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グラスが乾いた日

私の持つグラスは,いつも濡れていた。
ある時は居酒屋で,ある時は友の家で,ある時は自宅で。

飲むものはその場・その時で異なる。
ビール,梅酒,ハイボール,カシスオレンジ,ウォッカ,テキーラ,レッドブル,紅茶,麦茶,牛乳…

「グラスを持つ」という行為は,乾いた喉を潤すと同時に,その場・その時に体と心が訴える乾きをも潤してくれていた。
そこにはいつだって,安堵に満ちた顔が一緒にあった。
私だけでなく,友の,家族の,見知らぬ人達の顔もだ。

いつしか,その顔を見掛ける事が少なくなっていた。
これまで当たり前であった「外出する」という行為が当たり前でなくなるなんて,いったい誰が想像しただろう。

どこに行ってもマスクに包まれた人達。

『今の人マジお洒落!』
『あの赤ちゃん,めちゃくちゃ可愛いかった!』
『あの人が持ってるの美味そう!どこで買えるのかな?』

そんな会話もとんとしなくなった。
これまで意識した事も無かったが,私は道行く人達の表情を自然と目にし,そこから読み取れる情報をもとに行動している事が多々あったと気付いた。
そしてそんな行動は,当たり前になって欲しくない「マスク着用」という習慣によって,すっかり過去のものとなっていた。

最後に入った居酒屋は,半年前の錦糸町。
店内の喧騒も,煙草の煙も,友の笑い声も,たった半年しか経っていないのに,もう随分昔の事のように感じてしまう。

『飲みに行こうぜ』

まさかこの言葉が,簡単に口に出せなくなるなんて。

その日から何となく,自宅での晩酌も少なくなっていった。
妻があまり飲めず,私自身も一人で飲むのがそれほど好きなわけではなかったこともあり,自然な現象だった。
いつしか,喉と体と心を潤す濡れたグラスの出番は無くなった。
毎日水切り籠に並んでいたグラスが乾く日が来るなんて,思わなかった。

前代未聞の新年度が始まり,4月が終わろうとした夜,高校時代の友人から連絡が入った。

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この時期に流行し始めたオンライン飲み会の誘いだった。
毎年ゴールデンウイークに開催されていた会合が,物理的に不可能になってしまったため,何の気なしにされた発言にメンバーが一斉に食いついた。

本当に嬉しかった。
僻地に引っ越し,ある程度自由に外で体を動かせるというアドバンテージ(下記過去記事参照)はあったものの,私の心は,家族以外の人間との繋がりに飢えていた。

やり取りが交わされた3日後,約束は果たされた。
誰かの発言が社交辞令で終わらず,絶対に実行されるからこそ,今でもこのメンバーとは繋がり続けていられるのだと再認識した瞬間だった。
私も含め,最初はZoomのインストールに手間取るメンバーが続出するという笑えるハプニングも肴にしつつ,初めてのオンライン飲み会が幕を開けた。
noteを始める前にローカルで記録していた備忘録を見ると,その時の様子がこんな風に綴られていた。

憲法記念日。天候には恵まれているものの,なかなか強風が止まない日々。初めてのオンライン飲み会を開催することとなった。恒例の会合を開くことが出来ないため,〇〇(友人1)の発案に大多数が2つ返事で賛成。××(友人2)と△△(友人3)のフットワークが軽く,教えてもらった通りにZoomをインストールすると,あっという間に繋がることが出来た。以前からリモートワークの推奨されている企業では利用されていたのだろうが,もし緊急事態になっていなかったら,こういったオンライン会議用ツールなど生涯知ることなく過ごしていたかもしれない。途中子供たちが友情出演するというハプニングにも見舞われたが,それも含めて肴になったり,結局気付けばガッツリ4時間,何もつまむことなく久々に笑い続けた。日付も変わり1時になろうかという頃に就寝の旨を伝え退出。どんな状況であれ,こうやってすぐに繋がろうとしてくれる仲間に恵まれたのは一生の財産だ。平穏が取り戻されたら,またみんなで集まりたいものだ。

「んじゃ,またね」

今まで当たり前に伝えられていたこの言葉が,こんなにも尊く感じられる日が来るなんてと,久々に濡れたグラスを持ちながらしみじみ感じた。

離れていても,乾いたグラスは濡らすことが出来る。
いつもの壁紙に戻った画面越しに,そんなことを思った。
新しい当たり前が,始まった気がした。

#また乾杯しよう

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