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総理大臣のいない国家、それが日本!!(憲法夜話)⑦

憲法9条が外務省を堕落させた

さて、ここまで戦前の大蔵省の例を二つ挙げたわけだが、今度の「真紀子騒動」の舞台となった外務省も、戦前と今では大違いである。

田中真紀子外相は次官の首どころか、それ以下の下っ端課長の首を取ることすらできなかったわけだが、例えば、かの松岡洋右が近衛内閣の外務大臣になったときなど、彼の日独伊三国同盟構想に反抗する大使や公使の首を片っ端から切り落とした。

しかし、それだけの粛清人事を行なっても、外務省の役人たちは彼の人事に粛々と従った。

外務省では次官よりも大使の方が上位である。

外務省では次官になるより、欧米主要国、ことに駐米大使になるのが最高の出世である。

したがって、次官の首一つ切れなかった田中外相を見て、松岡洋右なら「なんと情けないことか」と言ったに違いない。

外務省の話が出たから、ここで少し脱線したい。

およそどこの欧米諸国でも、外務省は「別格の役所」という扱いをされるのが通例である。

というのも、外交というのは単なる渉外や調整の働きではなく、高度に政治的なイシュー(問題)を扱う。

全権大使ともなれば、自分の判断で他国に対して最後通牒を発することもできる。

つまり、国家元首に代わって戦争を起こす権限を持たされているのである。

これは当然のことで、政治家が相手国の事情や歴史的経緯を知っているとは限らないし、ましてや現場にいるわけでもない。

したがって、外交官の判断に委ねざるを得ない。

下手に政治家が口を出してくれば、外交は滅茶苦茶になってしまう。

そこで外務省というのは、どこの国でも時の政権とはある程度の距離を置くのが通例であるし、そうでなければ困るのである。

例えばイギリスの外務省では、外務省の会議には外務大臣が出席できないというルールがある。

大臣はあくまでも政治家であって、外交という高度かつ専門的なテーマに口出しすることはできないというわけである。

これは、その大臣が外交官上がりでも同じことである。

しかし、その代わり、次官以下のスタッフと外務大臣との間には合理的なルールが設けられていて、それが厳守される。

一例を挙げると、外務省内部の機密ファイルなどに大臣は直接アクセスできないが、事務方の代表者から合理的な説明を受けることができる。

その説明を聞いて、大臣は最終的な判断を下しそれを事務方が実行するというわけである。

やはりあくまでも、大臣が外務省のトップであり、スタッフはその指示を守るというルールが確立されているのである。

しかるに現代日本の外務省はいかに?

今の外務省にはイギリスのような「外交のプロ」というプライドは影も形もなくなった。

大臣でもない代議士の使い走りとなり、そのご機嫌取りに汲々としているというのだから何をか言わんやである。

時の政権と一線を画すどころの話ではない。

それもこれも、戦後の日本が「平和国家」になったつけと言っては言い過ぎだろうか?

すでに述べたように、全権大使は独断で開戦する権能を持っている(例・日清戦争時の小村寿太郎。ただし彼は公使だった)

それだけの重責を負わされているからこそ、どこの国でも大使は尊敬されるし、いったん大使になれば、その人は退官しても「大使」と呼ばれるのである。

ところが、戦前の日本では大使が戦争開始を独断する機会なんて絶対にあり得ない。

それでいて大使としてちやほやされ、しかも、使徒報告の必要ない多額の機密費や交際費を渡されていたら、これで堕落しない方がおかしいというものだろう。

その意味で言えば、今の外務省の堕落の根本原因は憲法9条にあるということもできそうである。(笑)

つづく

【参考文献】『日本国憲法の問題点』小室直樹著 (集英社)

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