見出し画像

文章は何を書いているか読むのではなく何を書いていないのかを読む

評論家の若松英輔さんが最近ボイシイを始めました。
若松ファンの私は早速毎日聴いています。

若松さんは多読ではなく、深い読みを進められていて、たくさん書く、たくさん読むというのは間違っているといいます。

そして、読むということは、何が書かれているのかを読むのではなく、
「書き手は何を書かなかったのか」を読む。

というのです。

その話を聞いた時、私はこんなことを思い出しました。

教員を辞める時、同僚が手紙を書いてくれました。
そこには「チェロキーさんの新しい出発を応援します。」とありました。

しかし彼女は私が辞める1週間前、
自分のクラスの保護者とのやりとりで苦しい場面があり
「この仕事って何の意味があるんだろう」
と言って泣いたのです。

教員の仕事が好きだと言って、一緒に働いてきた仲間が教員を辞める。

自分に降りかかる理不尽さと、そこからいなくなろうとした私への寂しさが彼女の中で、爆発して溢れ出たということです。

たくさん書いてくれた手紙の中に、応援の言葉の裏にある、寂しさや無力感を私は読み取りました。


私の選択を応援してくれた彼女は、今年は研究主任。
また新しい子どもたちのために、奮闘しています。そして、教員という仕事を心から楽しんでいるように見えます。

いつかあの時のことをもっと詳しく聞いてみたいと思います。

書かれなかったことを読む。
この言葉は圧倒的に読むことの世界を広げてくれたと思っています。

もっと人に伝わる文章を書きたい。

そして、書かれないことまで読んでもらえる関係性を築きたい。

そんなことを思う配信でした。


自分の信じた世界から自分を高める
共に学ぶ舎「HAG」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?