ゆるだら駄文日記その5
えー、1ヶ月近く文章を書かずにいました。
あけましておめでとうございます。
僕です。
今回は、日本の社会の現状について、僕が思うことをポツポツと綴っていければと思いまーす。
生きなければいけないという強制社会の在り方。
僕なりの考えですが、正直、誰に頼んでもないのに生まれ落ちてしまって、"生きる"という事を当たり前に皆さんがしている。
日本ではその為に、学ばなければならない、労働しなければならない、納税しなければならない。
という三大義務が生じ、それには相当量のエネルギーが必要だと思う。
そして、働けない者へは様々な社会福祉制度が存在し、捉え方によっては生きる事を強制させられる。
安楽死の方法は今のところ、我が国では法的に存在しない。
生きてたくない側の僕にとっては、これがとても辛い。
わざわざ、健康な働けている人達からの税金によって生かされる制度に、どこか申し訳無さを感じながら、人生を進めていかなければならないという事に甚だ疑問の念を覚えるのだ。
生きる上での、学ぶ事、進学就職先、業種、結婚などには様々な選択肢がある。
みな行き着くところは"死"なのであれば、そこに対する選択肢があっても、構わないのでは無いか。
マインドに優劣をつける事はあまりしたくないが、敢えてするのであれば、僕の基本マインドはマイナス思考である。
更に言えば僕は多分、気力やエネルギーが元々そんなに無い。
そして、その生まれ持った性格や体質、考え方は恐らく遺伝するはずで、例えば僕に子どもが出来たとしたら、半分くらいはその要素を持ち合わせた子が生まれるはずだ。
この生きてたくないのに、生かされている人間を世の中に残しておく事は、果たして社会全体において、プラスな結果を生むのか。
活力、精力的な人間を残し、無気力、怠惰な人間には死という選択肢を与え、いわば排除できる人間は排除していけば、社会全体のパフォーマンスはアップするのでは無いのか。
と、考えてしまう。
人が、死にたいと思う背景には様々な理由が伴う為一概に言い難いが、僕の場合は、何故生きなければいけないのか、生きてても良いことなんてないのにな。いいことを掴み取れるような活動力が僕にはないからな、と思っている。
家族、会社、友人、同僚、学校、など要因は多岐に渡る。
他の動物に比べ、人間は脳が発達しすぎたが故に、悩み、考える事ができる。
悩むという事はある種の贅沢でもあるが、生物学上人間にしかみられない特性であるように思う。
人類の歴史は浅い。そして価値観や環境が急激過ぎるほどに常に変化している。
そこについていけない個体がいても、なんの不思議もないのだ。
そして僕は、メンタルでも身体でもそこまで強くない個体である為、この日本社会で生き抜くことがとても難しい。
"死"にももちろん"生"にも選択肢がある事が平等であって欲しいと、子どもの頃から常に考えている僕。
生きるのが美学とされる世の中。生きたくても生きれない人もいる。それも重々承知の上で、死にたいと願うことくらいは許されて欲しいものである。
いつか死ぬならそのいつかは今がいい。
そう思っても、良いのでは無いかと、僕は思い続けながら悩み続けながら、惰性で今日も生きている。
今日はここまで。
体調絶不調。
生きるの大変。
僕でしたー。
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