Ridge-i創業の背景(2018のインタビュー)

Ridge-iの柳原です。

創業から4年半たち、社員数も50名近くなってきました。
コロナによる市場と働き方の変革、AIのマーケットバリューの変化(成熟期に移行中)への対応、これまでのAIの先にある技術への研究開発など、毎日やるべきことが多く、あっという間に過ぎています。

社員が増えることでより可能性が増えていく中で、デメリットとしては「なんのためにRidge-iを立ち上げたのか?」というミッションや私の背景を共有する必要性が増してきているなぁ、と感じています。

創業当時の10人以内の規模ならば、私が常に真横で作業をしていて、どのように仕事をしているのか、どんな話をしているのか、毎日10時間くらい一緒に経験できるので(多分良い迷惑)改めて話すことはなかったのですが、30人を超えたあたりからきちんと話す機会を設けないと、微妙な背景理解がずれることが増えてきました。

そこで創業の経緯について話したものを探したところ、3年前の2018にメディアの方にインタビューを受けたものが簡潔でわかりやすかったので掲載します。

(改めて書き起こすことも可能なのですが、Connecting Dotが無意識に働いて良いように、かっこいいようにと記憶を修正しがちなので、若干の加筆のみで、2018年時点のままにします。)

インタビュアー>
Ridge-iをなぜこのタイミング(=2016)で創業したのか?

柳原>
「インターネット・スマホに続く、AIの世界的な大波を逃したくなかった」

10年のキャリアを通じて世界的な大企業を知り、素晴らしいプロフェッショナルの働き方を見てきました。先端技術を実際に活かすことの楽しさと、これまで見てきたようなプロフェッショナルが切磋琢磨しながら活躍する場を自分でも作りたい、そのような想いから先端技術としてAIと、RIDGEのコンセプトに行き着き創業しました。
小学生の頃から、いつか起業したいと思っていました。連続起業家である祖母が印刷会社を経営しているのをずっとすぐ近くで見てきたからです。私の興味は小さな頃からコンピュータにありました。小学4年生の頃、周りのみんなが持ち始めたスーファミがうらやましくて、スーファミが欲しいと親に言ったら、PC-9821が渡されて、「これでゲームを自分で作れるよ」と言われたのがプログラミングの始まりです。中学生のときには、祖母の会社の6つの工場をITでつなげ、印刷レイアウトや歩留まりを高めるソフトウェアを開発するまでになっていました。その後は秋葉原に毎日通うプログラマー兼ゲーマーとなりました。

大学時代に一度、ホームページ制作会社を立ち上げたり、ゲーム制作を行ったりしたのですが、本格的に起業する前に「祖母の印刷会社よりも、もっと大きなインパクトを出す仕組みを学ぶためにも大企業を知りたい」と思い、大学卒業後はNTTコミュニケーションズに入社しました。その新卒採用面接で将来像を聞かれた際に、「10年後にはNTTをやめていて起業したい」と生意気なことを言ったのですが、実際にほぼその通り、34歳で起業を実現しました。
(※追記 そのときの面接官は現NTT持ち株社長の澤田純さんで、その後も直属のチームに配属していただきました。)


NTTコミュニケーションズでは、インターネット周辺の新規ビジネスの企画・実現にいろいろと関わることができ、楽しい日々を過ごしましたが、そのうち、通信と同じく大きなビジネスインフラである金融に興味が出てきて、またグローバルな会社で働きたいと考え、その時Forbesで一番大きい会社を探して世界最大級のメガバンクHSBCの日本法人、HSBC Japanに移りました。ここでは、保険の為替トレーディングシステムなどの設計・開発に携わりました。次に、サラリーマンでいる間に実際に海外経験を積みたいと思い、香港に住んで大和証券キャピタルマーケッツ/Daiwa Capital Markets Hong Kongで現地社員として働き、高頻度取引などのアルゴリズム設計・開発を担当しました。
2011年、震災と母の大病が重なったのをきっかけに帰国し、世界最大の資産運用会社、ブラックロック・ジャパンでプロジェクトマネジャーとなりました。詳しくはお話しできないのですが、数十兆円規模の資産を扱うシステム開発や導入リードなど、本当に大きなプロジェクトのマネジメントを任せていただきました。
こうした10年強の経験で、幸いにも世界的に有名な大企業を知ることができ、そこで働く何人もの素晴らしいプロフェッショナルの働き方を見てきました。そろそろ起業してもよいのではないかと思いました。
これまでのキャリアを通じて、先端技術を実際に活かすことの楽しさと、これまで見てきたような異なる専門性を持ったプロフェッショナルが切磋琢磨しながら新しいアイデアを生み出す活躍する場を自分でも作りたい

また、キャリアを通じて自分の強みを振り返ると、難解な技術をビジネスサイドの言葉として翻訳でき、提案できることが自分のスキルとして最もバリューであったと思い至ります。

このバリューは先端技術が生まれるたびに常に起きる社会的ニーズと考え、RIDGE(技術追求とビジネスインパクトの追求が高みでぶつかる新しいソリューション)のコンセプトが生まれます。
そして、先端技術としてはふと見れば、目の前には「AI」の世界的な大波がやってきていました。思えば私は、インターネットの波には学生の遊び程度しか乗らず、スマートフォンの波には乗り遅れました。この大波は逃したくありませんでした。それに、AIには、既存のルールベースのITシステムでは解決できない課題を解決できるという大きな魅力がありました。それでRidge-iを立ち上げたのです。2016年のことでした。
私たちにとっても宇宙はフロンティア

いまは2018年、ちょうど3年目が始まったところです。私たちは一貫して、クライアントのビジネスの成功を第一に考えてきました。最高峰のAI先端技術(ディープラーニング、機械学習技術を中心とした先端技術)を活用して、ビジネスの最高地点をクライアントと一緒に目指していくことをミッションとしてきました。その結果、お客様のニーズも増え、ビジネスは順調に成長を遂げています。

皆さんご存知の通り、日本の労働力人口は減る一方で、単純労働や職場環境の良くない仕事にはなかなか人が集まらなくなってきました。人材不足で本当に困っているビジネスの現場がすでにいくつもあります。そこで私たちは、工場でつくる商品のキズを見分ける検品作業をサポートする異常検知AIソリューション、画像彩色のアシスタント業務を行うAIソリューション、ゴミ焼却炉のゴミ選定やゴミを燃えやすくする作業を肩代わりするAIソリューションなどを提供してきました。これらはどれも、人材不足という日本経済の大きな課題解決に貢献できるサービスです。言い換えれば、私たちは、クライアントのビジネスの成功が、そのまま日本経済や日本社会の改善に直結するビジネスを推進しているのです。

私たちのAIソリューションを必要とするビジネス領域は他にいくつもあり、捉えきれないほどの莫大な可能性があります。また、私たちはAIビジネスだけに留まるつもりはありません。たとえば、「ディープラーニング用の組み込みハードウェア」や「SLAM(ロボット掃除機などに応用されている自己位置推定と環境地図作成を同時に行う技術)」といったAI周辺のテクノロジーも迅速にキャッチアップし、総合的にビジネスに取り組んでいきたいと考えています。

さらに言えば、私たちは今後、「宇宙関連ビジネス」にも力を入れていきます。衛星データは宝の山で、十分に活用されていない知見がいくつもあります。たとえば、私たちが日常的に使っているスマートフォンの地図アプリ(地理情報システム)は、衛星データを活用した非常に便利なサービスですが、これは序の口に過ぎません。今後、衛星データを活用したAIソリューションやAIサービスがいくつも立ち上がってくるはずです。私たちはその分野にいち早く飛び込み、ゆくゆくは衛星データ解析の第一人者になれたらと考えています。私たちにとっても、宇宙はフロンティアなのです。
ビビッド(鮮明に)にゴールシーンを想像すれば夢は実現する

ところで、私の趣味はトレイルランニングで、UTMB(ウルトラトレイル・デュ・モンブラン)という、ヨーロッパアルプスの最高峰モンブラン周辺の山岳地帯を走り抜く169.4kmのウルトラトレイルマラソンを過去に3度完走してきました(2014年・2015年・2018年)。この経験を通して私が深く悟ったのは、月並みな言葉ですが「願えば叶う」ということです。ただし、その願いは、ぼんやりとしたままではダメです。鮮明かつ詳細に夢を描くことが重要です。ビビッドにゴールシーンを想像すればするほど、夢は実現するのです。なぜなら、その想像に沿って、その想像を信じて、自分が行動を起こすからです。夢に見るくらいビビッドに思い描くと、その夢が正夢になります。

最初のレースでは、スタート地点のシャモニー=モン=ブランを再び見たいという強い気持ちを1年以上保ち、その風景を必ずみる、という気持ちで日々練習に挑みました。そして練習中も、レース中も何度も挫けそうになる中でも、私を強力に後押しして完走しました。2回目は最後に娘と一緒にゴールするシーンを、3回目は家族全員でゴールするシーンを夢に出るほど思い描きながら、日々厳しい練習に臨みました。その結果、完走することができたのです。

私は、仕事もまったく一緒だと考えています。1年後、2年後、3年後の会社の姿をそれぞれ克明に思い描き、それに沿って行動することで、リッジアイを形作ってきました。いまのビジネス規模や社員数は、おおよそ私が起業当初に考えたとおりです。これからも、私は「ビジョン→行動」のプロセスを重視していきます。できたら社員全員に、このプロセスを大事にしてもらいたいと思っています。そうすれば、リッジアイは必ず成功を収め、日本経済・日本社会に大きく貢献することができる。私はそう信じています。

代表取締役社長 柳原 尚史


追記:
※海外経験について、駐在ではなく、現地社員として海外で働くことの大変さを知ったのは非常に良い経験でした。いまRidge-iで働く多くのGlobal Talentの理解につながっています。

※金融ではBank/Buy Side/SellSide といろいろな側面で金融を見れたことでお金の流れをしっかり見られたのは貴重な経験です。

※自分の強みを振り返った際に、ファンドマネージャーからバックオフィスの事務の人と、フロント〜バックの全員ときちんと話せているエンジニアは自分しかいないことに気づきました。特にHSBCを辞める際に、フロントの人たちがIT部の上司あてに「柳原をやめさせないでほしい」と署名してくれた事は一番うれしい評価です。今でもクライアントから評価されることの重要性を考える際の源泉です。

※勉強のために資格をよく取りました。体系立てて学べるためです。資格=仕事できるではないので要注意。

高校生:簿記3級、情報処理
大学生:ネットワークスペシャリスト、簿記2級、オラクルマスターゴールド
社会人:証券アナリスト、宅建、証券外務員、TOEIC(900位)、TOEFL(90位)

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