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ぼくがタワーマンションに15年以上住み続けているわけ

今回は完全に随想であります。だから文体も変えます。

あれは何年前のことだろう。ぼくが一番最初にタワーマンションに住み始めたのは。

タワーマンション自体に憧れがあったわけではなかった。それがタワーマンションという名前の建物だと知ったのは、入居して少したってからのことだった。

2005年夏、2年前に起業した会社は順調に大きくなり、間借りしていたオフィスも自前で事務所を抱え2年目の決算を迎えた。29歳から30歳になろうとしている頃だったと思う。

決算がしまって翌年の予算や報酬をを決めるタイミングがやってきた。外部から資金調達もし、年商の売り上げが億単位になり、十分に儲かってきたタイミング。一つの区切りだと思い、それまで住んでいた東京・目黒の大鳥神社の近くの半地下の1Kマンションの解約を決めた。

そのマンションは僕が大学院に入学するときから6年ほど住んでいた。

途中体調を崩して1年ほど実家に帰っていた時期があった。2Fに住んでいた大家さんとまあまあ仲良くなり、家賃の支払いを減免してもらったこともあった。おかげさまで解約せず、学生時代からインターネット業界で働くきっかけを作ってくれた、なかなか縁起の良いマンションだった。

1Kで広さは20平米ほどしかない。ベットと学習机と、本棚で埋め尽くされた部屋。本を読むにも何をするにもベットに寝転ぶしかなく、家で何かしよう物ならすぐに寝てしまうしかないようなスペースだった。

当時毎月10冊以上の本を楽読していたので次第に部屋の中が狭くなり息苦しくなってきたタイミングだった。

最初は寝る部屋とそれ以外のことをする部屋(家で食事をしたり本を読んだり仕事をしたりテレビを見る部屋)を分けたいと思い、あとはユニットバスの部屋が嫌で、1LDKの部屋を探し始めた。

探し始めると分譲賃貸のマンションがいろいろと出てきた。当時のぼくの会社は神保町にあり、そこから2駅以内で通える場所を探していた。ほどなくして市ヶ谷・曙橋付近のマンションを、当時オフィスの移転でお世話になっていた不動産会社にいくつか紹介してもらった。

現地の下見をしていたときだった。

遠くに高くそびえるタワーマンションが見えた。まだそこまでタワマンがない時代。圧倒的な存在感。そこでとっさにあそこに住んでみたいと思ってしまった。

でもきっと家賃はすこぶる高いのだろう。

場所は河田町コンフォガーデンという。元フジテレビ本社跡地の小高い丘の上にそびえ立つ再開発で立った41階建のタワーマンションだ。

悲しいことに最近はURでの貸し出しが終わってしまったらしいが、URのエリアと1F〜29F、東急不動産のハイグレード賃貸のエリア30F〜41Fに分かれた建物だった。URといえば昔ながらの結婚した家族が住む団地を作っているイメージがあったが、調べてみると、都心型マンションだと、1K、1LDKの部屋もあったのだ。

しかもURのエリアだと、低層の普通のマンションと金額的に大差なく住めることがわかった。だからラトゥールや、ヒルズレジデンスのようなハイグレードレジデンスという感じでもなかった。(上層階のレジデンスは別)

しかもURなので、礼金が存在せず保証会社も不動産会社支払い手数料も必要ない。(礼金分を考えれば多少割高でも住める)空室を調べてみると運良く2日前に26Fに1LDKの部屋が空きに出ていることがわかり、そのままネットで申し込み、ぼくのタワーマンションへの引っ越しが決まった。

このタワーマンションはいろいろな人が住んでいた。タワーマンションにどんな人が住んでいるのか妄想するのは今日でもよくやるが、なかなか楽しい。当時のことを思い返すと、近くに東京女子医大があり、韓国系の学校があり、韓国系の人や医療関係者が多数住んでいたように思う。

よくまわりには上層階のレジデンスに住んでいるのではと勘違いされたが、私が住んでいたのはURのほうだ。知り合いも何名か住んでいて、そちらのほうがむしろ住み心地もよかった。

周りの環境も良かった。かつてはフジテレビの城下町ということで、曙橋はそれなりに栄えていたようだが、かつての威光はない。

とはいえ、新宿三丁目まで徒歩15分ぐらいであるけし、四谷三丁目や荒木町の焼肉屋さんまで徒歩10分という距離だった。神楽坂も近い。

でも何が決定的によかったかというと、それまでの1Rの部屋とは格別の住みごごちだった。

2003年に竣工した最新鋭のマンションは何もかもが異次元だった。(2020年の今となっては古びた感じであるが)

リビングが広く台所が別室になっている。そしてお風呂とトイレが分離され、風呂の湯に浸かることができるようになった。自分の住まいを構え、部屋が複数分かれ、玄関につながっていないこもった場所にある特定の部屋で寝転がり天井を見ながら落ち着いてリラックスできるというのは不思議な感じがした。

また夜景はもちろんなのだが笑ってしまうような絶景だった。方角は東南だったが丸の内方面の高層ビルの夜景が美しすぎた。

東京の夜景は、高層ビルの先端に航空障害灯というのが一定の高さ以上の建物には付けられる決まりがある。

それが息遣いをするように点滅している。

たくさんの建物が同時に息遣いをしているその光景はなかなか圧巻だ。世界中の様々な都市を行き来したが、夜景はそのためか、僕は東京が一番綺麗だと思っている。

またこれはタワーマンションかは関係ないのだが、床暖房がついていたのだが、これが異次元の快適さだった。元来冷え性の自分にとっては、床が暖かいということでとても調子がよくなった。

一方で住んでみてわかったタワーマンションの課題も見えてきた。

風切音がうるさい。タワマンは見晴らしはよいがその分風が強い。バルコニーの金属の金物の隙間から風のせいで音がうるさいことが多々あった。また低気圧が来たり急激な気圧の変化の際部屋中の空気が移動してドアが突然開いたり、閉じたりした。
騒音は意外とうるさい。低層マンションの方が静かだと思う。音は上に向かって拡散するのだろうか。遠くから首都高速を走る車のごーーっというおとが聞こえてきて、窓をあげっぱなしにすることはほぼない。
マンションの入り口から家に着くまで平均5分かかる。エレベーターのれ連携次第なところもあるがこれはやや苦痛だ。
ゴミ捨てがめんどくさい。最近のマンションは階数ごとにゴミ捨て場がおかれるようになったが2005年自体のURのマンションはゴミ捨ては地下一階にいく必要があった。おかげでたまにエレベーターが生ゴミ臭かった。
雨が降っているか部屋からだとよくわからず傘を取りに帰ることも。

先ほど述べた部分と一部重複するが、タワーマンションならでらはのメリットとして当時下記のような利点を感じた。(2005年当時)

・大規模マンションのためゴミ捨てが24時間いつでも行える
・ゴキブリや害虫が一切いない(ダニは不明)網戸はない。
・駐車場やスーパーが併設されており、何かあった時に便利。
・管理人室があり、気軽に相談できる。宅急便も受け付けてくれた。
廊下が内廊下で空調が効いていた。夏は涼しく冬は暖かかった。
・絶景の眺めや夜景を堪能できた。神宮外苑花火大会は特等席だった。
何かと話題となって社員が遊びにきた。家に人を呼ぶのは気持ちいい。
・共有施設が割安で使える。インターネット接続は月2000円以下だった。
・携帯電話は意外と繋がる。たくさん住民がいるので対応したのだろう。
・隣や上下の部屋の騒音は全く気にならなかった。
・UR賃貸だったため共益費は払ったが、修繕積立金などは一切なし。

その後2009年に中国に駐在することになり、たまに帰国したときに泊まる家として広すぎるその家を整理し、月島にある同じURのマンションに引っ越した。

今度は交通の便を最重視した。東京駅や箱崎の東京シティーエアターミナルからタクシーで1000円以内でいけることが決め手になった。今の嫁が当時浅草橋に住んでいて、ぼくの不在時に隅田川のジョギングがてら家まで来てくれて空気の入れ替えとかをしてくれた。

今回の住まいは、タワーマンションが多数立ち並ぶエリア「リバーシティ」で、河田町とは街並みや雰囲気も異なる。分譲で住んでいる人も多数いたのだ。

リバーシティといえばバブル崩壊後、着々と再開発されたエリアで、東京駅からもチラッと見えるその乱立するタワマン光景は不思議な雰囲気があった。三井不動産のお膝元といったところだ。(三井住友建設の本社もある)

前回と比べていろいろ発見もあった。よかったことは下記の通り。

・以前のタワマンと比較して静寂だった。10Fだったからかもしれない。
・隅田川が見える部屋はかなり快適。川沿いの低層階はとにかくのどか
・リバーシティは二つの川で囲まれたエリアで、東京の都心にあるのにここだけ時間の流れがゆったりしているのを感じられた。
・タワーマンションが多数あり、公園が整備されていた。すでに再開発が終わって数年がたっており、樹木も覆いしげりビンテージマンションっぽい
・成り上がり感のある住民はタワマンにつきものだが、ここには品のいい人、家族がたくさん住んでいた。この街で今の嫁と結婚したいと思った。
・はじめての埋め立て地に住むということで懸念があったが、住んでみると歩道の幅は広いし、坂はないし、植林はきちんとされていて気にならなかった。とはいえ内陸より風は強い。塩害は気にならない。
・交通の便がすこぶるよかった。待機待ちするタクシーも多数。スーパーや書店や郵便局やジムなど一式敷地内に完備されていた。

課題と感じたことは下記の通り。

・以前のタワマンより経年劣化が激しい。タワマンも時間が経てば他のマンションと同じく「設備は痛む」というのがよくわかった。
・川沿いに住むと船の騒音がある、というのがわかった。
・熱暖房が特別仕様になっていて管理費と光熱費はやや割高だった。
・まわりからは埋立地ならではの風評をいちいち言われた。

このマンションは結局結婚するまで住んでいた。もともと荷物置き場を兼ねた狭い場所だったので結婚してお互いの住居を引き払い一つにして引っ越しすることになった。引っ越し先はなんとリバーシティに住む前に住んでいた河田町となった。

そして結婚して半年ぐらい経ち「東日本大震災」がきた。タワマンに住んで初の大型地震に遭遇したのである。

タワマンで大規模地震に見舞われると何が起こったのかということをめまとめてみた。

・エレベーターとガスが停止。エレベーターは非常用が4時間後に復旧したが、2日ぐらいは非常用エレベーターしか動かなかった。
非常食や水の備蓄があったので助かった。
・地震が来ると柱がミシミシと音を立てて壁紙が剥がれた場所もあった。
・たまたま部屋にいた嫁が言っていてたが、冷蔵庫が倒れそうになったらしい。揺れが増幅されて大きく揺れる感じで立つことは無理だった。(食器とかは別に割れなかった)
・もともと何度か地震で揺れる経験はあったが、小さい地震はあまり揺れないが遠くで発生したマグニチュード強めの地震は揺れやすい傾向にある。
・それ以外は特段変化はなし。

とはいえ、まだ子ごもがいなかくて、週末に新宿に気軽に出掛けられたりご飯を食べに行ったり、深夜ホテルのバーに出かけたりしたのはよい思い出である。いずれもタクシー1000円以内にあった新宿や四谷や神楽坂は大人の街である。

その後、会社が天王洲アイルに引っ越し、河田町から通うのが少し大変になってきたのでほどなくして引越しを検討することになった。

賃貸の場合こうやって機敏に引越しできるのはいい。

引っ越し先として候補にあがったのは、同じURの案件で、新築の勝どき駅前のタワーマンション。もはや利便性に慣れてしまい、タワーマンション以外の選択肢がない状態。

内覧に行き、エレベーターの構造が複雑だなという感想を持ちつつ、このタワーマンションの応募に抽選でに落選。(URは民主党政権下で業務縮小が決定し、これ以降都心のタワーマンションはほぼ建設されていないためすごい抽選倍率だった)

見に行ったついでに、ほぼ同時期に竣工していたアパートメンツタワー勝どきについても内覧しにいくことにした。(というかURの内覧者にチラシを配っていてそれでぼくは知った)

東日本大震災があった関係で、URは入居が多数あるのに、民間の賃貸マンションは苦戦していたようで、そのまま契約。

フリーレントがついたり手数料が割引になったり、隅田川沿いのそこまで高層階でないけれど、見晴らしがそこそこよい角部屋が空いていて破格の条件で契約できたのだ。

このマンションは分譲賃貸品質だった。過去に住んでいたURのマンションと比較してレベルは抜群に高かった。このマンションは聖路加国際病院にも近くここで第一子が生まれ幼稚園に入るぐらいまで住んだ。よかったことは下記の通り。

・これまでのタワマンの経験を踏まえ、川沿いの中層階を契約できて、高すぎすよい部屋を契約できた。タワマンは新築時でないとよい部屋に入れないことがわかった。
・初めて民間のタワマンを契約し、URとの部屋の設備の差に驚いた。
・駐車場代が近隣より明らかに安かった。
レンタサイクルが完備されており自転車に乗り放題だった。
・マンション下にセブンイレブンとTSUTAYAが入居していた。2Fには歯科、小児科などの病院も完備されていた。
・駅から近く便利だった。しかも目の前がバス停で銀座や豊洲まですぐ。
・ゴミ出しは各階にゴミ置き場ができた。
・マンションに子育て専用施設があった。
マンションの隣に中央区の子育て支援施設「きらら中央」があり、子育てフェーズでとても役に立った(今でもたまに使う)
・セキュリティは三重になっていて、コンシェルジュもいた。

課題だと思ったこと

・晴海通りは想像以上に道路から車の騒音がうるさい。さすが国道。
西日がきつい。角部屋は、日差しが問題になることがわかり「もういいや」という気分になった。
・2010年代前半は勝どきは再開発で人が増え始めた段階で、まだそこまで街が発展していなかった。おしゃれな飲み屋は一部できていたが、まだまだファミリー向けの下町という感じだった。
廊下は内廊下だったが、エアコンがついていなかった。密閉されて空気の循環もよくなく夏は暑いし冬は寒かった。
・定期借地で安く借りれたが、2年毎の更新時にお金がかかった。

タワマン4回目(河田町→リバーシティ→河田町→勝どき)の今回のいますでタワマンに住む、メリット・デメリットはほぼ整理されたのかなと思う。

そしてもう一度URのタワマン(月島)引っ越しを経て、分譲の今のマンションに住むに至った。

自分なりにタワーマンションに住む意義をまとめたのは下記のような感じである。

メリット

・風通し、日当たりが何より良く、ストレスはたまりにくい。
・大規模施設ということで共用施設が充実していればお得に使える
・部屋で使うディスポーザー・インターネット代などお得に使える。
・利便性が高い立地場所だと、ひたすら便利
・ゴミ出しの心配がいらない。
・セキュリティは単なるオートロックだけではなく安全。
・蚊やゴキブリなどの害虫から開放された。

デメリット

・日差しは注意。特に西日が指す角部屋は夏はエアコン代もかさむ。
・駐車場は、後日契約しようとしても空いていないこともある。
・利便性が高い通り沿いのマンションはやはりうるさい。
・内廊下は高級感があるが、エアコンがないと空気が淀み考えもの。
・地震や災害がくるとエレベーターはまあ確実に止まる。
・バルコニーの風切音はうるさい。
・設備が古いと割高に感じることがある。

子どもができて、引き続き仕事の関係で都心に住むニーズがあつたため、タワーマンションの利便性と資産性ということを考え、結局は分譲マンションを購入した。

やれ埋め立て地だ、やれタワマンだ、と陰口を叩かれることもあるのだと思うが、住んでいる当人からすると正直何も感じていない。

中国の再開発でできた近代的なマンション街に住んでいたことがあるのでアジアではそれが普通なのではぐらいな感覚である。もちろん麻布や代々木上原の低層マンションのほうが豪邸だという考え方もよくわかる。

でもそういった地域は、もっと圧倒的なお金持ちの人たちが住むべき街で、移動手段に電車はめったに使わない人たち前提の世界で、正直コスパ×利便性の世界とは程遠い。共益費も高い。

資産性ということで考えるなら「誰が買うのか」ということが想像できるかにつきる。湾岸地域のマンションは、若い世帯年収が高い世代が買うか、高齢者がコンパクトな部屋を求めて買うか、外国人が買うか、である。内陸の高級住宅地は古くからのお金持ちが買うのだと思う。

住む街の資産性は、資本や人の流入が続く限り前向きで街はどんどん元気になっていく。特に若い世代の人たちとその子どもが住んでいる街は前途有望である。

湾岸地域は下町でありながら再開発によって新しい世代の人たちが流入した郊外の住宅地とは違う側面があり、土地が低層か埋め立てかという不確定要素はあるけれど、「街に活気があること」が最大の資産性だと思っている。そしてそういう意味の資産価値は、現在ぼくが住んでいる月島や佃など古くからの下町と共存する街並みであれば、いきなり目崩れすることもないのではないかと思う。(でも今の地価は正直高すぎると思うけど)

資産価値といっても、別に売る前提で買っているわけでもなく、住むために買っているわけで、そういう人って別にそこまで気にしなくてもいいんじゃないの、っていう人は意外と多いのではと思ったりする。

とはいえ10年住んで、修繕積立金が跳ね上がる現象があり、それぐらいのタイミング単位で、引っ越そうとするときにもちろんそれなりの金額で売却できた方がいいという考え方はあると思う。

とはいっても、今住んでいるマンションは住んでいる住民の民度含めてそれなりに気に入っていて(リバーシティから移り住んだ老夫婦も多い)、多少設備が古くなっても住み続けてもいいのではないか。(実家の両親の状況が変わったりして住み替えないといけなくなったときどうするかの問題はある)

私は今月島に住んでいるのだが、もんじゃ焼き屋の裏路地に最近お洒落なご飯屋さんができたり、門前仲町の下町の居酒屋まで歩けたり、新富町や築地まで歩いて、美味しいレストランに出かけられるので、正直あと数十年住んでも飽きないような気がする。

もちろん、タワマンから見られる夜景は綺麗だけれど、昼間の無機質なコンクリートの建物群から逃れたいと思うことは多々ある。そういうときは子どもと地上におりて近所の公園で遊んだり、隅田川テラスを散歩するようにしている。

やっぱり川はいい。風水的には気をつけた方がよいけれど。

また無機質な東京という大都会に飽きてきたら「いきもの」を育てたり「作物」を育てるとよいと思う。

我が家はバルコニーがやや広く、2年前から教育も兼ねて空中家庭菜園をやっているし、カブトムシの幼虫の繁殖もやっている。これがwithコロナ時代を見据えてやっいたわけではないけれど、都心のタワマンはちょっと息が詰まるところもあったので、結果として同じことになった。

とはいえ、東京都心から離れて日本の郊外や地方都市に住むことになったときは、タワーマンション、高層マンションに住むのをやめる時なのかなと思っている。(海外は逆かな)

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