疾患原因がアレとやっと認めたパートナー!エゴを貫く私! noterさんからメッセージが有り難い②
①の前回の続き
病院に行った次の日、彼は相当疲れていたのでしょう。
イビキをかき眠り続けていました。
イビキが聞こえるので安心していました。
「起こしてご飯を食べさせた方が良いのでは!」と言う娘に対し、
私は「疲れてるから寝かしておいた方が良い」と言いました。
しかし、一向に起きそうな気配が無い。
それまで、ゆりかさんから何度かメッセージを頂いていて、夜遅くメールを見過ごしていたのを、朝見ました。
肝臓があまり宜しくないようだと、ヒーリングを送ってくれていたのです。
ゆりかさんには、解毒が追いついていない事が見えていた、感じていたのです。
肝臓がレントゲンで見てもハチの巣状態になってる事や今後のアドバイスのメッセージを貰いました。
ゆりかさんにはいろいろとお世話になり、私の事にまで気遣って下さって、とてもお優しい方です✨
今回の事は感謝しても感謝し尽くせません。
途方に暮れていた私を見つけてくれたのです。
本当に有難う御座います🙏✨
その次の日、彼は従兄弟達と食事会を予約し、更に次の次の日も、別の人と娘の婿を連れ飲み会(本人は飲みませんが)を予定してました。
しかし、婿が知らない相手で乗る気がしなさそう、婿は人が良いので彼の誘いを断れません。
私は「婿も疲れてるし、自分も完全でないのに、また夜遅くなるからやめた方が良い」と強く言っても聞きいれませんでした。
そして、こんな状態で人と会うことすら無理ではないかと思い、
あまりにも眠りすぎてるので、娘と二人で起こそうとしたら、布団がびしょ濡れでした。
なんとか起こそうと大きく声をかけたり、質問をしても、目を瞑ったまま朦朧として、
「大丈夫」としか言わないのです。
これは異常だ、と心配になり、
病院に電話をし、最初に肺を見てくれた呼吸内科の先生に伝えました。
すると「今の状態は先日診察した肝臓内科の先生が担当なのでこの電話は繋げられないので〜」どうしようかなーと言う感じだったので、
私「分かりました、肝臓内科にかけ直します」と伝えると、
「大丈夫ですか?、何かあったら僕の方でも相談に乗りますからね」と言ってくれました。
呼吸器内科の先生をパートナーは気に入っていました。
私もこの先生は、ワクの事はスルーしても、患者さんの気持ちを汲み取ってくれ説明も分かり易かったです。
救急車に運ばれた時「奥様もパニック状態だったと思いますが、よく冷静にご主人の状況をしっかり説明してくれましたね、有難う御座います」、そして最後に必ず「大丈夫ですか?」と気遣ってくれ、第一印象から良かったです。
しかしその先生が今回は担当ではなかったので、再度肝臓内科の先生に電話をし直し、
彼の状態を話しました。
そしたら「アンモニアが肝臓に溜まってるんです、明日連れて来ても大丈夫ですが、今日でも良いです」と曖昧なのです。
またしつこく「こうこうこういう状態ですが、明日でもいいんですか?」と聞き返すと、
「明日でも今日でもどちらでも大丈夫です」と言うので、不可解に思い、
この不可解さは、パートナーの彼が診察した時に、あの先生はあまり良くないとつぶやいてた事もあり(悪口の様になってしまいますが)
私自身も先日の診察の時、明るい話し方ではあるけれど、診察が軽過ぎて、大丈夫かなーという感じがしました。
データーを見て「アンモニアが肝臓に溜まってるので、それを抑える薬をひとつ増やしますね、他に何か聞きたいことありますか」と簡単過ぎて、
私「いろいろ薬を飲んでて、あまり良くなってないような気がしますし、悪化してるようなんですが」と、はっきり言いましたら、
アンモニアが〜の話しを繰り返すばかりでした。
現代はデーターばかりを見て、患者さんを直接見なくなった病院が多くなりました。
お医者さんが忙しいのは分かります、
しかし辛そうな身体を引きずりながらやってくる患者さん、肝心の姿、顔色や👅や👁️や浮腫はあるかなどを五感を使っては診ない。
当てにならないので、娘がいろいろ調べてくれ、危険な状態というような事が書かれていて、
また救急車を呼ばなければならない(これで立て続けに3回目)しかしそれしか手立てはなく、
取り敢えず、彼の従兄弟に翌日の会合をキャンセルする事も加え電話をし、彼の様子を従兄弟に話しました。
「それは危険よ、だって起きないんでしょ、肝性脳症といわれたんでしょ、すぐ病院に連れて行った方が良いよ」
その従兄弟のお母さんも、そんな感じで危なかった経験があったという。
身体全体を見てくれない、データーだけ覗き込み薬を増やします!とだけ言った先生の「明日で良い」という言葉通りにしてたらかなり危険だったです。
いくら大きい病院でも医者の先生によって違うのです。
専門医が言ったから〜、ではなく、自分が不可解と感じたら、疑ってみるべきと思いました。
そして迷ったら調べたり、誰か相談にのってくれそうな人に聞いてみる、
自分がいつも様子を見ているのだから、自分の方が医者より見て分かるのですから、
もしこれを逃したら後悔する所でした。
そしてゆりかさんに言われた事、
『これで亡くなったら、エレスさんが後悔する!』という言葉、
その時は自分の心もボヤけていて、ピンと来ませんでした。
『後悔』という言葉を前もって言ってくれた事で、意識ができたのだと思います。
彼を着替えさせようとしましたが、言う事を聞いてくれず、救急隊の方が
「肝性脳症ですね、大丈夫ですよ、こちらで着替えさせますから」
彼は救急隊の方にも抵抗していました。
救急隊の方は本当に大変なお仕事、申し訳ないほど親切で、病院に着くと、
「ではこれで失礼します、お大事にして下さい」と言って立ち去り、こちらも深く頭を下げました。
病院でまた検査を行いましたが、今回は前回より意識が普通に戻らず、看護師さんの質問に対しても、「大丈夫」ばかり言ってました。
会話が出来ないまま、私は終電に間に合うように帰ることにしました。
病院を出てから、自分は我慢してたのでしょうか、涙が溢れで仕方ありませんでした。
虎ノ門神社が近くにあり、毎回手を合わせて病院に行きます。
私は神社に手を合わせ、彼がこんな状態でも、「良くなりますように」とか、「助けて下さい」とかハッキリ言えない自分がいました。
神社参りは願かけより、世界がとか、視野を広めてお祈りするのが礼儀だとも思ってましたし、
元々個人的に願かけするのは苦手でしたから、
「彼なりの学びがあるのなら神様にゆだねます」と祈っていました。
家にたどり着くまで、マスクで顔を隠し(こんな時は役立ちました)何かを思う度、
しょっぱい涙が次から次と溢れ、肌が痒くなっていました。
意識が戻らないのではないか、とか、それまでの経過の事や彼と会話した事、昔の事などが走馬灯の様に思い出され、
何故か私は、彼に負けた、と呟いてました。
彼とワクの事で反発しあって、ワクの副作用ではないかと薄々感じ始めた頃「ママに負けたよ」と何気に呟いた事がありました。
こうなってしまっても、彼は一度も後悔の様な事はプライドが許さず一切口にしませんでした。
そして自分が選んだ事に対し、身体が辛くなっても、今の社会に対し私の様に怒るとか文句を言いたくなるとかは一切なく、
むしろ、周りが自分がこうなってしまった事に、手助けしてくれ、病院の人達がいろいろと優しくしてくれる事だけにとても感謝しているのです。
そして、何が良くて悪いとかの概念はなく、ありのままに対し一生懸命対処してきました。
それぞれの考え方、思い方生き方は人それぞれ、こちらが無理に変える事はできない、
彼には彼の、私には分からない何かがあるのかもしれません。
だとしても私は私の在り方で主張してきました。
私には彼の様な生き方は絶対できませんし、しようとは思いません。
ただ私は自分の在り方で生きるだけです。
彼も同じでしょう。
涙が溢れる度、どんな境遇であろうと、全ては愛なのではないか、
と訳が分からずそう感じてしまいました。
全ての事、全ての方々に感謝します🙏✨✨
翌日、病院から「携帯が欲しいと言ってます」と連絡が来ました。
私「本人が話せる様になったんですか?」
病院「はい、話せますよ」
そして、昨日早速面会に行きました。
隔離病棟なので、iPad通信で会話しました。
自分が意識がなくなってる所は勿論覚えていませんが、その前後は覚えてました。
看護婦さんや皆さんとても良くしてくれてる事や私達の事に、彼はとても感謝していました。
いろいろ会話が出来て、ホッとしました😌