総理大臣のいない国家、それが日本!!(憲法夜話)②
憲法とは、生命、自由、財産の保護という、国民の基本的人権を守ることを最大の使命とする・・
大臣への反抗は「反逆罪」なのだ!!
ボダンが主権理論を述べたのは16世紀のことだが、それから500年近く経った今日の国家においても彼の思想は生きている。
対外的な面で言えば、今でも国際社会では国家以上の権力は存在しない。
主権を持った国家を縛るものは何もないのだ。
日本人はなんとなく国連がそれに当たるんではないか?という幻想を抱いているが、現実には国連といえども主権国家の行動を縛ることはできない。あくまでも主権こそが最高の権力なのである。
もちろん国内においても、主権は絶対である。
日本国憲法第一条 天皇は、日本国民の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基づく。
デモクラシー国家では、主権は国民にあるのです。
国会が「国の唯一の立法機関」であり、「行政権は、内閣に属する」のも全て主権者である国民がその絶対の力を国会や内閣に信託しているからに他ならないとされている。
ところが、この日本国ではあろうことか、その内閣の一員である大臣に向かって、平気で逆らう官僚どもが数えきれないほどいるのだ。
少し古い例になるが「伏魔殿」征伐を宣言して、それを果敢に実行しようとした田中真紀子元外相でさえ、外務省の役人どもを思いどおりに動かすことはできなかった。
役人どもがいかに田中外務大臣に抵抗したかは、当時を知る人には説明の必要はないだろう。
はたして、田中真紀子氏に外務大臣としての資質があるのか?ないのか?はここではあえて触れない。
だが、たとえ大臣が無能であろうと有能であろうと、官僚はその命令に必ず従わなければならないのだ。
これが近代国家のルールなのである。
日本国憲法第六十五条 行政権は内閣に属する。
憲法に明示してあるとおり、国家主権の一部である行政権は内閣のものであって、官僚のものではない。
したがって、大臣の命令に逆らうことは国家主権に対する反逆に他ならない。
主権者への反逆は、古来より大罪中の大罪。
即刻、死刑に処されても文句は言えない。
まあ、そこまでしないにしても、そういう役人はただちにクビにするというのが、近代デモクラシーの常識である。
ところが、この日本ではどんなに役人が大臣に楯突こうとも、大臣はなかなかその「反逆者」をクビにすることはできない。ましてや死刑など・・(笑)
田中外務大臣にいたっては、言うことを聞かない次官を懲らしめようとしたら、逆に更迭されてしまった!
この外相更迭の一件に関しては、近代デモクラシー国家の大原則に照らしあわせる限り、直属の長である外相に反抗した次官に非があるのは明々白々である。
したがって、その次官がクビになるのは当然としても、なぜ田中外相までもが更迭されなければならないのか?
こんな人事は近代国家ではあってはならないことなのだ。
つづく
【参考文献】『日本国憲法の問題点』小室直樹著 (集英社)
#日本国憲法 #主権 #内閣 #総理 #大臣 #安倍晋三 #日本 #田中 #角栄 #真紀子