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チュール『やさしさを考えてみる』という歌への、共感と呪縛

・はじめに

今回も、好きな歌の話をします。
チュールの『やさしさを考えてみる』(2010)という歌です。

やさしさを考えてみる - YouTube

と言いつつも、単純に「好きな歌」と言い切れない気もする、重い存在なのかもしれません。

2003~2012年に活動したロックバンド、チュール。

曲の知名度的にはおそらく、アニメ『おおきく振りかぶって』のED曲としても使われた『思想電車』や、能年玲奈(現・のん)がMVに出演していた『その瞳、意味深』などの方が、有名なのでしょうか。

ですが、自分にとってのチュールといえば、『やさしさを考えてみる』です。最初に聴いたのはリリースから5年くらい経っていて、その時にはとっくに、チュールというバンドは解散していました。

しかし、この歌を初めて聴いた時に、この歌は自分そのものだ、そう感じたのです。

歌そのものは、恋愛にまつわる歌だと思います。最終的に、あなたを包んでいけたらいいな、という類のワードで終わるので。

ですが、自分にとっては恋愛ではなく、人生そのものに対する歌のように、勝手ながらも聴こえていました。

自らに対する不満、恐怖、劣等感。それを改善しようとしてもがいても尚、難しい状況は続く。
歌自体は最後、ポジティブになろうとしていますが、果たして自分は、そこに至れているのかもわかりません。

途中途中の歌詞が、あまりにも心に刺さりすぎてしまう。聞いていると苦しくなる時だってある。だから、記事タイトルにも書いた通り「呪縛」でもあると思えます。

そしてそれは、自分自身の過去の人生、性格、ひずみといったものが原因だとも感じるのです。


・歌詞と、自分の思考

以下、自分の思考をクリアにするためにも、箇条書きで書き進めていきます。

結局は自分語り、それも凄くネガティブなことにはなりますが、これはいつか文章にしたい、かつ、この歌自体は色んな人に聴いてほしいと思ったがゆえに、書かせていただきます。

・「何もかも嫌になった 部屋は散らかるし 肌は荒れるし なんかだらしない人みたいだ」

チュール『やさしさを考えてみる』

歌い出しの時点で、自分が良く考えることと、ほぼ同じことが歌われています。

何もかも嫌になる、という感情は、自分にとってとても身近なものでした。

自分の人生は無意味、期待に応えられずにいる、綺麗な生き方ができない……そういった感覚は、何度も抱きがちです。

それは間違いなく、10年前に社会人になり、(仕事が合わなくてメンタルが崩れて)すぐに辞めてしまったことが原因だと思います。
あの時からずっと、自分は上手く生きられている感じが無いです。

それでいて、さらに過去の学生時代のことさえ、「あの頃の自分も気持ち悪かったんだな」「周りより劣っていたんだな」と扱うようになりました。

そもそも、若干のいじめを受けていた時期もありましたし、鏡で自分の姿を見るのは元から嫌いでしたから。

親の意向でモデルの仕事をしていた時期とかもありましたが、自分から意欲的に、とは思ったことも無く。

そして少なくとも、自分は○○で凄い、みたいなことは全く、思えない性格でした。

そういったものが、社会人としての失敗によって全部引っ張り出されて、心が壊れてしまったような感覚。
過呼吸とかも一番ひどかった時期ですし、外に出るのもしんどかった頃です。

現在は、非正規ではありつつも働いてはいますし、別に借金とかをしてるわけでは無いです。

でも、レールから外れてしまったのは確かですし、上司に詰められたり周りと上手く話せなかったことがフラッシュバックして、正社員としてバリバリ働くことは、怖くなってしまいました。

恥ずかしながら、もう10年近く経とうとしているのに、です。
だから、だらしない人生だという思いは、心の奥で焦げ付き続けています。

・「何もかも好きになって 人を許せたら 強くなれたら きっと綺麗でいられるんだろうに」

チュール『やさしさを考えてみる』

何もかも好きになって、というのは、自分の場合、自分自身に対してのことになります。

自分は、失敗と後悔をし続けた過程で、人との接し方を忘れていきました。

ふさぎ込んで、楽しいと思えなくなって、巷に言うところの「人間関係リセット」というものを繰り返してしまったからです。

LINEのアカウントやTwitterアカウントごと消去する、というもので、それは相手が嫌いとかではなく、自分のことが嫌いだから、好きになれなかったからだと思ってます。
もういいや、自分なんてどうでもいい、という感情でした。

ただでさえ友達の少ないLINEなのに、消してしまえばもう、連絡を取りあえるはずもありません。

もしかすると、心を強く持って、自分という人を許して好きな風に過ごせれば、まだ望みはあったと思います。

でも、職歴が壊れてしまったという過剰な意識から、もう綺麗な自分じゃいられないのだという恐怖が、これもまた焦げ付いてしまったのでしょう。

そうして、友人関係は多く消滅していき、昔からの友人などはほぼ、いなくなってしまいました。学生時代の友人で連絡が取れるのは、今となっては2人だけです。

だから今、過去の知り合いはみな、知らないところで良い関係を作り続けているのでしょうし、自分はそれに、空虚な気持ちを抱き続ける。

とても悲しく、そして惨めだと思うのです。自業自得でしかないのに。

・「未熟な私は 片付けられなくて 自分のことすら上手く守れない」

チュール『やさしさを考えてみる』


でも仮に、リアルの人間関係をリセットして失ってしまったとしても、自分自身が強ければきっと、「まぁ自分が楽しければ良いや」という感情で乗り切れるのでしょう。

でも、自分は数十年の人生で、そんな強くなれませんでした。

もちろん、小説を書くとか推してる方を追っかけるとか、楽しいことはあるのでしょうが、それでも結局、自分自身を生まれ変わらせることなど出来ず。

過去の自分を、まぁそんな時期もあったよね、なんて片付けたいのに。

過去に囚われて、どこか疎外感を感じて、自分の心を定期的に、ぐちゃぐちゃに傷つけてしまう。楽しくない、という根っこは、ずっと張り続けるままでしたし、自分のことを守れないというのは確かなのです。


・「もっと優しい言葉 あったかもしれない」

チュール『やさしさを考えてみる』


自分が苦手なのは、会話です。

Twitter、あるいは小説を書く時の文面とかは、時間をかけて丁寧な言い方を作ることが出来ます。
でも、実際に人と話すとなると、上手く言葉が出なかったり、相手に迷惑をかけてないか不安になったりして、後悔ばかりが残ります。

相手に楽しんでもらえるような言葉を、選べたら良いのになと思う。その成長も、たくさんできれば良かったのに、それが出来ない道を選んだのは自分でした。

・「こんな生き方を誰か 正しいと言って」

チュール『やさしさを考えてみる』

このワードは、自分が、かなり共感してしまうポイントです。

自分の生き方に自信なんて持てず、失敗作、消えた方が良い、といったことが浮かぶ。そんな自分にとって、もし誰かに正しいと言ってもらえたら……なんて、思いは抱くのです。

もちろん、自分の人生を他人に評価させることは、狂気の一種なのだとも思います。他責思考でありますし、それこそ自分に自信が無いから、というものでしょう。

でも、自分のことが嫌いになりすぎて、自分に誇りを持てないからこそ、誰かに正しいと言ってほしくなる。

特定の(好意を持った)相手とかじゃなく、誰か、というのも凄く、共感が出来てしまいます。もしかすると自分は、将来どこかで、悪い勧誘に捕まるような気もします。

一種の承認欲求、なのでしょう。承認されるチャンスを、自分から捨てていったのに、です。


・「子供な私は大人になれなくて 自分のことすらまだ解ってない」

チュール『やさしさを考えてみる』

自分は、まだまだ子供でしかありません。
きっと、大学の時の同期とか、なんなら小中高のクラスメイトとかも、皆が自分より先に進んでいると思います。

それは、結婚とか出世とかのライフステージだけじゃなくて、心の余裕、成長といったものです。自分にはそれが、全然思い当たりません。

自分に何ができるのか、何者なのか。そういったことが解らず、ただ漫然と過ごしたうえで、心の中ではもがいているような感覚です。

それこそ、ちゃんと人と関わって生きていれば、自分のことが解って前に進めたのかもしれないですが。

・「まだ上手に生きられない 素直にもなれない 可愛げもない こんな私だけど」

チュール『やさしさを考えてみる』

結局、上手に生きられないというのが全てです。

10代の頃から「30代になれば、もう少し大人になれるかな」なんて重いまましたが、大学生をやっていた頃よりも、心の状態は悪化しているのでしょう。それこそ、友人の存在はありましたから。

自分が自暴自棄になって、人間関係をリセットしていなければ、もっと上手い人生を送ってこれたのでしょう。

でもそれだけでなく、(男性であることは置いといて)何となくの可愛げとか、魅力みたいなのが自分にあれば、何とかなったのではないかと。

もちろんそれは、自業自得です。この数十年間で、自分が何を出来たというのかというものです。

この数年間で小説を書き始めて、多少マシになった部分はあるかもですけど、それでもなお、人との距離感を掴めずに悩み続けるだけです。

きっと、自分と同年代の人たちは、もっと先に行っているというのに。

・「でも傷ついたことが よかったと言えるのは こんな私にも守りたいものがあるから」

チュール『やさしさを考えてみる』

曲の最後のあたり、この歌詞はきっと、自分がそう思えたら良いなという望みです。

現在、小説の作者アカウントでも日常アカウントでも、話してくださる方がいます。それはとてもありがたいことです。

でも、自分はそんな、人に時間を割いてもらえるような人間なのかなという思いは、常に抱いています。

自分と話してるより他の人と話した方が楽しくできるんじゃないか、という不安はありつつ、つまんない返ししか出来ないことの恐怖心もあり。

自分にとっての守りたいものは、何なのでしょう。

今、周りからの優しさによって得られている、ネット上の関係。
なんだかんだで4年の間、書き続けられているネット小説。
途切れる時期はありながらも、忘れずにいたアイドル声優を応援する活動。

こういったものの中から、あるいは、全く関係ないところから。
自分が「これは自分にとっての生きる理由だ」と思えるようなものを、見つけられれば良いなと思っています。

思ってはいる、でも、結局は自分の心が、そんな余裕を抱けないことも多くて。

だから、Twitterのリプライを飛ばすのにも勇気が必要だったり、小説を投稿する時に「つまんなくて、皆を失望させたら」と考えてしまったり、ライブに行く体力の無い自分を責めてしまったりするのです。

こんな自分は、正しいのでしょうか。それは、自分にもわからないですし、結局、誰にもわからないのだと思います。


・自分が嫌い、でも

とてもネガティブな感情を書き連ねてしまいました。

ここまでで何となく想像させてしまったかもですが、自分はよく心が折れますし、生きるのはもう無理だな、と思うことも多いです。

だから、この『やさしさを考えてみる』という楽曲は、自分にとっては好きな歌ではありますが、同時に、呪縛でもあるような気がするのです。

この曲に共感し続けてしまう限り、自分の心はまだ、満たされていないということでしょう。

自分のことが嫌いで、大嫌いで、誰か消してくれないかと思うことだってある。そして、この歌を聴くたびにまた、自分の劣っている様子がありありと表現されていると感じて、ぐちゃっとした感情になる。

そこだけ考えれば、この歌を聴くことを、封印すべきなのではないかと思いそうです。
でも、歌自体はとても好きですし、何より、問題の本質はそこじゃないと思いますから。


それに。
何だかんだでまだ、生きています。

小説も4年近く書き続けていますし、ライブDVDを買ったりも出来ています。同年代と比べたら、稼ぎも多くないですが、人の道を踏み外さずにはいられてるはずです。

この楽曲のタイトルは『やさしさを考えてみる』です。つまり、やさしさを考えてみた結果が、この歌詞にあるような感情だということでしょう。

やさしさ、とは、何なのでしょうか。
自分は今、やさしさを持って生きているのでしょうか。

正直、それもわかりません。人を傷つけるのは嫌だな、という単純な思いはありますが、それを、誰かにちゃんと向けられているとはあまり、思えないですから。

それでも、自分ごときと関わってくれる、優しい方がいます。自分の書いた、拙いところも多い長編小説に、毎回感想を書いてくださる方もいます。

そんな方々にとって、自分が見せられるやさしさは、きっと、もうちょっとだけ生きることだと思えるのです。

大したことは出来ないですが、少なくとも、誰かの不利益になるようなことはせずに、いるつもりですので。

なので、まだもうちょっとだけ、生きると思います。


もし辛くなったら、生きてるのが苦しいと思ったら、そう言う時こそ、この歌を聴くのでしょう。

いつか、前向きな気持ちのみで聴けるようになるまで、です。

・おわりに


こんな自分語りを読んでいただき、ありがとうございます。
重めの感情にはなりましたが、自分が吐き出したいものを吐き出して、許してもらえることにもまた、感謝申し上げます。

またいつか、今度はポジティブな内容で、何か書いてみたいものです。

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