あるべき姿に戻す労力

お久しぶりです。飯子です。

今日はコーヒーの粉をカーペットにぶちまけました。私の家でやった分にはいいんだけど人の家でやっちゃったモンだから大変です。丸1日かけて掃除することになってしまいました。申し訳ないです、ナナチキ1個じゃ済まされない。

こんな惨事になって申し訳はないのに、私はいまだにコーヒーを拭くのが面倒くさいです。
コーヒーどころか、洗い物をするのも面倒くさい。
できれば美味しいご飯を簡単に食べたいし、料理も買い物もしたくない。
ペットボトルで喉を潤したいけど、蓋を閉めるのは苦手。

なんで世の中の飲み物は蓋を閉めないと溢れる設計になっているのでしょうか。とてもとても面倒臭いので、蓋を閉めなくても水はこぼれない方が良いと思います。

日常にはいつも「あるべき姿に戻すための労力」がかかっています。例えば「読んだ本を棚に戻す」とか「お会計したら小銭を財布に入れてチャックを閉める」とかそういうものです。「あるべき姿に戻す」ということを意識しなくても反射のようにできる人がいる。自分はいつまで経っても蓋を閉め忘れてにペットボトルをカバンに入れてびちゃびちゃにする。でも次の日にはおんなじことをやってしまうのです。肩が凝ります。

「あるべき姿に戻す労力」がプログラミングされて自動でやってくれるようになったらきっと失敗の8割くらいは削減されるんじゃないかな。そんなこと言ってないで、私が注意深く生きるべきなのでしょうか。…きっと後者なのでしょうね。

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