第3回 シナリオライターになるには?
ごくたまにですが、「シナリオライターになりたいんですけど……」とか「どうすれば脚本家になれますか?」と聞かれることがありますが、おすすめできる仕事かどうかは置いておくとして、今は大きくは二つの道があると思います。「シナリオ学校に通って先生に認められてその助手的な仕事からスタートする」か「シナリオコンクールで受賞してデビューする」かの道です。
脚本家(シナリオライター)になりたい方は今、とても少なくて人手不足でもあります。シナリオ学校も生徒がなかなか集まらない状況に頭を抱えていると聞くこともあります。ただ、人手不足だからといって、「じゃあ明日から来てください」と言われても手順やマニュアルのある仕事ではないので、すぐに何かしらの仕事ができるというわけではありません。
なりたい人が少なくて人手不足で、でもすぐにはできない仕事って、「なんだそのワガママな仕事は」と思わず言いたくもなります。なりたい人は多いけど、なかなかなれないから人手不足な仕事だったらカッコいいのですが、なりたい人がいなくて人手不足というのは、要は労働環境が良くないということです。自分の職業ですから、人から目指してもらえるような職業になってほしいですが、こうなってしまったのは我々シナリオライター自身のせいによるところも多分にあるかと思います。ですが若手の頃に、こちらが売れていないというだけの理由でゴミのような扱いをしてきたプロデューサーのことなども思い出しますので冷静ではいられません。彼らのような存在がいなくなり、シナリオライターがちゃんとしたプライドを持てれば労働環境は変わると思いますが、それはまたいずれ書けたらと思います。
本題に戻ると、シナリオ学校が繁盛していないといっても通ってくださる方はいらして、そのうちの何人かの方は本気でプロになりたいと思っています。そういう方は、シナリオ学校に通いながら課題作をせっせと書いては先生に読んでもらい、それと並行してオリジナルの作品を書いてコンクールに応募しています。シナリオライターになる方法は二つあると書きましたが、実質は、シナリオ学校に通いながらコンクールに応募している方が多いのではないでしょうか。コンクールには通らなかったけれど、それでもプロを諦めきれない人が、シナリオ学校で出会った先生などの助手的な仕事からデビューのきっかけをつかんでいくのだと思います。コンクールに通った方は、その作品がそのままデビュー作になることも多いですし。
僕が映画やドラマの脚本を何作か一緒に書いたY君という若者がいるのですが、彼は僕がシナリオ学校で講師めいたことをしていたときに通っていた生徒さんでした。シナリオコンクールに応募するもなかなか受賞には至らなかったのですが、熱心にいろいろ書いては読んでくれと持って来ていましたし、他人のシナリオを丁寧に読み込む力もありました。多く書いていると当然うまくなっていきますので、彼に声をかけて一緒に仕事をするようになり、とある連続ドラマを1話書いてもらったのが彼のデビューとなりました。Y君はその後、NHKの脚本チームに100倍以上の(もっとだったか?)競争率を突破して受かりましたから、僕の彼を見る目は確かだったのだと自画自賛しておきます。
もう一方の「シナリオコンクールで受賞してデビューする」という形では、坂元裕二さんとか野木亜紀子さんとか井上由美子さんとか、大勢の錚々たる脚本家の方々がいらっしゃいます。シナリオコンクールというのはいくつかありまして、フジテレビ、テレビ朝日、NHKなどは毎年コンクールを開催していて1000本以上の脚本が集まります。この本数が多いのか少ないのかはわかりませんが、その中で本気で脚本家を目指している方は10分の1でもいらっしゃればいいのかなと思います。これらのコンクールで受賞すれば映像化が約束されているうえに、賞金ももらえますし、野球で言えばドラフト1位、相撲で言えば幕下付け出しデビューみたいなもので、すぐにチャンスを与えられます。そしてそのチャンスをものにしたのが先に書いた脚本家の方々ということになります。
で、ようやくここから更なる本題というのか更なる脇道かもしれませんが、僕の場合どのようにしてシナリオライターになったのかと言いますと、先述した二つの道ではありません。そもそもシナリオライターではなく映画監督になりたかった僕は、映画学校の監督コースに入学して(実を言うと、俳優というのも頭にあり、俳優学校とのダブルスクールをしていたこともありますが、その話もまたいずれ)、卒業後は現場に出ました。ただ、当時の撮影現場というのは非常に過酷でハラスメントの雨あられ、それを乗り越えられた人だけが生き残るみたいな雰囲気もあり、なんの才能も実績もないのに早く監督になりたいだけの僕のようなチャラい若者にはとてつもなく厳しい場所でした。
そんなときに「監督になりたいなら脚本を書かなきゃダメだ」とプロデューサーの方に言われたのと、その頃からちょくちょくお名前を見るようになった宮藤官九郎さんを目標に、「俺もこのミヤフジカンクロウさんみたいにまずはシナリオライターとして売れっ子になれば早く監督になれるんじゃないか……」なんて宮藤をクドウとも読めないアホな僕は、短絡的にシナリオライターになってから監督になろう!と思い立ち、それからはアルバイトをしながらシコシコと脚本を書き始めました。
ちょうどその頃、先輩が監督デビューすることになり、その作品の脚本を頼まれたことも背中を押してくれました。そして晴れて僕は、その作品で28歳という若さで脚本家デビューを飾ったのです。とても恵まれていたと思います。調子にも乗りました。ところがデビューしたはいいものの、脚本家でい続けることにとてつもなく苦労してしまうのです。待てども待てども次の仕事は来ず、今度は別の先輩と企画を立ててそれを売り込む毎日です。それもなかなか実現せず、次の脚本作が公開されたときは34歳になっていました。
そしてそこからが本当の地獄で(デビュー作が28歳だから34歳までの間も地獄かもしれませんが、30歳で結婚して雨風だけはしのげた!?)、仕事は完全になくなりヒモ生活の始まりです。2年後の36歳のときに最初の子供も生まれたので、実質映像業界から足を洗って専業主夫をしていたのですが、なぜかシナリオだけは毎晩毎晩、誰に見せる当てもなくひたすらに書き続けていました。心はとっくに折れていたのですが、心は折れてもシナリオは書けていたのでした。いま考えれば、それはやはり、何かひとつでも自分の刻印を残したかったのだと思います。
そして40歳になり、次の子供も生まれ、未練を断ち切る意味も込めて、書き溜めていたシナリオでコンクールに応募しましたが、軒並み落ちました。未練を断ち切るつもりだったのに、未練タラタラだった僕はすぐにタイトルだけ変えて別のコンクールに出したのですが、驚いたことにそのうちの二つの作品が別のコンクールでそれぞれ大賞を受賞しました。ここで声を大にして言いたいのは、ひとつのコンクールで一次審査に落ちても、別のコンクールでは大賞をとる可能性があるということです。使い回すより次を書きなさいというのが正しい意見だと思いますが(今は別のコンクールで落選したものは応募してはいけないなんて規定のあるコンクールもあるようです)、未練タラタラの僕はなりふり構いませんでした。必死に書いたシナリオなので一度ダメと言われたくらいで諦めたくなかったのです。
大賞をもらった二つの作品はどちらも映像化されました。映画『百円の恋』とNHKドラマの『佐知とマユ』という作品です。『百円の恋』が受賞した松田優作賞というコンクールは映像化が前提ではなかったので、そこからまた営業し直してクランクインは受賞の2年後でしたが、『佐知とマユ』のほうは最初から映像化が決まっていたので嬉しかったです。ただ、受賞後にシナリオコンクールについてのネット掲示板などに「こいつ、プロのくせになに応募してんだ? 恥ずかしくねえの?」とか「どうせプロで食っていけなくて応募したんだろ」とか「本名隠してペンネームで応募してんの恥ずかしすぎ」というようなことを書かれました。
そう書かれたとおり、僕は恥ずかしかったのです。応募規定に違反しているわけではありませんが、応募者の大半がプロではないコンクールに、もう何年も前にデビューしていて、それから鳴かず飛ばずなのに、デビューしているということでプロと呼ばれてしまう自分が応募することが、すごく恥ずかしかったのです。だからペンネームで応募しました。敬愛するプロレスラー、天龍源一郎選手の本名である嶋田源一郎からいただいて、嶋田の島から意味なく山を抜いた島田一郎というペンネームでした。
ですが受賞したと連絡をいただいたとき、「どうしますか? ペンネームのままで発表しますか? 本名で発表しますか?」と聞かれ、僕は臆面もなく「もちろん本名で!」と大きな声で言いました。嬉しくてたまらなかったのです。シナリオライターとしてようやくやっていけるようになったのはそこからなので、まだ10年ほどの現役生活です。年齢はいっているのにどうにも若手キャラが抜けきれず舐められてしまうのはそのせいでしょう。あと、認めてもらえない時期が長すぎて脚本における自己肯定感がものすごく低いのです。今でも自分の書くものにまったく自信がありません。
「ヒモ生活をヘラヘラと10年もできるのは自己肯定感が高いんだよ。捨ててほしいけどね、そんな自己肯定感」と妻が言うように(僕はヒモではなくれっきとした専業主夫だったと思っています。あ、これも自己肯定感の高さか)、シナリオライターでい続けるにはハタ迷惑なくらいの自己肯定感を持っていることが必須のような気がします。どうしてそんな自己肯定感を得られたのかは、誰にも褒めてもらえないシナリオを「面白いけどなあ……」と自信なさそうに誉めてくれた妻と、砂糖漬けのように甘く育ててくれた両親のおかげかもしれません。
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