実家という呪いにやられちゃう君へ

ハーイ、返事遅くなりました。
生まれる家を選べないのって本当にやるせないよね。
しかもその呪いはすぐに僕らが見ている世界の色を変えようとしてくる。
呪いイズVERY厄介。

まともに生きるって何だろうね。
誰かの基準じゃなく自分が満足する生き方をするって事なんだろうけど、誰かの基準と自分の基準を見分けることも中々高等テク。
基準だけじゃなくて他者の課題と自分の課題をうまく仕分けできず、過剰に自分を責めたり、逆に相手を責めすぎたりしちゃうこともあるし、あーライフイズハード。

あと自分が満足する=自信とか自己肯定感ってものが何なのかもわりと謎だよね。
俺は「どれだけ自分であり続けられたか」なのかなって思ってるけど、じゃあ自分って何?的な。沼。

最近読んだ本の中に、「人格とは私たちの中にある心理学的構造ではなく会話中の活動である」っていう言葉があったんだよね。
ほほう、と思った。
これは中々の救いだと思った。
つまり「自分」ってものは硬い殻に覆われた何かじゃなくて、今から成していく会話の中で作っていける、柔らかいものなんだって。
we can make it!可愛いも人格も作れる!じゃんって。

これが呪いと戦う武器の一つになれないかな思う。
人と人の間で紡がれる言葉で僕らは作られていく。今誰かと紡ぐ一つ一つの言葉の力を信じていくことの先に、自分である事を喜べる日が来るのかなーと。曖昧さすごいけど。
良い言葉がうまく紡げない関係は嫌な自分が作られるだけだから避けた方がいいよね。無視無視。

陳腐だけど、過去は消せないけれど今は作れる。痛みは消えないけどその色を薄めることは出来る。「今日寝坊したの呪いのせいだから、私悪くなくね?」ぐらいの距離感でやってけばいいのかな。

早くまた皆で良い人格つくる飲み会&カラオケやろうね!チャオ。