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三木那由他「会話を哲学する」から「聖闘士星矢」の台詞を考えてみる


三木那由他著「会話を哲学する」を読んだ。とても面白い。この本では、マンガや小説の興味深い会話例を元に、私たちが会話するときどのようなことが起こっているのか、を分析している。
目下、「聖闘士星矢」に沼っている私は、「聖闘士星矢」内での面白い会話は…、と考えた。すぐに浮かんだのがハーデス編のシャカである。
 
※以下、「聖闘士星矢」のネタバレと素人考察が続きます。理解が及ばず自分に都合よく解釈しているにすぎず、なんの妥当性も保証しません。
 
※主な参考資料:車田正美「聖闘士星矢」(ジャンプコミックス) 
三木那由他「会話を哲学する コミュニケーションとマニピュレーション」

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・バルゴのシャカによるマニピュレーション

アテナの首を取りにきた冥闘士たちを謎技「天魔降伏」でぶっ倒したシャカが、息絶える寸前の彼ら(のリーダー格・ギガント)に語りかけるシーン。(台詞は一部簡略化)
 
シャカ:死が恐ろしいか…
ギガント:恐ろしいものか…ハーデス様に忠実なる者は死しても尚永遠の命が与えられるのだ
シャカ:そうか…だがこのシャカ 生まれてから二十年もの間 常に神仏と対話してきたが 未だに永遠の命をもらった人間の話など聞いたこともないが…それはこのシャカが悟りきれていないせいなのかな…
ギガント:な…なんだと…まさかそれでは…ハーデス様はオレたちに…
 
 
シャカは黄金聖闘士の中でも特にヤバいお人。(「大地に頭をすりつけこのわたしをおがめ!」)十二宮編では本当にサイコパスっていうか…
その危なさはハーデス編でだいぶ和らいでいる。正義の側で戦っているからか、まるで穏やかな常識人のように見える。
 
しかしさすがのシャカ。「いくかね? ポトリと」と言えちゃう男は一味もふた味も違う。
ここで彼がしていることこそ、三木那由他先生がシェイクスピアの『オセロー』を例に説明した「悪意あるマニピュレーション」である(たぶん)。
 
「相手が信じたがっていないことを信じさせるために…質問を繰り返せばいい」(「会話を哲学する」p.264)
 
ギガントの言う「永遠の命を与えるというハーデスの約束」を、シャカは真向から否定してはいない。上っ面のコミュニケーションのレベルにおいては、シャカは「いや、ハーデスがウソつきだなんて言ってないよ? 自分が未熟なだけかなって思っただけ」と言い逃れできる。「他意はございません」というヤツである。しかし、わざわざふんわりとした疑問文になさったところが…かえって悪意あるよね。
 
(なおOVA版では「それとも…」のダメ押しがついている。わかりやすくいやらしくて、初期のシャカを彷彿させますね。でも洗練の度合は原作の方が上のような気がする。)
 
それにしても、死ぬ間際の人間をつかまえて自ら絶望するように仕向けるとか、底意地が悪すぎて笑える。このくだりにはシャカのパワーアップすら感じる。
「きみたちは光さす場所などにけっしていきつくことはできない」と、一輝に向けてあからさまに絶望を語ったときより、こっちの婉曲な言い回しの方がよっぽど恐ろしくないか。短期間で腕を上げられたものだ…
それにしてもギガントの素直さよ。もう少し篤くハーデス様を信じようぜ。
 

・語らないことによって語るカミュ

「聖闘士星矢」の会話はストレートなコミュニケーション(あるいは読者向けの説明)が多い気がするが、それでも興味深い例はある。他には例えば、カミュが宝瓶宮にて氷河を迎えた際のセリフ。
 
カミュ:氷河…わたしはな…いや…もはやなにもいうまい…
 
ここ大好き。カミュの台詞の中でも一番好きかもしれない。これはもしかして、三木那由他先生の言う「約束事のレベル」にすることを避けたシーンなのではないか。

「わたしは弟子のおまえが可愛いから本当のところは殺したくない」をはっきり言ってしまうことはできないんですよ。裏切りになっちゃうから。でも、わたしはおまえに言いたいことがある、とだけ知らせた。全然全く何にも言ってないに等しいのに、黙っていた場合とは雲泥の差が生まれる。氷河もきちんと師の真情を受け止めている。
 
このシーンには私が思いつくだけで何通りもの解釈が可能で、それはまた後日。(いつになるんだ)
 

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