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日向坂文庫2021#10(影山優佳×道尾秀介『光』)


noteを開いていただきありがとうございます。

ちゃすいです。


今回は日向坂46文庫フェアより、影山優佳さんが表紙となり、道尾秀介さんの『光』の感想について書いていきたいと思います。


この物語は、とある少年たちの周りで巻き起こる(巻き起こす?)事件や出来事を利一という少年の目を通して描いた作品です。
なぜ利一という少年の目を通してなのか。
まあこれは最後にわかるので、今は触れずに置いときます。


色々な出来事がありましたが、個人的に気になったのはデパートの床に本物のアンモナイトが埋まっているということです。
いやー小さいころ、それこそ小学生ごろは化石が埋まっているって感動したことありましたが、大人になってからは人工物かとばかり思っていました


簡単にですが調べてみると、本物のアンモナイトや三葉虫の化石が埋まってるんですね。

化石が入っていると値段が高そうなイメージがありますが、意外と安い場合もあるようで、また大理石や人口の石などで雰囲気づくりをするのにもいいらしく、高級感を漂わせるのにデパートなどでは使われることもあるそうです。

大人になった今、じろじろと床に埋まっている化石を見ながらデパートを歩くなんてことはできませんが、子どものころであれば、いくらでもできたのかな~。



さて、この物語は、利一という少年の目を通して描かれつつも時折、悦子の回想シーンが入ります。

その中でも印象的だったのは「眩しい」という漢字は目に玄(暗いや黒いという意味がある)が出来ていることへの悦子の解釈です。

長くなりますが引用すると

人間に感光度というものがあったなら、その数値はきっと、年を経るごとに減少していく。かつてわたしたちは、あまりに無防備だった。目にしたもの。耳にした言葉。おぼえた感情。あれもこれもー望まないものまで含め、眩しさとともに深く心に刻まれた。そしてそれらは、いまも色あせずにここにある。光を感じることが難しくなったいま、わたしたちは気づけば昔を振り返り、眩しさに目を細めている。
薄暗い場所から、光を見ている。

なるほどな、自分が今暗い場所にそこから光を見る。
それゆえ、まぶしく感じるから「眩」になるのか~。


ちなみにですが、私はまぶしいものを見ると、目を閉じる(暗くなる)から「眩」かと思っていました。

「嘘」についても勉強になりました。
口からうそをついても何もない、何も生まれないから「嘘」だと。
感じって奥が深いですね。

ちょっと勉強したくなりました。


最後に、なぜ利一目線で書かれているか。
まあ読んだ方ならわかると思いますが(てか明らかにされてますが)、この作品は利一が書いた物語という設定になっているからです。
まあほぼほぼ実話のようですが。

しかし最後の部分だけ違うと。
人魚の首がツノダにぶつけたのが悦子ではなく、花火の爆発で飛び出てきたことに変えたそうです。
理由はそっちの方が「夢」があるから。


そういう意味でもタイトルが「光」というのがわかります。
大人になっても夢を見たい。
それはまた光のように輝いているのでしょう。
だからこそ最後の首をぶつけたのが悦子ではなく、花火の爆発で飛び出たことにしたようです。

何か奇跡が起こった感じがして確かに夢がありますし、光がありそうです。


とまあこんな感じでしょうか。
少し童心に戻れるというかわくわく感もありつつ、儚さも感じることのできる作品でした。

最後までお読みいただきありがとうございました。

それでは失礼します。

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