2019年9月4日
忘れもしない日だ。
この日,私は職場で倒れた。
2018年に赴任した職場は,地域の大学進学希望者が集う,いわゆる「田舎の進学校」だった。素晴らしい人間性の生徒が毎年数多く入学してくれていて,初年度に所属した学年には志の高い同僚もおり,これまでに勤務した中でも間違い無く一番楽しく働けていると実感していた職場だった。
転機が訪れたのは2019年度。
一緒に赴任した同僚と共にこの職場での初めての担任となり,学年メンバーが総入れ替えされた。当初こそ未経験のことだらけで,生徒との人間関係を構築することに夢中だったがために気付けなかったが,年齢的なこともあるのか,私は「年配職員にとって使いやすい」存在になってしまっていたようだ。
選抜クラスの担任や,教育実習の指導教諭,平素の生徒への講習・課題作成など,任されたからには関わる生徒・職員に失礼のないよう頭を捻ってアイデアを出し,実行していたが,ある時ほぼ確実に私に任せた人間からの横槍が入っていることに気が付いた。
前年度と同じ方法で実施した教育実習生の指導には,「担当させる授業時数が少な過ぎる」「17時~18時に帰らせるなんてとんでもねぇ話だ」「自分の全ての授業担当クラスで授業をさせるべき」と,前年度には全く言われなかったことを言われ,計画は変えさせられ,自分自身も定時に帰れない(帰らせてもらえない)日々となった。
課題について話し合っても,一番年配の職員が別のことを言い始めたら結局その方法に誘導されるようになり,講習に至っては開講募集締め切り前日になって「他の先生がこれだけやってるのに,俺がやる必要ある?」と言って結局協力しなかったのにも関わらず,講習中に教頭が見回りに来ると「やべぇな,講習やってねぇのバレちゃうよ笑」と半笑いで言い出す始末。
死守できたのは生徒との関係性のみ。授業やHRで生徒の前に立っている時だけは感情表現ができ,元気でいられた。しかし夏休み期間の後半から,自分の頭の中にもやがかかり始め,身体に力が入らなくなるのを実感していた。
そして,その日が来た。
それまでの私は,休職なんて絶対にあってはならないこと,自分が休んだら誰かにその皺寄せが行ってしまう,そして何より年度途中で担任や授業担当が変わってしまう生徒達に申し訳が無い,そう強く思っていた。
だからこそ,どれほど理不尽な仕打ちを受けようとも,我慢してこのメンバーと何とか上手くやらねばいけない,相手が理解してくれないのは自分の力量が足りないからだ,とも本気で思っていた。しかし現実は違っていた。
初めて訪れた精神科で鬱病と診断を受け,主治医から最低3か月の休職を告げられた時,私は心から安堵し,人目もはばからず泣いた。
休職なんて絶対にあってはならないなんて,ただの思い込みにしか過ぎなかった。私が休んでしまったら崩壊してしまうような組織など,まずシステムがおかしいのだと気付いた。
そして,相手の理解が得られないのは,自分の力量が足りないことだけが原因なのではなく,そもそも相手が理解するつもりがなかったり,相手がこちらを使い勝手の良い駒としか考えてなかったり,こちらに対する敬意を全く持っていなかったりする場合もあるのだと理解した。
もちろん途中で教室から姿を消してしまったことで,生徒に対する後ろめたさはあった。だがあの時,限界を迎えて制御できなかったとは言え,教頭に「辛い」と泣きながら伝え,休むという選択を取れた自分を,後々になってとても誇らしく思えるようになるとは,この時の私は想像も出来なかった。
まず,働き方に対する根本的な考え方が変わった。
私が休職している3年3か月という期間に,日本の公立学校現場は悲惨な状況に変わって行った。精神疾患を原因とする休職者が全国で5000人を超え,文科省が主導していたのにいつの間にか立ち消えとなった「#教師のバトン」で長時間労働の過酷さがいよいよ隠し切れなくなり,学生が教員を目指さなくなった結果,現在では2000人以上現場で教員が足りていない。
それにも関わらず,文科省が打ち出す策は魅力の発信,採用選考の前倒し,教員ではなく支援員の増員など,根本解決に全くならない斜め上のものばかり。現場は現場で,管理職も定時を崩壊させている部活動から職員を切り離す気配すらないし,もう期待することなどやめて自分で働き方を変えなければダメだと確信した。
また,これまでの自分の働き方が,いかに家族を蔑ろにしてしまっていた異常なものだったのか気付き,大いに反省した。
休職してから,当たり前だが家族との時間が一日のほとんどを占めた。自分が家事をするのも,子ども達と食卓を囲むのも,土日に何も考えずに休んで家族で出掛けるのも,倒れる前までは全然できていなかった。自分がどれだけ妻と子ども達の優しさに守られ,時にそれを免罪符にしてしまっていたのか。
自分は働いているのだから協力できないことがあって当たり前,そんな風に考えてしまっていたことがあったのは事実だ。だが,それを当たり前とせず,仕事を休んで家族との時間を作る人も世の中にはたくさんいるということに改めて気付き,過去の自分の愚かさと傲慢さが恥ずかしくてたまらなかった。
この休職期間を機に,復職後の私は職場でも「家族を何よりも優先する」と宣言し,授業のある日でも躊躇することなく休んで家族の急病などに対応するようになった。また,部活動は教員の仕事ではないと管理職にはっきりと伝え,顧問就任を拒否する旨を明言した。その他にも,職場の規則にくまなく目を通し,合理性を欠く慣習には質問して削って問題無ければ削って欲しいと呼び掛けている。
働くために生きるのではなく,生きるために働く生き方にシフトしたのだ。
教員だけが仕事じゃない。
まだ先があるんだから,職を変えるのは何も悪いことじゃない。
身の丈に合った暮らしをすればいい。
信頼する家族・親族にこう言ってもらえたことも,この生き方への変化の後押しとなった。
もうすぐ,私の人生の転機となった9月4日が今年もやって来る。
まだ通院と服薬は続いているし,この病気とは生涯付き合い続けなければならないことも分かっている。でも,社会復帰を果たした今の私は,これから先の人生がどうなってしまうのか不安で仕方なく,9月4日を悪い意味で意識してしまっていた去年までの私とは違う。
今の心身の状態を維持できれば,次回から服薬の量を減らせると言われているし,何より,復帰できたからこそ,立場ある人材となり,同僚や同じ苦しみを抱える教員たちの助けになりたいと思えている。
最終目標は,県教育委員会に異動し,明文化されていないルールが最優先されているせいで休職の原因となった職場からの異動が叶わないという腐った現状を変えること,そして,長時間労働の原因となっている慣習を片っ端から無くしていくことだ。
今の私があるのは,2019年9月4日に休職という選択をしたからだ。
お立ち寄りくださいまして,誠にありがとうございます。 皆さんが私に価値を見出してくださったら,それはとても素敵な事。 出会いを大切に。いつでもお気軽にお越しください。