こんばんは、今日も皆さんお疲れ様です。 今日はアウトプットについて書いてみます。 去年から、私は紳士のノートを使っています。大事なことや、頭を整理する時、目標について書く時、このノートを使います。 書き心地が良くて、ペンは無印のペンでスラスラと書いてます。 スラスラ、こうやってやったら上手く行くんじゃないか? こういう考えは捨てよう、と書いていると、何だか書いた内容が実現できるように気持ちが整うから不思議です。 ノートに書いているだけで、私を癒やし、励ましてくれる
最近、温泉に行っている。 と言うと、いいねーと言われるが。 正確には温泉街に行っている。 日帰り温泉に気持ちが傾くが、温泉街にある足湯に行く。 無料の所も多く、10分程で全身ぽかぽか。 温泉饅頭を食べて車で帰る。 今まで足湯は偶然見つけて入っていたけれど。 今年に入ってすでに三カ所ほど行っている。 家族でぽかぽかして優しい気持ちで家路につく。 こんな楽しみ方もあるんだ。 #至福の温泉
去年から新しい事に挑戦してる私。 なかなか思う通りにいかず、せっかく成長したくて頑張っていたのに 世界情勢や花粉症や地震で、体が不調。 そんなとき 頑張らなくていいじゃん、 と、あいつ。 ホメオスタシス=あいつ が顔を出してささやく。 体が不調だと、心のエネルギーが減り。 ホメオスタシスが顔をだして、もっと心のエネルギーを持っていってしまう。 考えれば考えるほど、エネルギーが減る。 新しい事や成長は自分が変わっていく。 ホメオスタシスは現状維持をしよう
最近よくお菓子を食べている。 気がついたらお菓子の棚に行き、ちょこちょこと持ってきては食べる。 元々結婚前はこんなにお菓子を食べる人ではなかった。 旦那さんの影響、プラス子供のおやつでお菓子を買う習慣がついてしまった。 それにしても最近量が多い。 なぜ? 答えはDaigo さんの「一瞬で人生が変わるすっごい呪文」にあった。 呪文14 今日から悲しいニュースは一切見ない 人はやりきれない気持ちになるニュースをみると甘いものを食べたくなる。そうだ。恐怖管理という
私は専業主婦だ。 10年以上毎日3食作ってきた。 最近、ちょっとマンネリ気味。 新しいレシピの本を読んでも、材料を買ってまで作ろうとは思わない。 自分は美味しそうと思うけど、子供は食べる? 食べなかったら子供の分は別に作る? わー無理。 365×3×10=10950食ほど作って思うのだ。 どーせなら楽しく作るか、無理しないで作りたい。 そんな時、キャベツのサラダを作る。 キャベツのサラダ🥗 キャベツをちぎる レンジで4分位チン サラダオイルを絡める
何か始めるとき、今日という1日を始めるとき、ビジュアライジングしてみる。 これ、やるとすごく自分がこの世界に応援されている感覚になる。 気持ちが良くなる。
自分が取り組んでいるときに、仲間と呼べる存在があると色々励まされる。 お会いしたことはないのだけれど、あなたの取り組みにおめでとう。と言いたい。 だから、かってにラジオで祝う。 そして、祝っている自分の中であなたの頑張る姿に勇気づけられたよ。 ありがとうと感謝する。 最近では、オリンピック選手の皆さんにこんな感情をいただいた。
何かを聞いたり、読んだりして、やってみよう。と手を出すのは比較的得意な私。 しかし、長期の目標を持ち、計画的にやっていくことはやや苦手。 やり抜く。力が本当にに欲しい。
ラジオをはじめて一年以上過ぎ、副産物が生まれつつある? 他の人に言われて気づいた私の副産物。
新しいことやったみました。 それがどんなにクダラナイと言われる事だったとしても。 新しいことをすると脳が若返るんですって。 だから、新しいことはじめませんか?
まだまだ乗り越えた! とは言えないけれど、あの人に毎日の私を報告するところまでは何とかきた。 一歩ずつ進もう。
最近なかなか思うように事が進まない。計画では、すっかりスタートアップしていて、流れに乗ってるはずだった。 ダラダラしてるからダメなんじゃん! と自分にダメ出し。 これまでの私ならここで、自分の殻に入ってどうせできない。とやっていた。 今年はちょっと違う。 自分を説得するもう一人の私が登場。
みなさんは何かにハマったことはありますか? 今は沼とか言うらしい。 沼落ちとか。 私は韓流の沼からなかなか抜け出せません。
最近本当に一年があっと言う間だ。 特に今年は早い。 動かないからかしら? どうして子供の時は夏休みがあんなに長かったのだろう?
恐れを手放す。 一番怖いことをすると人生にブレイクスルーが起きる。 安藤美冬さんの「新しい世界へ」より。 暫く逃げてた私。ブレイクスルーを今年は起こしてみーようっと。
今は毎日一緒にいる子どもたち。 こうしたらいいよ、ああしたらいいよ。とつい言葉が出過ぎ。 分かってるんだけど。 やりたくないことに向き合わないで、逃げない人になってほしい。と自分を棚に上げて思う母。