モルディブ・リッツ滞在記9【星空】
▽パーティーに参加
カクテルパーティーに招待された。
それ、タダ?という不躾な質問に、バトラーは「タダ(complimentary)だよ」と即答してくれた。ならば参加しない手はない。
僕らは多少着飾って出かけた。こんなケチな宿泊客でも、スタッフがバギーで送迎してくれる。
パーティー会場は海岸に面した広場。日没を眺めながらシャンパンと軽食を楽しめた。
写真を沢山撮ってぼんやりしていると、女性スタッフが「アラベスクには行きましたか」と声を掛けてくれた。
アラベスクは、舟で行けるもう一つの島“Fari Marina Village”にあるレストランだ。夕食がリーズナブルで美味しいからぜひ、と勧めてくる。
僕らが「その島は昼間遊びに行ってきた」と言うと、彼女は「夜に行くのがオススメですよ」と言ってきた。星が綺麗に見えるスポットがあるらしい。
「帰りの舟だと屋上に乗せてくれるから、そこから見える星空がサイコーなのよ」
これは僕らにとって、レストラン以上に耳よりな情報だった。なにしろ新婚旅行だから、ロマンチックな光景も、やっぱりこの目で見たい。
確かに、リッツの島は客室が多くて明るいためか、星はすこしぼやけて見える。海の上から夜空を眺められれば、さぞ美しいだろう。
行ってみようか。
うん。良さそう。行きたい。
女性スタッフは、関心を示した僕らを満足げに眺めて、「絶対に行くべきだわ」と念を押した。もはや、レストランの話はそっちのけである。
▽星を見る
僕らはその翌日の夜、ふたたび舟に乗って別の島を訪れた。目当てはもちろん、彼女が教えてくれた星空である。
船着き場ですぐに「星を見に来たのか」と尋ねられたので、「そうだ」と言うと、レストランのある一帯から外れた桟橋に案内された。
L字になった桟橋の先端に、大きな望遠鏡と1人のスタッフがいる。
「望遠鏡で何でも見えるよ。30分15ドル」
商魂たくましい。しかし円換算するまでもなかった。
「いや、カメラで写真を撮りにきたんだ」
「そいつはいい。ご自由にどうぞ」
スタッフは手持ちぶさたな感じで離れていった。
妻が近くのソファに仰向けに寝そべって、空を眺めはじめた。僕は三脚を据えて、一眼レフの調整を始めた。
波の音が、僕たち夫婦のいる桟橋を包んでいた。ほかに旅行客は誰もいない。
レストランのスピーカーで流れていた音楽は、くぐもって、はるか遠くから届くように響いた。ときどき僕のカメラが、カシャカシャ音を立ててシャッターを切る。
空はちょっとだけ雲があったが、綺麗だった。
空は、星が大きく見えるというより、遠くまで見える感じだった。東京の空と比べて、何倍もの数の星が瞬いているようだった。
「オリオン座、どれだっけ」
妻が探している。シャッターを切りつつ僕も探す。見つからない。これだけ星があるのに、不思議なものだ。「季節が違うのかもね」と2人で納得した。
気になって帰国後に調べたところ、果たしてオリオン座は冬の星座だった。道理で見えないわけだ。
しかし、やっぱり不思議なものだ。
あれだけ沢山の星が見えたのに、どうして僕らはオリオン座が「ない」と分かったのだろうか。間違った星を選ぶこともせずに。
きっと、人間の内奥には、星を見分ける本能みたいなものがあるのだろう。人の顔を見間違えないように、星も見間違えないようにできているのかもしれない。
昔の人は、星を読み、自分たちの進むべき行き先を知ったのだから。文字通り死活問題だったはずだ。
星の綺麗な場所を訪れると、そんなことを実感させられる。
▽カメラに残らない星空
帰りの舟では、屋根の上に乗せてもらった。行きも帰りも、乗船客は僕らしかいなかった。
満天の星空の下を、ボートがすべってゆく。風を感じながら、僕らは首が痛くなるまで天を見上げ続けた。
月は低く、空は高かった。
目を凝らすと、近い星と、遠い星が見分けられるような感じがした。星空にも奥行きがあるんだなと思った。
空を撮ろうと四苦八苦していた妻が、諦めてiPhoneを鞄にしまった。
「この空は、動画じゃ伝わらないね」
そうだね。
どんな名文を書いても、どんなに腕の良いのカメラマンでも、伝えられないものは伝えられない。
僕らは、だから旅に出るのではないか。自分の眼で、この世界のすばらしさを確かめるために。
舟の前方に、桟橋が見えてきた。スタッフが、舟を係留するロープを手にして待っていた。
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