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「1人の時間」の用法

人には内の性格と外の性格があるものです。

1人でいる時、学生集団とすれ違うときに「お〜元気だ、若いな」なんて思ったりします。(自分が同じ学生でも)

自分はあんな風に騒いだりしないな〜なんて思ってますがふと、仲のいい友達と盛り上がって話しているとついつい話し声や笑い声が大きくなっていることに気がつきます。

あのとき見たあの元気な学生と私同じだ。

内の自分と外の自分、どちらも同じ私だけどもし世界に2人ずつ人間がいるとしたら、内と外の自分は対照的で混じり合わないのかもしれない。

考えごとをするときは大抵1人の時で、本気で考えている時考えること以外はしていないのですが、(グミを食べるは例外です今食べているので)外で遊んでいる時は友達と話すことに重きを置いているのです。

友達と会う時は会話から新しいものや思い出、考え方を作り出して、ひとりになったら自分に合うものだけを吸収しているような感覚です。

いわゆる、OutputとInputです。

だから1人の時間が必要だし、その貴重な時間でいろんな情報や感情を整理しているんだと思います。

1人の時間とは偉大なるもので、人によって必要な摂取量や用法も変わってきます。

なので以下は私の自論として聞いて欲しいです!

1人の時間、ここではブレークタイムと呼ぶことにします。

ブレークタイムが少ない場合…

いっぱいいっぱいになって自分を見失ってしまうことが多々あります。大袈裟な表現かも知れませんが、外の自分が頑張り続け、どれが本当の自分なのか見失い、混乱します。整理したくてもそうする時間がないので感情が溢れてしまって訳が分からずに泣くことも少なくありません。泣けたら良い方で、つらいのになぜか泣けないときはいつか反動で落ち込む期が到来します。そう、嵐のように。

一方で、ブレークタイムが多い場合…

ブレークタイムは多ければ多いほど良いというわけではありません。先述した通り、ブレークタイムは私にとって、Input・整理をする時間なのです。新しい情報がないと生活に面白みがなく、成長もアップデートもありません。だから外界に触れる楽しさを知るのです。一日中人と話さず、家に引きこもっていたり、YouTubeやテレビを見続けたりするのも悪くはない時間ですが程度が過ぎると空虚感に襲われます。もっと人と話したい、外に出たいと思うのです。

以上のことから、ブレークタイムは自分に適した量や用法を知っておく必要があると考えます。

人それぞれ違う、説明書などないややこしいブレークタイムはどう取り入れていけばいいのでしょうか。

そこで大事なのが、「間」です。

世の中は仕切りで満ち溢れていますね。部屋、トイレの個室、家などです。

家族と生活している人は自分の部屋に逃げ込んでブレークタイムを確保します。一人暮らしの人はそのアパートの玄関を突き破って外に出ます。誰か同じ人と長時間同じ空間にいなければならない(義務ではなく、遊んでいる時でも)人はトイレを使ってふっと心を落ち着ける時間を作ります。

仕切りって大事です。同じ空間に人がいるか、いないかだけで心の在り方が違ってきます。

良いも悪いもその時々に寄りますが、必要なのは今の自分にどちらが適しているか自分自身が分かってあげることだと思います。

最後にまとめとなりますが、心に素直に生きましょう。やりたいことはする、ちょっと無理かもと思ったら引く。

無理して一緒に居る必要はないし、1人が寂しかったら図書館なりカフェなり外に行って、同じ空間に居る人と同じことをして勝手でもいいので仲間意識をもつのもありです。

今日はこんな感じです。

また読んでくださいな。

おやすみ。


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