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懐かしきホストファミリーと湖畔のおうち

もう、20年近く前のことなのか。
ウィスコンシン州の、のどかな田舎町に留学していたのは。
大学しかないような町で、電車はおろかバスもなくて。
ときどき留学生のために、ミルウォーキーやシカゴ行きバスツアーが組まれたくらいだった。
 
そうやって数時間かけて都会に出かけていくのもいい経験だったし、
友だちが30分くらいドライブしてモールに連れてってくれたのも楽しかった。
 
でもやっぱり私にとっては、そこでいい教会に行けたことが大きかったし、
その教会ですてきな「ホストファミリー」に出会えたことが大きかった。


大学のすぐ外の様子 とても のどか(春)

アメリカのど田舎に留学する

2006年の8月末に、私はウィスコンシン州の田舎町の大学の寮に入った。
キャンパス内の、主に留学生が入る寮。

ルームメイトはモン人(東南アジアの少数民族)だった。ものすごいホスピタリティにあふれていて、私はただただお世話になるばかりだった。
日本に短期留学していた子で、象印の炊飯器を持っていた(めっちゃ使わせてもらった)。
「日本人は『あれ? あれ?』って言いながらものを探すね」とか、
面白いことを色々話してくれた。
 
さて、入寮時に配布されたたくさんのパンフレットの中に、
「近くの教会」案内があった。
ほぼ大学しかないような小さい町なのだが、教会は4つくらい徒歩圏内にあるようだった。
 
私は教派的にはプロテスタントの、メソジスト系とかホーリネス系の教会(たぶん)に属するので、
Methodist Church
とあるのが目についた。
おー、とりあえず次の日曜はここいこ。
合うかどうかはわからないが、まあ取って食われはしないだろう。

教会の外観 とりあえずよさげである

教会を通して地域社会に入り込む

そうして最初の日曜日に行ってみた教会が、そのまま私のアメリカでのホームになった。
礼拝の雰囲気、賛美歌とか説教の感じが、日本で通っていた教会に似ていて安心した。
日本に昔住んでいたというおばあさまがいらして、色々お世話してくれた。めっちゃ日本語お上手。
どうも、大学の教授だったらしい。
大学町に住んでいるのが大学関係者なのは自然で、あの町の住人の「教授率」はけっこう高かったんだろうな。
 
そのおばあさまの手引きで聖歌隊にすぐ入れてもらえて、水曜夜の練習に参加するようになった。
指揮者は「イエーイ☆」って感じの元気なおばさまで、いつも明るい。
気のいいおじいちゃんたちが「ハッハー!」と笑いを交えながら次週の賛美歌を練習する。
すごくきれいな歌声のおばさまがいらして、彼女が語尾の子音まできちっと発音するのに憧れた。

クリスマス さすがに豪華!

英語があまりしゃべれなくても。
みんなが何を言っているのかよくわからなくても。
一緒に歌うことはできた。それだけで十分だった。
とても居心地のいい空間だった。
 
大学だけでは物足りないし、かといってあんまり外に出ていくのも怖い。
そんな私には、地域の教会の一員にしてもらえたのは大きいことだった。
 

おわかりだろうか 手前の小さい黒髪である

アメリカ人老夫婦の「養子」になる

その教会では “Adopt a student”というプログラムを実施していた。
学生と教会に通う人々を結びつける企画。もちろん、法的なものではない。
気軽に応募してみたら、1か月後に「ホストファミリー」が決まった。
ロジャー&リサ(仮名)。80代のご夫婦だ。
 
二人は私を “our Japanese daughter”と呼んで、本当によくしてくれた。
毎週の礼拝後、ランチにつれていってくれた。
ご自宅に招いてくれた。
私の拙い英語に熱心に耳を傾けてくれた。
 
年末年始で寮が閉まったときは3週間もの間、お宅に宿泊させてもらった。
食事も、お泊りも、私は全然お金を払わせてもらえなかった。
「娘」だから。

Adopt-a-Student Programの案内が載った週報。ちゃんととってあってえらい

湖のほとりで……人生最高の年末年始

静かな湖畔の家に、ロジャーとリサは住んでいた。
敷地には林が広がり、二人が整備するtrailsがのびる。
バルコニーにはリスと小鳥たちが遊びに来る。
周囲には民家(一軒家)と湖のみ。
日本なら別荘地といった趣。老後はこんなところで過ごしたい、というような。

お宅の敷地内


バルコニーのリス用アトラクション 春にはもっと発達した迷路が設置されていた


「平穏」が具現化したような地で、私は毎日、散歩をした(肥満解消も兼ねて)。
ロジャー、リサと様々なテーブルゲームもした。
若い子には田舎の日々はつまらないのでは、と気を使ってくれたのか、
車で片道1時間以上走ってジェリービーンズ工場に連れていってくれたりもした。
私は食事のあとのお皿洗いを手伝ったり、洗濯物を畳んだりしたくらいで、
ほとんどなんの仕事も勉強もせず(勉強はしろよ)、
ただただのんびり暮らした。
 
ああ、モラトリアム。絵に描いたような。
この数週間が私の人生で最高の時間になるだろう。
当時から、そう予感していた。

まだ乗ってはいけない、と言われた薄氷(地面に座って足を伸ばしている)

It is more blessed to give...

年が明けて寮に戻ってからも、
「湖が歩けるくらい凍ったから」と家に呼んでくれたり、
私がつくった日本のカレーを食べてくれたり、
教会で家族ごとに撮る写真に「娘」として入れてくれたり、
学内コンサートを見にきてくれたり……
二人は、私のことを本当に大事にして、愛し、誇りに思ってくれていた。
 

湖が凍ったので下りてみた20代の著者
湖の上。車が走れるし小屋もたつ。魚釣りをしている知らないおじさんと記念写真?をとった
湖から見たロジャー&リサのおうち


帰国直前には日本から遊びに来た妹まで一緒に滞在させてもらった。
というか、片道2時間の空港まで車を出してくれて、妹をお迎えするところからやってくださった。
何から何まで、本当にもう……
 
妹は日本から扇子を2本、プレゼントに持ってきたが、
そんなものでは全く釣り合わない、大恩を受けたのだった。
 
二人は私の名前がうまく発音できなくて、
(下の名前、3音ともアメリカンには難しいらしい)
でも本当に私を愛してくれた。
神の愛を、体現してくれた。
私はもっともっと、二人とおしゃべりをするべきだった。今になって、思う。
 

初夏の様子

これらは全て、私の個人的な体験で、
どこに行っても似たような経験が可能だとは思わない。
私は特別に恵まれていた、のだろうと思う。
 
でも、これから留学するよ、って人には、
クリスチャンであってもなくても、
「地域の教会に行ってみるといいかもよ」と耳打ちしたいのである。


屋根裏部屋から湖を望む

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