認識とはなにか 終わりに

自分にとって、出現している認識はすべて「今」の認識である。
過去の記憶は脳内にそのままで貯蔵されていると感じられる。しかし、“それは過去の記憶である”と自分が把握しているのは「今」である。過去の記憶は、「今」において「過去の記憶」と意味づけられる。(蛇足だが、過去の記憶は既視感を帯びているだろう。)

おそらく、
・身体に貯蔵されている情報
・認識をつくるしくみ
・認識を出現させるしくみやきっかけ
の相互作用によって認識は自分に出現する。
出現した認識の集合は自分の体験、行動、思考の場となり、この出現した場には「今」という意味付けがなされる。

“自分が対象を把握するとき、対象の内容と場所という認識が一組になって必ず存在する。そのどちらか一方だけを把握することはできない。”
これを前提として、自分が認識を得るしくみについて考察してきた。
しかしながら、統合失調症の症状が強く出ている場合には、内容と場所の認識の組み合わせが失われているように感じられることがある。
内容と場所の認識が危うくなった時、精神病の危機に直面しているかもしれない。認識とはなにか、自分がどうやって認識を得るのかを考えることは、精神病の理解や回復に役立てられる可能性があると考える。

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