていくにつれてわたしが現在見ているトンデモでトンチキな事を言ってる不幸せそうな張本人にならないよう、末永く幸せそうに生きていけるように砂時計のようなに下地をつくることを意識し始めた。焦りはじめたといってもいい。

ガキンチョの頃から大人が周りにたくさんいた環境だったので、大人になると頭がカタくなるということは散々言われてきたし、20歳から得た知見によるとどうやらそれは間違ってはなさそうだ。

いつかわたしもそうなるならば、なるべく良き人物としてカタくなっていきたい。とかくインターネットは自己洗脳しやすい。

インターネットという独立したコミュニケーションで否定や共感によって思考停止させて価値観を改変していく様はカルト宗教やブラック企業の洗脳の手順に似ている。良くも悪くも純粋なこの友人もおそらく自己洗脳にちかい状態にあるのではないかと思う。押さえ直すが、あくまでもわたしの見立ての上で、だ。そうでないなら幸いだ。

つまりわたしが彼女にお節介を焼くということはすなわち、洗脳状態にある人間を解脱させるということに近しいことなのだろう。なんだか大変そうだ。

最近感じたモヤモヤを言語化して整理しようとおもいこのテキストを書きはじめたのだが、思っていたより壮大な話になってきた。一旦は言語化に成功できた手応えがあるので今回はこのあたりで栞を挟むとします。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

おしまい。


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