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スマートアプリ社(現SBI NFT社)起業奮闘記【その1:起業前夜の話】

【今回から数回に渡り、スマートアプリ社の起業してからの奮闘記を通じて自分の過去6年を振り返りたいと思う。完全に将来の年老いた自分向けであり、意図的にポエム風にしてある】

時期は2013年10月のとある日の午前、僕は南シナ海上のANA機内にいた。

ふとしたことから木曜と金曜に休暇をとってシンガポールに急いでいた。表向きは休暇を取ってセントーサ島に遊びに行くことにしていたが、シンガポールに駐在していたGMO PGの村松さんに突然連絡し、会いに行くことにしていた。

シンガポールに行く目的は、昨年上場したモブキャスト社での今後の働き方を模索するためだった。

ちょうど2020年東京オリンピックの開催が決まり、日本が上り調子になっていく時代が大きく変わろうとしている時期。個人的には一人目の子どもが生まれ、自分と家族の長期プランを考えたい視点もあった。

スマホシフトが突き進む絶好のタイミングで友人の山田進太郎がメルカリを爆速スタートさせ、アプリファーストな新たなパラダイムがきていてこの波に乗って再度起業すべきか悩む視点もあった。

シンガポールのレストランで再会した村松さんはすっすりシンガポールのビジネスパーソンになっていた。シンガポールの日々や、移住の観点、今後の視座の話などさまざまな話をした。

異次元すぎる話に、海外との接点をも持たず日本国内でゲームビジネスで利益を出し続ける業界にい続ける自分自身に危機感を感じた。そして変化が著しいこのエリア(South East Asia)に旅行だけではない直接的な関わりを持ちたいと強く思った。

そのとき村松さんは最後に、一つのまだ産声をあげたばかりの一つのニュースアプリと一人の日本人を紹介してくれた。

2つともまだ当時の僕の周りでは無名な存在に近かったNewspicksと今や各種メディアでの論客として著名なリブライトの蛯原さんだった。

その後蛯原さんとは早速後日東京で会うことになった。

その結果、彼が立ち上げたばかりの東南アジア・インド投資の1号ファンドのクローズ(最終締切り)にギリギリ間に合うということでその場でLP出資を決断した。彼は元JAFCO出身で過去にデザインエクスチェンジ社の社長をされていたりと、個人的にはいろいろと縁がある方だった。

投資した目的はもちろん東南アジアと仕事上の関わりを持つことであったがもう一つの目的は彼は自分が知る限り蛯原さんは2013年当時で日本人VCでもっとも著名なビットコイン論者だったことである。当時の価格は確か1BTC=2万円ぐらいだったと思う。

ゴックス事件が起こる半年以上の前。えいやーの気分で50万円分BTCに投資しようかと思ったが、なぜか踏みとどまってしまった。(今の時価総額で2億円以上となっており全く悔やまれる)

この当時は正直まだ起業するか決めあぐねていた。実際VC側に回ることも視野に入れていた。

ふとしたことからfacebookで名前を発見し、かつて僕が起業してその後今ののアクセルマーク社になったエフルートをやっていたとき、アフィリエイターとして早稲田大学に通いながら4年間インターン生をしていていた稲垣と再開したのもちょうどこの頃である。

彼はエフルート社の入社を断り、新卒で三菱UFJ銀行に就職。その後MBAを取得して野村証券の投資銀行部門で働いていることを知った。数年ぶりの再開で丸の内のシンガポール料理店で食事をした。その時から彼は僕が起業するなら一緒にやりたいと言っていたが、まだ心の芯から言っている感じではなかった。

この時期は何かとシンガポールがポイントになる時期だった。


モブキャストの役員の退任時期が2015年春に決まり、最後の半年の役割も決まった2014年の6月、僕は恵比寿の料亭にいた。

そこで僕は松山太河さんに会っていた。友人の山田進太郎に相談して引き合わせをしてもらったのだ。

当時のメルカリは2014年春の大型調達を実現しTVCMも堅調に推移し、側から見ていてとくにfacebookからの会員獲得が大成功していた時期だったように思う。

進太郎から大河さんの評判はたびたび聞いており、エフルート社のとき苦労したVCとの向き合い方を克服するパートナーを探していた自分は、当初から太河さん以外にないと考えていた。

太河さんは大味な感じの方でとても同じ歳の人とは思えなかった。

昔から僕のことは知っていたようであまり表舞台に出てこない人と見られていた。(モバイル業界側にいるとネット業界ではどうてもニッチ領域に見えるらしい)ネット業界とモバイル業界の2000年から2014年までの過去の話や今後の話をして、その時間軸と投資テーマを決める大局観、スケール感をもって起業するならこの人と組むしかないと確信した。

進太郎も、太河さんが出すなら自分も出すとその場で快諾してくれた。

残りは何をやるかになった。

そこで9月に最後の決断をするため、気になっていたLP投資した蛯原さんのファンドの投資先を回る機会をいただき、シンガポールやインドネシアの投資先をご一緒させていただく機会を得た。

ここで痛感したのは、日本人として海外を拠点にして戦うのは並大抵では無理だとということだった。

唯一投資家というスタンスがありうるかと思ったが、語学力に問題を抱える自分がすぐに主戦場で戦えるとは思えなかった。ネット業界ではシンガポールを拠点にして起業家が活躍する事例が増えてきていたが、いずれも日本国内向けであり、それであれば東京でやったほうがよいと思った。

そこで兼ねてから温めていた事業構想の一つだったアプリストア事業に照準を合わせた。

モブキャストが上場した直後の2012年、中国・広州で古くからの知人を再訪したとき、androidの世界において勝手アプリストア(google play以外のアプリストア)が独自の経済圏を構築していて、バイドゥをはじめとする大手ネット資本が食指を伸ばし買収しまくっている話を聞いていた。

やはり暑い

Posted by Takashi Tim Sato on Thursday, August 9, 2012

この話を太河さんのところにもっていったところ、その場で彼はオフィスの鍵と中国語が堪能な東大と早稲田のインターン生をつけてくれた。

この事業構想の透明度を高めるために、アプリストア事業の最前線である中国の市場調査を急ぐことにした。気がつけば2014年11月を過ぎていた。なるたけインナーサークルに入るために、情報収集ルートにはとかく気を使い、当時M社での中国事業の統括をしていた中国出身のFさんに協力してもらうことにした。

ちょうどモブキャストを退職して独立した高とおつかれさま会をしたもこの頃である。彼にアプリストア事業の構想の話をしてみた。興味がありそうだったので、彼のエンジニアを巻き込もうとしたが、軽くあしらわれてしまう。

そう、この時点ではまだ創業メンバーが誰も決まっていない。今回は2003年の1回目の創業とは違い、一人で起業するつもりはなかった。

僕は密かに焦り始めていた。太河さんは「そういうのは突然現れるから心配するな」と僕を励ましてくれるような感じだった。

刻一刻と、モブキャストの役員を退任する日が近づいていた。

この記事は「投げ銭」記事です。ポジティブにお金が回る仕組みにしてみたいと思いました。記事をおもしろいと感じてくださった方は「投げ銭」をよろしくお願いします。