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「 記憶 」

先日の月曜日、仕事の後にそのまま実家に帰りました。
義父は2週間ほど前にまた緊急入院をして、現在も入院中です。
いつもなら順調に回復に向かい、今頃退院している感じですが
流石に今回はそうとはいかず、結局心臓にペースメーカーを
入れることになったとその日の朝、決まったそうです。

それとは知らずに本当は午後に母親を連れて病院に行くつもりでしたが
午後には止むかと思っていた大雨はなかなか上がらず、前日病院にお見舞いに行ったと言う母親は今日は行かなくていい。との事で結局その日は断念することに。
その夜、夕飯を食べながら久しぶりに母親とゆっくり話をしました。
義父がいるとなかなか話せない昔話です。

以前も書いたと思いますが、私の実の父親は10年前に他界しています。
すごく色々と問題を起こしていた人で、自分の身内や母親の身内にも
本当にたくさんの人にたくさん迷惑をかけてきた人でした。
そんな父親の事が私は子供の頃から大嫌いでした。

その夜、母親が何故父親と別れたのか、父親がどんな事をしてきたのか、
今の旦那さんと出会ったきっかけや母親の身内の話など、母親は昔の記憶を辿るようにゆっくりと話し始め、私は今まで聞いた事のある話から今回初めて聞く話まで色々と聞きました。私も当時の記憶が蘇って思わず途中で涙してしまったりしました。もうどこかに閉まった記憶が戻される感じです。


そんな中で父親のルーツを少し確認しました。最近、パスポートの更新をするのに戸籍謄本を取りました。滅多に使わない戸籍謄本には全部事項を載せるといろんなルーツが見えてきます。

私の父親は満州生まれでした。子供の頃特にそんな話は特に聞いていなかったので、大人になってこの事を初めて知った時はかなりびっくりしました。
その時はすでに父親は亡くなっていましたので、特にその後もその話を聞くことはなかったのですが、ちょうどその時に母親に確認してみました。
「父親は佐賀県出身なのに何故満州生まれなのか。」
すると母親は父親のお父さんが戦争に行っている時に満州で生まれたそうだ。と答えました。

私は父親のお父さん、いわゆるお祖父ちゃんに会った事があるのか、無いのかがよくわかりません。母親は多分無いと言いました。だけど私の中には会った事があると言う記憶が残っているんです。でも顔は全く覚えていません。
だけどすごく小さな頃、佐賀のお家に行っておじいちゃんが窓に付いていた小さな雨蛙を薬だと言って飲み込んだと言う記憶があるのです。それを母親に言うと「それは多分自分が話したのを記憶として覚えてしまっているのでは?」母親はその話を子供の頃、私に何度かした事があると言います。
 
私はその話を自分の記憶として残してしまっているのでしょうか。
だけど、何故か話で覚えているのではなくて映像として頭に残っているんです。その場面、そのシーンを。驚いている自分の姿を。
母親も記憶を遡りながら、計算をしながら「お祖父ちゃんはやっぱりあんたが生まれる前に亡くなっていたはず」と言いました。
だけどもしかしたら、それもちゃんと調べたら違うのかもしれません。

人の記憶は曖昧で、どこかですり替わっていたり、自分の良い方に塗り替えられていたり、その逆もあるのかもしれません。

私は記憶がかなり抜け落ちている部分があり、昔の事を聞かれてもある時期のことは本当に覚えていなかったりします。楽しかった思い出は結構残していますが、辛かったことは概ね都合よく忘れています。
多分、自分の中で無意識に封印しているからなのでしょう。
時々残像のように当時の事を思い出すことはありますが。。

そしてふと「これは私の記憶ではなくて、亡くなったお姉ちゃんの記憶なのかもしれない」と思う事があります。さっきのお祖父ちゃんの一件もそうです。姉が亡くなった2年後に私は生まれました。顔も似ていたのでしばらくは姉の生まれ変わりだとずっと言われていました。そしてお姉ちゃんの分もしっかり生きてねと。時々、2人分の人生を背負っている気がします。
姉の記憶は私の中のDNAに少しだけ刻み込まれているのかもしれません。
今でも会ったことのない姉の存在は私の中ではやはり大きいのです。

皆さんは、昔の記憶しっかりと覚えていますか?




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