10分日記 #112 "キカイ化"から"エモーショナル"に変わる社会

こんばんは、
kei.です。

今日の記事

今日の記事は、佐賀大がセンター試験においてボーダーライン付近の生徒に対して学力以外の、主体性などの性格等を評価する「特色加点制度」というものを医学部以外の全学部において導入する、という内容です。

これまでにも同様の制度を特定の学部において実施していたところ、この制度を利用した為に合格となった生徒が大学にもたらすメリット(学習への主体性や主体性など)を感じられた為、このように実施学部を広げることとなったようです。

感想

人を判断することはとても難しいことなのだなと感じました。

今回のケースのような「主観」が入りかねない方法によって試験を行うことは「審査の平等性」の観点から非難を受ける可能性があります。

実際、この制度によって逆転で不合格となってしまった生徒の視点から考えると「主体性」などという明確に、客観的な指標で挿し図ることができないものによって自分が否定されてしまったと思いかねない判断であると思います。

一方、大学からすると、受け入れる学生のレベルが高い方が研究による成果や、就職実績などにおいて秀でることができることも事実です。

ただ、大学受験の点が取れるだけで、大学には単位を取るためだけにきている、といった学生よりも、研究熱心であったり、主体的に物事を動かそうと行動できる学生を求めているのが本音かもしれません。

そういった事態をうまく、批判や誰かを傷つけることなく実施しなければならない場面において、今回の評価制度は、折衷案というか、良い落とし所を見つけたのではないかなと感じました。



こうした「客観的な数字で測れない能力」が評価されるようになってきたのは大学試験だけの問題ではない気がしています。

逆に言えば、「客観的な数字で測れる能力」がそんなに重大ではなくなってきているのではないかとも感じます。なぜかというと、技術が進歩したことによって、これまで精密さなどが必要とされた場所には機械が配置されるようになったため、その装置をいかにして使うか、であったり、そうしたものを使って困難に遭遇したときにどのように乗り越えていくかという力が重視されているように感じます。

そんな世の中では、「数字を持っている」人よりも「主体的に、自分ごととして、人間臭く」物事に取り組める人物の価値が向上してきているのではないでしょうか?


人間がもっともっとエモーショナルな部分に近づいていくような気がしています。

なぜなら、論理的でない、感情的な判断は人間にしかできないのですから。


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