第3夜 マルセイユ辺りにある詩集
[編集部からの連載ご案内]
宇宙観=人間が生きる宇宙についての哲学的な見方や考え方のこと。
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翻訳者であり、詩人としての顔も持つ高田怜央。本連載は、日々言葉と向き合う書き手が、その眼に映る世界の在り方について、自問自答し、記憶を辿り、歴史に想いを馳せながら思考を巡らせる哲学エッセイです。宇宙のように広大な世界へと誘ってくれる思索の旅へ——今宵、あなたもご一緒しませんか? 第3夜のテーマは「『翻訳』とは何か?」です。(月1回更新予定)
「翻訳」とは何か?
この夏、対訳詩集が出る。翻訳は私、原文も私。翻訳者と詩人の一人二役で本文を書き下ろした。つまり、英語で詩を書き、日本語に訳すというプロセスがそのまま一冊に収録されている。
なぜこのような形式になったかというと、いくつか理由がある。まず、私は英語でしか詩を書かないこと、今は東京で暮らしていて翻訳の仕事をしていること、それから生い立ちのこと。
三島由紀夫とオスカー・ワイルドの比較研究をしていた父親に連れられて、9歳のとき英国に移住した。それから、ほとんど日本人のいない街で育った私は、当時、日本語を唯一自由に話せる「母語」と思いながらも、家族、土曜日に会う友人、そして文学と会話するとき以外にそれを使うことはなかった。今よりもずっと国と国が離れていると感じられた子ども時代、「日本語」に触れる時間がそのまま私にとって祖国だった。
けれども、標識が日本語で、TVが日本語で、教科書が日本語で、社会が日本語で成り立っている土地はずっと遠くにあることも知っていた。その街の空気を満たす言葉が、谷崎潤一郎や梶井基次郎、安部公房や萩原朔太郎の語り口ときっと違うことも。かつてフランス領だったアルジェリア出身の哲学者、ジャック・デリダは自分の第一言語であるはずのフランス語を「他者の言語」と呼んでいた。言葉はつなぐものでありながら、ときに切断面のざらつきを感じさせる。
事実、帰国してから気がついた。私の日本語は母語でありながらいつも横書きで、まるで英語のように左から右へと進み、不揃いの余白を残して折れ曲がる。発話して、音を宙に浮かべるときでさえ。母語だと思っていた日本語で話すとき、それはいつの間にか父の言葉、比較文学から越境文学に関心を移した私の父の思索を実証する言葉になっていた。(ちなみに、たったふた回りしか年の違わない父親は、電話を切るとき「ごめんください」と告げる。やや時代に馴染まない挨拶だ。それでいて芝居がかったところがない。離れてみると、不思議に思う。)
日本語を話す私と、英語を話す私が外の世界で混じり合うことはない。けれども、頭では常に二人が沈黙のなかで争い、仲裁に追われる。つまり、私というひとりの人間のうちに「公用語」という統一的な言語はなく、必ず翻訳が必要になる。そしていつの間にか大人になり、翻訳者になった。この職業が、いつまでもあるといいと思う。言語と言語の折り合いをつけることは、私自身の過去と和解すること、言葉の歴史の複数性を慈しむこと、語らずしては生きられない人間という存在と、そのひとりひとりの差異のもつれ合いを愛すること、これらすべてに学ぶことを意味するから。
出来上がった詩集『SAPERE ROMANTIKA』を開くと、ページの片面に余白を残して、英語詩と日本語訳が交互に現れる。ふたつが鏡合わせのように左右に置かれることはない。英語で書く私と、書かれたものを日本語で読み解こうとする私。その二人は、すれ違う他人である。両者がお互いにとって他者であること、決して見つめ合うことはないこと、けれども何かしらの関係にあるということ。
ページをめくるごとに、英文と和文が、割れて、綴じて、割れて、綴じて、を繰り返す。ふたつの言語で印刷された詩は、互いの残像によってのみ重なり合いつつ過ぎ去っていく。今回は、私ではない読者、あなたの手によって。そのために、いつものモレスキンのノートに書かれた詩は、複製され、詩集になった。
英語で語る詩人と、日本語で語る翻訳者は待ち合わせをする。おおよその考えはあるけれど、まだどこかはわからない、見知らぬ約束の地まで旅をして。いつか読者は二人を引き合わせ、そこでの出会いを見届けることになる。ああ、また聞き覚えのない声がする。
【詩】
Bedtime stories
Once there's a world
it's all broken.
Are we strangers enough
to know each other,
to hear the dead
fixing time?
眠れぬ夜のゆえに
世界あれ
ど 割れてこなごな。
知り合うほど 他人では
ない気がする私たち、
死者たちの
待ち合わせ 聞こえる?
詩:高田怜央
写真:遠藤祐輔
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