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総理大臣のいない国家、それが日本!!(憲法夜話)11

かくて「大正デモクラシー」は生まれた

軍部大臣現役武官制こそ立憲政治(デモクラシー政治)のガンである。

このことは、何度も指摘されてきた。

たとえば大正元年(1912)、師団増設中止に反対した上原勇作陸軍大臣の単独辞職によって、時の西園寺内閣は瓦解したのではなかったか?

この「立憲政治のガン」に対し、山本権兵衛内閣は大正2年(1913)、官制を改正して陸海軍大臣の任命資格から現役という制限を除いた。

これによって予備や後備の大将・中将も陸海軍大臣に任命できるようになった。

これを山本内閣の「軍部大臣現役武官制の廃止」と呼ぶ。

これを見て日本のデモクラシー勢力は拍手喝采した。

もちろん、軍部大臣現役武官制の廃止は憲法改正ではない。

憲法には指一本も触れてはいない。

不磨の大典のままである。

しかし、憲法の大改正にも増す大効力を発揮したのであった。

軍部大臣の現役制の廃止で、軍部が政局を左右しうる可能性はなくなった。

それまでとは違った論理が政局を支配するようになったのである。

原内閣から犬養内閣まで(大正7年から昭和7年まで)、政党内閣が続き、英米流のデモクラシーは日本に定着したと思われた。

この間、陸軍大臣の存否が内閣の命数を決したことはなかった。

実際のところ、官制の改革によって現役の制限がなくなったからといって、それが現実に使われたことはなかった。

昭和11 年(1936)に現役制が復活するまでの間、予備役、後備役の陸軍大・中将で陸軍大臣に任じられた者は一人もいなかったのである。

海軍大臣は言わずもがなであった。

政党政治の首相さえも軍部のプライドを重じて忖度したのか、現役武官制の廃止につけこむ者など一人もいなかった。

が、しかし、予備役、後備役の大・中将でも陸軍大臣になれるという可能性の存在こそが政治的には重要なのであった。

この可能性によって陸軍が政治に口をはさむのを阻止できていたのだった。

つづく

【参考文献】『日本国憲法の問題点』小室直樹著 (集英社)

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