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「雪の華」魂からのメッセージ

先日天然石を無くした話を書きました。

それともうひとつ、その天然石と同時に購入したブレスレットを、実は7年前の2015年の2月の兄のお葬式に忽然と姿を消しました。

私はお葬式用の数珠は持たない人で、大切に肌身離さずつけていたそのブレスレットを腕にして出かけたのです。

出かけた時は、外で外す事はないですから、

家に帰って何処かに置きっぱなしだと思うのですが、7年経って、もう見当たりません。

その天然石のブレスレットも、無くなるのには意味がある、と当時も思っていました。


次男の兄は、脳幹出血でこの世をあっけなく去りました。

亡くなる時は、不思議な出来事がありました。

突然倒れた、危篤で病院に運ばれた、と連絡が入りすぐ行きました。

脳だったので、私達の存在はもう分からないほど、苦しそうに唸っていました。

家族や身内の方達は周りにいて、悲しんで呆然と立っていました。

姉と私は、兄の手をさすったり握ったりして、頑張って、との声しかかけられません。

手の施しようが無いので手術はせず、このまま見送るしかない、と医者は言いました。

こんなに苦しんでる兄が痛々しく気の毒でなりませんでしたが、

私達兄弟は、近くの住まいではないので、兄を置いてそのまま帰るしかありませんでした。

兄がこの世から居なくなる、そんな事は考えたくは無かったけれど、

助からないとは、もう会えないという事、それを覚悟で帰るしかありません。

長男の兄から、「いつどうなるか分からない、連絡するから仕事中でも携帯持っていろ」と言われていました。

私は翌日、ボーッとし過ぎて、仕事中携帯を持つのを忘れていました。

仕事場の修理したばかりの機器が、私が触ったら急に動かなくなり、

ハッと思い、虫の知らせか?

携帯を持つのを忘れてたのに気づき、直ぐロッカーに取りにいったら、案の定長男の兄からのメール。

兄が亡くなった、との連絡でした。

兄の死を受け入れるのに時間がかかる。

泣くと余計悲しくなるので、何も考えないようにしました。

これは本当の別れではない、私もあっちに帰ったら会えるのだ、一時の別れなのだ、と強く言い聞かせました。

兄は見た目はヤクザっぽく貫禄があり強面で、ふざけた冗談を言う人だったけど、中身は繊細でとても優しい人でした。

きっと面倒見も良かったに違いない、と思うほど葬式には沢山の人が来ていました。

私は不謹慎にも葬式の日、眠くて仕方なかったのです。

私はこういう大事な席で、よく居眠りをしてしまうのです。

そして必ず、誰かにポンと肩を叩かれように起こされ、それは人間の手ではないことを感じてはいました。

その時もポンと叩かれ、必死で起きようとし、頭をうなだれたまま左下に視線を置きました。

誰かの裸足の両足が見える。

それは大きな男性の足に見えました。

白いものを纏ってる天使のように感じ、すぐそれは亡くなった兄の足だと思いました。

そしてうつらうつらと眠くて仕方なく、顔を上げ全身を見ようとしましたが、それは白っぽく光が眩しくて見る事ができませんでした。

兄は私に、ここに居るよ、と挨拶に来たのだと思いました。

葬式を終えてからも、悲しくなるので、私はあまり考えないようにしました。

もう沢山泣いたし、泣くともっと悲しくなるからと。

生前兄と最後に会ったのは、亡くなる前年の夏。

大きな国立公園と海を、私と娘と初めて3人で見に行ったのが最後でした。

3人で観覧車にも乗りました。

兄は、私の娘をよく可愛がっていて、そしてこの時が、3人で初めて会って楽しく過ごした最初で最後の日だったのです。

その時兄は娘に一眼レフのカメラをくれました。

兄は鳥の写真を撮るのが趣味で、撮った写真を私達に見せてくれました。

新しいカメラを買うからと、突然娘にその場でカメラをくれたので、びっくりしました。

その公園には沢山の花や植物が綺麗に咲いていました。

そのカメラで娘はひまわりを撮っていました。

家に帰って、その写真を見ながら娘はひまわりの絵を描き、兄に感謝の気持ちを添え暑中見舞いの葉書を送っていました。

そのハガキが、葬式の時兄の家のトイレに飾ってあるのを見て、涙が込み上げました。

兄の優しい繊細さが心に染みていきました。

兄には3人の男女の子供がいますが、どういうわけか、私の娘をとても可愛いがっていたので、何か深い縁があるのかなーと思ったりしていました。

葬式を終えた翌日、私のパートナーと娘と3人でカラオケに行きました。

私はHYの366日を急に歌いたくなり、歌い始めたら、兄を思い出すような歌の文句で涙が溢れてしまいました。

私は

「次は、もう歌う気がしない、何を歌っていいのか分からない」

と娘に言ったら、娘が

「次はこれがいいんじゃない」

と言って、中島美嘉さんの雪の華を勝手に入れていました。

特に何も意識せずだったのですが、

曲が流れた瞬間、身体に電流が走ったように震えました。

思い出したのです。

その曲は携帯が初めて発売された頃、兄が受信音に入れていた曲、

何度もその曲を聞く度、兄の風貌には似合わないのに、

本当にこの人は心が繊細なんだ、この曲が好きなんだなー、と当時聞いて思っていました。

娘はその頃はまだ小さかったので、勿論その曲が兄の携帯の受信曲だったなどとは知るよしもありません。

私は、中島美嘉さんの曲は自然に好きになり、歌うこともありましたが、

何故娘がこの曲を選んだのかが不思議でした。

私はそれを歌い始めると涙が溢れ出しました。

そしてその歌の詩の内容の中に、雪を二人で眺めるというセリフのシーンが、

兄と子供の頃、雪に転がって遊んだ思い出が浮かび、涙が溢れんばかりでした。

これは私に対する兄からのメッセージではないかと確信したほどです。

肉体はなくなっても、ここに居るよ!と、

亡くなった人は、残された人が解るように、いろんな形でメッセージを伝えてきます。


暫くして、ある霊視力のある人に、

「亡くなった身内が夢に現れないのですが、もうあちらの遠くにいってしまった、という事ですか? 今どうしてるのかなーと思って」

と何気に聞いてみました。

「あちらの世界でもやる事があって忙しくしてますよ、会いたい時はいつでも呼べば来てくれます」

と言っていましたが、その時は見て貰いたいとは言いませんでした。

亡くなってから、何年も兄の夢は不思議と見ていなかったので、聞いてみたかっただけでした。

最近初めて夢に現れ、それが楽しそうに笑ってる夢だったので、とてもホッとしました。

最初に、私が無くしたブレスレット、特に必死で探してはいません。

私がそれを大切なものだと知っていて、兄は持っていったのではないかと思うからです。



中島美嘉 「雪の華」

のびた人陰(かげ)を舗道にならべ
夕闇のなかを君と歩いてる
手をつないでいつまでもずっと
そばにいれたなら
泣けちゃうくらい

風が冷たくなって
冬の匂いがした
そろそろこの街に
君と近付ける季節がくる

※今年、最初の雪の華を
ふたり寄り添って
眺めているこの瞬間(とき)に
幸せがあふれだす※

甘えとか弱さじゃない
ただ、君を愛してる
心からそう思った

君がいるとどんなことでも
乗りきれるような気持ちになってる
こんな日々がいつまでもきっと
続いてくことを祈っているよ

風が窓を揺らした
夜は揺り起こして
どんな悲しいことも
僕が笑顔へと変えてあげる

舞い落ちてきた雪の華が
窓の外ずっと
降りやむことを知らずに
僕らの街を染める
誰かのためになにかを
したいと思えるのが
愛ということを知った

もし、君を失ったとしたなら
星になって君を照らすだろう
笑顔も涙に濡れてる夜も
いつもいつでもそばにいるよ

(※くり返し)

甘えとか弱さじゃない
ただ、君とずっと
このまま一緒にいたい
素直にそう思える

この街に降り積もってく
真っ白な雪の華
ふたりの胸にそっと想い出を描くよ
これからも君とずっと…