見出し画像

伏見稲荷で思った幸福論 みんなの幸せに包まれて生きるという幸せ

肺炎騒動が起こる前、伏見稲荷大社は海外から来た観光客に特に人気でした。

タダで入れてエキゾチックな千本鳥居はSNS映え抜群で、レンタル和服も楽しめて、稲荷山全体に広がっているのでトレッキングもできる。これで人気が出ないわけがありません。大まかな印象ではアジア系の人は全般的におしゃれを楽しむ傾向で、欧米文化圏っぽい人は運動しやすい格好で自然と一体となった神社の散策を楽しんでいるようでした。

一方で日本人観光客もそこそこ来ていました。家族連れなどよりは修学旅行が目立っていました。

とにかく年がら年中、ずっと世界中から人が集まって楽しんでいる光景が見られたのが伏見稲荷大社です。まるで清明上河図のような圧巻さがあります。

私は京都に行くと必ずここに一度は立ち寄って、この喧騒を眺めてしまいます。単に賑やかだからではなく、本当に天堂にでも来たかのような雰囲気があるからです。

いろんな人種や文化の人たちが、お互い深く干渉することもなく、それぞれ思い思いに楽しく過ごして、みんなが幸せそうにしている中にいると自分も幸せな気持ちに包まれていくからです。

もっと言うと、自分と親しい親しくない、好き嫌いも何にも関係無くみんな笑顔になっているところが良いと思います。

これこそ世界平和が実現した世界ではないかと思ってしまいます。

実際の世界ではこんな事は難しいでしょうが、お稲荷さんに遊びに来ているその一瞬なら、こんなにも平和にお互いを尊重してみんな笑って過ごせるんだなという事にもしかしたらいつの日か…と希望を持ってしまいます。

自分だけが富などを独占している幸せもアリなのかもしれませんが、自分の周りにいる人がみんな幸せな状態でそれに包まれて感じる幸福感の方が自分は好きだなと伏見稲荷の風景を見て気づかされました。*似た例だとディズニーに行った時もそんな気持ちになります。周りの人たちや、一緒に来た人たちの楽しそうな様子で、自分も来てよかったなぁと楽しい気持ちになります。

自分は富も権力も無いので、そういったものを独占する事情があったとしてもわかりませんが、そういう人たちが、極論を言えば親の仇でもなんでも含めて、だれもかれも皆で幸せになった時の良さに目覚めてくれたらいいけどね…と少しだけ期待しています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?