いらない仕事たち2 服装・頭髪指導と学校謹慎
つい先日,東京都教育委員会での「何故ツーブロックを校則で禁止するのか」という内容の答弁が,動画拡散されるまでに話題となった。都教委の見解としては,「外見等が原因で事件や事故にあうケースがございますため」とのことである。
馬鹿じゃねーの? この一言に尽きる
ということで,今回は様々なメディアで取り上げられている校則に絡んだ投稿を寄せる。
教員も校則に悩んでいる?
かく言う私自身も,ツーブロックを規制しなかった学校で勤務したことがあるのはたった1度だけである。事実として生徒に髪型を強制していたことになるのだが,その当時はそれで生徒側も引き下がってくれていたので,我々よりも生徒の方が大人だったと思うし,それが正しいと思っていた当時の自分の言葉を聞いてくれた生徒に申し訳なかったという気持ちがある。ではまず,教員が如何にして頭髪について生徒を指導するのか,実際に私が勤務した学校の例を紹介する。
頭髪指導の前提となるのは,言うまでもなく校則である。しかし,頭髪指導に当たる際,この校則というものが厄介なのだ。言っている意味が分からないと思われても仕方ないのだが,少なくとも私の勤務したツーブロックを禁止している学校では,校則にツーブロックを明確に禁じる文言など存在しなかったのである。
率直に申し上げて,生徒から「校則に載っていませんので,禁止される理由がありません。」と言われたら全面的に学校の負けである。では何故,ツーブロックを禁止させることが出来たのか。それは,「髪型は流行を追い過ぎないものとする」というマジックワードである。
ここでいうマジックワードの意味は,数年前から揶揄として使われている,「それっぽいことを言っているように聞こえるが,よく考えると中身が無く,どうアクションを起こせば良いのか分からない言葉」として解釈していただきたい。例えば,「常識で考えればわかるだろう」や,「プロ意識を持て!」,「地球にやさしく」などが当たる。他にも,自分の望んだ結論に到達しない時に「もっと議論が必要だと思う」と振り出しに戻そうとするクソ馬鹿野郎の言い回しも含まれる。
話を本線に戻す。「流行を追い過ぎない」という言葉は,その時代時代で流行している髪型にさせないための言葉だ。日韓ワールドカップの時のベッカムヘアであったり,今で言えばそれがツーブロックに当たるのだろうが,大人でもツーブロックで全く問題無く会社勤めをしている方がいるし,別にツーブロックの社員さんに訪問されたからと言って,その社員さんが所属する会社との取引を中止するなどと言う狂った人はいないのではないだろうか。もし現実に存在するとしたら,今すぐ解雇した方が良いと思う。
しかし学校現場では,そんな世の中の実情は全く意に介さず,「そんなふざけた髪型で教室に入れるわけが無いだろう」と髪型の訂正(という表現はこの場合正しいのだろうか?)を指示する。勿論中には,「ツーブロックの何がダメなんだ」と意見を述べる生徒もいたが,そこで「校則だから」という必殺の一言で封殺するわけである。更に付け加える場合もあり,「その髪型で就職試験に臨んで合格できると思うか?」という説得もしたことがある。
今この文章を書いていて,何て不毛なやり取りだったのだろうとしみじみ感じた。ツーブロックで試験に臨んでも合格できる企業だって間違い無く存在するだろうし,ここのところスーツを着ないカジュアル就活や,時節柄リモート就活などと言う方法も生まれている。そういう企業を自ら望んで志願すれば何ら問題無いことだし,ハッキリ言って教員に制限されるようなことではない。皆さんの中には,「そんなこと言われても制限される意味が分からないし,そんな教員の言うことなんか聞いてられるか!」とお思いの方もいらっしゃると思うし,全くもって正論だと思うのだが,大体の生徒はこの時点でこちらに意見をしなくなった。必然的にそこで生徒と教員の校則についての対決は幕を閉じるわけだが,これは教員の勝ちというわけではない。彼らは,「ああ,もうこの人たちには何を言っても無駄なんだ」と諦めたのだと私は今でも思っている。無駄な労力を使って疲れたりイライラするくらいなら,言うことを聞いておいた方が面倒が少なくて良いやと思われていたのだと感じている。絶対的に教員の負けである。
もうこうなってしまうと,誰もがおかしいと思うような怒り方をこちらがしない限り,彼らは話を聞くようになってくれていた。彼らの大人の対応が本当にありがたかったし,全くもって理不尽な話だ。
制服なんて無くて良い
服装についても同様だ。制服の着こなしがだらしない時には,直すように注意しなければならないのだが,これもとてつもない労力の無駄だと今でも思う。だらしない制服の着方と聞いて思い付くのは,ネクタイやリボンを首元よりも下に下げている,シャツやブラウスがボトムスからはみ出している,スカートが極端に短い,ズボンを腰周辺まで下げて履いている…などではないだろうか。
ハッキリ言おう 制服など無くしてしまえ
それが出来ないのなら,制服についての指導などしなくて良いものと一律ですれば良い
まず,価値観の違う者同士が言い争いをしても解決に導かれるはずが無いのだ。一方で「その服装はだらしなくてみっともない」と言っても,もう一方で「え?可愛いじゃん!別に注意されなくてもいいんじゃね?」と言われたら,そこで議論は終わってしまう。ネクタイやリボンにしても,ファッション的に少し下げた方が不思議と良く見える場合もあるし,そこを掘り下げていくと正解など存在しないのである。
制服をきちんと着こなさせる目的としては,おそらくスーツ等のフォーマルな服装で出席しなければならない場合の着こなしを早くから理解させたいというものがあるのだと考えるのだが,それはその場その場で学べば良いだけの話だ。国賓にでもならない限り,毎日のように正装に着替えるなどと言うことは無いだろうし,先に述べた通り必ずしもスーツ類で出勤しなくとも良い企業も増えてきている。何故ここまで制服文化に拘るのか,実は私は全く理解出来ないでいる。
歴史的に見れば,明治維新後まもなく,ヨーロッパの軍服に倣って詰襟とセーラー服が作られたが,戦中や戦前の支配的な雰囲気を良しとしない生徒が1960年代頃から現れ,制服の存在しない学校も出来た一方で,制服が可愛いからという理由で志望校を決める自分の人生に何の興味も示さない思考停止人間が1980年代から量産され始める。この辺りから制服ファッションが段々と形成され始め,いつしかJKなる言葉が出現し,中高生がファッションリーダーやインフルエンサーとして持て囃される現代に繋がっていく。女子高生というだけで有難がってただの散歩や制服に金を払う男が世の中にはいるのだから,全くもって恐ろしい。
本来であれば,髪型にしろ服装にしろ,どのようにすべきか子供に教えるのは家庭の役目である。正直に言って,学校できちんと髪型と服装について指導しろと言われなければならないのは,お門違いも良いところであり,「お宅の学校の生徒がとんでもない格好して大声で騒いで迷惑している。どんな教育をしているんだ」とクレームを入れる方は,学校ではなく警察に通報し,親御さんに引き取りに来てもらって親御さんを罵倒するのが筋だということを一刻も早く理解するべきである。放課後に学校の敷地外で何をされようが我々の管轄外であり,それこそ24時間生徒の動向を監視して指導しろと言っているに等しいのだ。外での振る舞いは100%家庭の躾と交友関係から来るものであり,学校で教員に教わるようなことではない。
以前,教員ではない友人に勤務校の生徒の服装や頭髪の指導が大変で苦労していると弱音を吐いたところ,「何で学校でそんな事やらなきゃいけねえんだ?そんなの親の仕事だろ?」と言われ,返答に窮してしまったと同時に,学校の体制に蝕まれていた自分にとっては目から鱗が落ちる思いだった。
学校は学び舎であり,髪型や服装など本来どうでも良い場所である。あえて必要なルールを作るとしたら,「他人の教育権を侵害しない」,「問題行動は警察と保護者に即刻通報」,「方針が自分に合わなければ自由に転校可能」くらいではないだろうか。何故か「学校なんだから問題が起きても子供の将来を考えて穏便に済ませなさいよ」という謎の思考を持ち,厳しい処分にしようとするとモンスターと化す人間が存在するのだが,では学校に通っておらず自分で生計を立てている未成年が悪事で逮捕されても,同様のクレームを付けるのだろうか。恐らくそんなことは無いだろう。だって,学校じゃないんだから。
自分で書いておきながらなんて頭がおかしいのだろうと思ってしまうのだが,この理論がまかり通っているのは事実であり,私も同様のことを言われた事がある。相手にしなかったが。世の保護者は,学校に文句を付ける前に子供との家族関係を考えてみて欲しいものだ。
ちなみに1点だけ,未だに指導していて納得していないやり取りがあったので紹介する。
度々指導の対象となっていたスカートの短い女子生徒の集団に,「いつもそんなに短くしてるけど,普段着でもそんな短いスカート履くのか?」と尋ねると,『履かない』と答えた。
何故?と聞き返すと,『短いスカートは制服だからこそ可愛い。普段着でこんなの恥ずかしくて履けない』と言われた。
私に女子高生のファッションを理解するのは永久に不可能だと思った瞬間だった。
互いに信頼しない学校と保護者
「問題行動」に絡め,タイトルの最後にある学校謹慎について話そう。「退学」や「停学」という言葉を聞いたことがある方は多いだろう。この言葉に付随するイメージはおそらく,「悪いことをした生徒が受ける処分」ではないだろうか。勿論そのイメージで間違い無く,校則に定められた禁則事項を犯した際,その内容の重みによって適用される。教育用語としては「懲戒」と言い,学校教育法11条児童・生徒・学生の懲戒に規定されている。大多数の方が受けたことの無いものであろうし,受けたことのある方は何となく気分が重いだろうが,現在多くの学校では即時退学はよほど重大なケースでない限りあまり無く,大方が「特別指導」という名称で実施される。形式的には停学と同様なのだが,実はここで学校による対応の違いが発生する。停学は「自宅での謹慎」をイメージする方も多いと思うが,私は「教室に入れさせない学校内謹慎」という方法をとる学校に勤務したことがある。具体的には下記の通りだ。
1.既定の登校時間よりもかなり早めに登校
2.別室に入室 授業時間中は誰か一人教員が同席する
3.放課後まで各教科担当者が作成した課題などをこなしつつ反省文を執筆
4.他の生徒が下校したしばらく後に,担任や学年職員立会いのもと下校
要するに,徹底的に他の生徒との接触をさせず,学校内で生活を管理するということである。何故こんな不要な負担を職員が強いられなければならないのかと疑問に感じた方もいらっしゃるかと思うのだが,そこには様々な事情がある。
問題行動を起こして特別指導を受ける生徒の家庭は,平日・休日を問わず日中に家族が自宅にいないことがほとんどだった。片親でどうしても勤務しなければ生活が成立しない,家庭内不和が酷く学校にいた方が安全,そもそも親が子供に興味を持っていないなど,とにかく生徒一人で自宅にいなければならない状況がほとんどなのだ。
「そんなのもういい年なんだから,生徒一人で留守番させて謹慎させればいいじゃねえか」と考えた方,そう上手くは行かないのだ。
そもそも特別指導を受ける生徒は自宅でもじっとしていられない場合が多く,本当に謹慎しているかどうかなどこちらが確認する術は無いのだ。実際,謹慎中に遊園地に遊びに行き,それを他の生徒からリークされ退学した生徒もいた。今や自宅に固定電話を設置している家庭も減少し,保護者含め自宅に家族が他にいない以上,本人の携帯電話に連絡を入れることしか出来ず,本当に本人が自宅にいるか確認するには自宅に出向くしか無いのだ。当然授業が行われている勤務時間中に抜け出してそんな事を出来るはずも無く,謹慎しているかどうか確認する方法が,学校内での生活管理という結果になってしまうのだ。
以上から,見出しにある「信頼」が如何に損なわれているのか容易に想像出来る事だろう。この問題は,学校が家庭と生徒を信頼し,また,家庭が自分の子供と学校を信頼していれば,絶対に発生しない事である。しかし事実として,特別指導を受ける生徒の中には問題行動を繰り返し,こちらの言葉に一向に耳を貸さず,犯罪行為をしても平気でいるような輩もいた。窃盗や盗撮,暴力など,学校に通う生徒でなければ確実に逮捕される事をしても,学校は「更生の余地がある以上,簡単に指導を放棄してはならない」という謎の認識のもと,退学させる事なく在籍させなければならないことだってあるのだ。
私が受け持った生徒にも,再三こちらからやめた方が良いと忠告していることを辞めず,特別指導が決定してもなおあまりにも不遜な態度だったため,両親を呼び出し面談をしていたところ,同席した学年主任に対し「お前が話すと話が拗れるから黙ってろ」と吐き捨てた大バカ者がいた。両親を目の前にして机を叩いてブチ切れたのはその時が最初で最後である。両親は自分の子供が悪いと理解してくださっていたので,私を咎める様なことは無かったが,信頼関係が構築されていなかったらどうなっていたか分からない。
他にも,集会で校長が講和をしている最中にうるさく会話をしている生徒に注意した際,「先生うるさい」と逆ギレされた挙句,そのことを家庭に報告した担任が逆に保護者から怒られたり,授業時間中に廊下で携帯電話で通話していることを注意したら取っ組み合いになったり,家庭訪問をしたら酒を飲んだ父親と共に罵倒され,こちらが悪者扱いされたまま帰らされたりと,世の中には学校に存在しない方が良い未成年が確かに存在する。申し訳ないが,こんな生徒や保護者をどうやって学校は信頼しろと言うのか。
勿論全ての生徒や保護者・家庭がそうであるわけも無く,特別指導を受けた後に改心して見違えるように成長してくれた生徒もいたし,周囲に学校や教員を忌み嫌っている輩がいても腐らず頑張ってくれている生徒もいた。また,他の学校に勤務した時には,自宅謹慎の結果保護者と子供が腹を割って話す時間を増やすことが出来,家族関係が以前より良くなったという後日談を聞き,やって良かったと思えたこともある。我々にとってはそういう存在こそ励みとなり,この生徒達のために頑張ろうと思えるのだ。
冒頭で触れたツーブロックの話題のように,理解が難しい校則や慣習が残っている場合は,学校側が生徒や保護者を信頼していない可能性も含まれていると考えた方が良いかもしれない。もう一つは,どうにも昭和のいかれた価値観で止まっている老害職員が幅を利かせすぎて,改善しようとする声が捻り潰されている可能性だ。
納得出来ないのであれば,どうか反対運動を起こして欲しい。もしかしたら,同様におかしいと思っている教員が協力してくれるかもしれないし,事件にあう危険性があるからツーブロックを禁止するなんていう馬鹿な大人が目を覚ますかもしれない。そうやって,男子が全員坊主頭にしなければいけない時代も過去になったのだから。
それをやるのが面倒だと思うのならば,黙って校則に従うか,服装・頭髪を指導されない学校あるいは制服の無い学校に転校すれば良い。
お立ち寄りくださいまして,誠にありがとうございます。 皆さんが私に価値を見出してくださったら,それはとても素敵な事。 出会いを大切に。いつでもお気軽にお越しください。