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自分が起業したスマートアプリ社と私

facebookに記載したものを転載します。

私が2015年の春に野村証券を辞めて参画してくれた稲垣くん、モブキャストを飛び出してきてくれた辻くんの20代コンビと3人で創業したスマートアプリ社は、本日社名も改めSBIグループの会社となりました。

創業者の自分は2019年の秋にすでに社長を高さんに引き継いでいますが、彼がこの2年あまりで会社の立ち位置や潜在力を生かしつつ、会社の事業価値を高めてくれました。

託して本当によかった。

今回SBIさんと一緒にここから世界で全く新しいNFTの市場で価値創造をしていく新しいステージにたつにあたり、創業当初から支援いただいた様々な株主のみなさんと一緒にEXITすることになりました。


暗号資産取引所免許を持たないスマートアプリ社がこれほどの価値を持つほどNFTマーケットのポテンシャルは凄まじいものがあります。

個人的にEXITは、モバイル検索エンジン事業を展開していたエフルート社(2010年)、ソーシャルゲームプラットフォームを当時展開していたモブキャスト社(2012年IPO)、NFTマーケットプレイスnanakusaを展開するスマートアプリ社(2021年)ということで人生3社目です。

創業者としては2回目。貴重な経験をさせていただく人生となり感無量です。

しかもこの秋には第3子も生まれる予定もある家族にも恵まれ、今年はここ数年間での集大成的な一年となっています。

とはいえ、サードパーティのアプリストアの事業立ち上げを目的に2015年に立ち上げたスマートアプリ社は船出から苦難の連続でした。

中でもおじさん起業のピボットは死ぬほど辛かった。しかも2回も。もうアホですね。若い時と比べてすべてが真逆で面白いぐらいに逆回転します。みんな静かに見放していきました。心ない一言もたくさんありました。

2度のピボットを経て、最後まで残ったエンジニアの辻が去り(彼はその後心機一転して医大生となった)、一人ぼっちになった2018年になった頃、彼が育てた東工大のインターン生とダブルジャンプ東京の社長の上野さんと一緒に暗号通貨のウォレットを開発する中で暗号通貨取引所ではなくアプリケーションとしてのブロックチェーン事業に目星をつけます。

コインチェック事件の当日にダブルジャンプ東京のファウンダーと一緒に熱海で行った合宿を経て、三度目の正直ということで再スタート。

ラッキーなことに太河さんが六本木の高會堂ビルのインキュベーション施設・code republicの席を数席こじあげて貸してくれてました。

その際に創業メンバーで2016年の一度目のピボット時に出て行ったきりになっていた稲垣を呼び戻し、続けざまにモブキャスト時代の部下だった 高がジョインし開発チームが強化され、古くからの付き合いのあったセレスさんとご縁あって出資いただき事業展開が加速。

その後2019年秋の社長交代劇を経て今日に至る様々な出来事は手前味噌ですがハードシングスだったなと思います。

20年来の連続起業家人生の中で3度のEXITは3社3様でそれぞれにドラマがありました。

今の心境ですが、起業とか事業責任者とかPMをやるのは、3回やったし精神的にはさすがにもうしんどいです。とりあえず11月から育休とって子育てに専念します。とはいえスマートアプリ社の一度目のピボット時・2017年に展開していたコミュニティ事業はステルスのまま日の目を浴びず成功させられなかったので、今一度メタヴァースという文脈を見据えて再チャレンジするか(当時は大学院時代よくに読んでいた社会学の本を探してきては構想を積み重ねたものでした)、医者になった辻と一緒にメディテック事業を立ち上げるか、大学で教壇に立ちたいなど、悩みは尽きません。

あと、今回100%買収会社になることなく、引き続き世界を取りに行こうとする高さんを今後も応援しようと思っています。おめでとう!僕の元部下で一番の出世頭になるのでは?他の人も頑張ってくれるだろうけど。北尾さんのところに嫁に出す気分です。


追伸
スマートアプリ社に関して昔の写真がいくつか残っていたのであげておこうと思います。苦難の連続だったけれど今から考えるとすべての苦難はベストシナリオだったと思えてきます。

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2015/4/5。まだ会社設立前のときです。ノートpcを買って週末はじめてeast venturesのオフィスで仕事をして、夜ご飯を食べにいったときの写真。辻は会社が辞められず週末だけ。稲垣は逆に野村証券から予定していたより早くジョインすることに。

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最初の事業appcube(アプリストア事業を目指してアプリストアアプリを作っていた)のための伊東での開発合宿。デザインエンジニアでフル馬力だったSFC1年生伊藤くんが刺激的だった(彼はその後過労で倒れてしまうのだが、翌年独立して400万DLの音楽アプリを立ち上げる)

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East Venturesのインキュベーション施設。ここからメルカリやグノシーが巣立ったことにあやかりここを本社としていた。(今は再開発のため更地になっている)当時は月曜休み・土曜日稼働とすることで週末だけ仕事してくれる人を活用していた。(これもメルカリを参考にしていた)

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appcubeの立ち上げの前に株主を新橋のシロクマにて集めてご飯会をしたとき。他の株主は来てくれなかったけどいい思い出。

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1度目のピボット後、僕と辻以外は全員いなくなり、一年間他社の仕事で稼いだ軍資金で2017年春に、拠点を渋谷のeast venturesのシェアオフィスに移してコミュニティアプリを作る日々。Vtuberで有名なCOVER社谷郷さんもいた。

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インターン生の採用のためだけにフォトグラファーに渋谷のオフィスで撮影してもらった。2人しかいないと学生が不安がるので、このタイミングでは会社を去っていた稲垣も無理矢理巻き込んで撮影。

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2017年後半は立ち上げたコミュニティ事業の行方が芳しくなく、古巣のモブキャスト社への身売りも視野に間借りさせてもらっていた。iiyamaモニターの奥にいるのはダブルジャンプ東京ファウンダーの一人たまやさん。

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2018年1月。現ダブルジャンプ東京上野社長と二人で岩手県の山奥の温泉に出かけとりあえずウォレットの開発協力をしてもらうことになった。ほっとゆだ駅。

はじめてGO!WALLETが動いた動画。

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2018年9月。dapps marketのダプマさんに誘われ、単身乗り込んだフランスのリオンで行われたブロックチェーンゲームカンファレンス。当時マイクリプトヒーローズはまだプリセール中だったが、謎の日本のゲームという感じだった。ここでのインプットがその後に相当役に立った。日本人は自分しかいない。

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2018年10月、3度目のピポットでブロックチェーン事業に走り出したしき、セレスさんから資金調達を経て現高社長と決起会をしたときの写真。

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拠点をwework京橋に移動しエンジニアも増えた2018年末頃。

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2019年初頭。当時はインターン生が活躍していた。一番右の手前にいたのが、2017年に辻が最後育てたインターン生。

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精神的に限界を迎えていた2019年夏。エンジェルの一人が心配してくれて一緒に高尾山に登った。この前後に社長を譲る究極の決断をした。

残念ながらこのあとは写真は残っていない。ひたすら社外からGood Luckを言い続けた日々だったような気がする。

2020年の4月ぐらいに考えいていたことの記事。

いろいろあったけど、言葉にするとドラマになりそうなので後日文章にまとめてみたいと思う。

追記:起業奮闘記をはじめました!




この記事は「投げ銭」記事です。ポジティブにお金が回る仕組みにしてみたいと思いました。記事をおもしろいと感じてくださった方は「投げ銭」をよろしくお願いします。