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題目『そのまま』

 今宵の Twilloの冒険の題目は『そのまま』。

 題目とはちょっとそれたところから話を始めます。

 今宵は "新月" の夜。。
  夕方、太陽が沈んで。
 夜の空がやってくると、この "新月" の空には。。
太陽と月という、大きなふたつの光が存在しなくなる。
  そうすると。。
 星たちだけが輝く空だ。
"宇宙" を『そのまま』見ることができる夜なのです。。

 巨大都市から見える星空は。
さすがに "宇宙" という感じではないけどね。。
  街の光が強すぎる。
 これが田舎の山の中や、海辺に出かけてみると。。
あまりの星空の凄さに、思わず「ああ、 "宇宙" がみえる」とつぶやく程。


 "明るすぎる光" は。
  『そのまま』の姿を隠してしまう。。


 大好きな詩人がいまして。
1870年代のフランスの詩人です。。
  学生の頃はその詩人の日本語訳詩集を。
 いつもお尻のポケットに突き刺して出かけていた。。

 当時、その詩集の中にある言葉やフレーズに。
いたく感動したのを覚えている。
  「なんて『そのまま』書く人なんだろう」。。
 それが感動した理由。

 見たものを『そのまま』ということではなくて。
詩人の "印象" 、 "心象" が。。
 『そのまま』だと感じたのです。


 詩というのは。
「誰の書いたモノでも、『そのまま』を表現したものだよ」。。
  と、思われるかも知れませんが。

違うのですよ。。

 その詩人の『そのまま』というのは。
もう "毒々しい" と言いますか。。
 ちょっと "痛々しい" と感じてしまうくらい。
本当に真っ直ぐに『そのまま』なのです。。
  と言うか。
 ワタクシはそう感じる。。

そんな表現が出来ればいいな、と憧れていましたね。



 『そのまま』を『そのまま』表現するには。
 "表現する" ということに深く固執してはいけないのです。。
  『そのまま』をなんとか言葉なり音楽なり絵なりに映し出すためには。
 技巧に走ってしまっては逆効果なんだ。。
"受け取る側" の事に意識が向いてしまうからね。


 上手く『そのまま』を出すには。
それが "どう映るか" 、と意識することは。。

  まさに。

 『そのまま』の夜空をぼやかす。。
"明るすぎる光" だ。


 時には。

灯りを消して。。
 静かに、穏やかに、してみてはどうだろう。

 自分の中の『そのまま』を。
自分で、よく知ることができるかも。。


 己の『そのまま』をよく知ることは。
きっと。。

    その人、自身の大きな "助け" になるハズですぞ(ニヤリ)。。。




 Twilloでのワタクシのいつもの最後のセリフ。。
「ワタクシは自分では値段を決めていない。のです。。よ。。。」
適当なものを「サポート」のところに入れておいていただければ
幸いです。。。


いつものTwilloでの最後のセリフ。。 「ワタクシは自分では値段を設定していないのですよ。。。」 適当なものをここに置いていただければ。 幸いです。。。