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10年ぶりの再会

私は来春からめでたくクリエイティブ職として社会人になるのだが、ものづくりを職業と志したのは何がきっかけだったのか。

履歴書や面接で「なぜこの業種を選んだのか。」と聞かれた時に、私は次のように答えていた。

「油絵をやっている祖母の影響で絵を描くことに興味が出ました。」

これは本当の話なのだが、私の祖母は展示会に出品するほど油絵を熱心に描いている人で、幼い頃その姿を見て「絵を描くこと」に興味が出たのだと思う。

私が祖母を真似るように絵を描き始めた頃、その様子を見かねた母親がアトリエ教室に通わせてくれた。

私史におけるものづくりのきっかけが祖母だとすると、アトリエ教室は「ものづくりの楽しさを理解した」存在だと思う。

小学校2年生から6年生まで通ったアトリエ教室。
就活が終わった今、10年ぶりにアトリエ教室に伺った記念すべき今日のことについて書き留めていきたいと思う。




きっかけは数ヶ月前にかかってきた電話だった。
通知に書かれていたのはアトリエ教室のS先生の名前。

思い返せば、アトリエ教室を卒業してからは年賀状のやり取り程度で、その年賀状もだんだんと無くなっていった。まあこれは私が年賀状をないがしろにしていったためだが、、。
ともかく久しぶりの接触に戸惑いながらもすぐに電話に出ると、10年前と変わらない声が聞こえて変な不安感が無くなった気がした。
聞くところによると、現在もアトリエ教室はやっていて、生徒の一人がS先生のスマホをいたずらに触っていたら私に電話をかけてしまったらしい。

そんな偶然から始まった10年ぶりの接触だったが、「最近はどんな感じなの?」といったたわいもない話から始まって、当時就活中だったこともあり、最終的には私の方から「就活が落ち着いたら、アトリエ教室に伺っても良いですか?」と聞いてみた。「もちろん、いつでも来て欲しい!」という返答をもらった時には大きな安堵感で本当に胸がホッとした。

その後、なんやかんやで就活が無事に終わり、改めて日程調整の連絡等をして来たる今日、10年ぶりにアトリエ教室に足を運んだ。




私の通っていたアトリエ教室は保育園内の教室をお借りして週に1回程度小学生や保育園生を対象に行なっている。
この保育園は私が通っていたところでもあるので、アトリエ教室を卒業したのとほぼ同時期に引っ越した今となっては全てが懐かしい場所だ。

電車に乗り、小学生時代を親しんだ第二の故郷とも言える場所に降り立つとなんだか居心地が良かった。無くなったお店や変わらないまま存在するお店に驚きながらも保育園に到着すると、専用口のドアがガバッと空いてS先生がひょこっと顔を覗かせながら私の名前を呼んでくれた。

実際のところ到着するまでかなり緊張していたが、マスク越しでも変わらないままの姿を見せてくれたS先生の存在に心がほぐれていった。

10年ぶりの再開に感動しつつ菓子折りなどを渡し、教室内に入ると、絵の具置き場や絵を乾燥させる棚など当時とあまり変わらない風貌だった。ただ、長テーブルや椅子がやたらと低くて小さく感じるところは、なんというか、ニヤッと笑ってしまった。

小さな小さな椅子に座りながら手短に10年分の近況報告をしていると、生徒さんたちが続々とやって来た。
今日来た生徒さんたちはだいたい15〜18人くらいだったと思う。内4人くらいが男の子で圧倒的に女の子が多かった。女の子の中でも4人が小学校6年生で、「お喋りマシンガン」みたいな子たちだった。




S先生の勧めもあり、最初にやったことは6年生の作品アドバイスだった。

とある女の子が取り組んでいた作品は、駅前の不法投棄の自転所を減らすことを目的としたポスターの制作だ。
花壇に貼るポスターらしく、中央に黄色と白色の花が描かれており、上部にはマナー喚起の言葉を入れようと構想しているようだった。そこで、どのような文言を入れようか悩んでいたらしい。
私もすぐ隣に座って一緒になって言葉を考えた。考えた末、「花が似合う町にしよう」的な言葉になったと思う。デザイン学部に在籍している私が普遍的なものしか思い浮かばなくてちょっぴり申し訳なかった。笑

この間、ただひたすらにマナー喚起の文言を考えていただけではない。
先に書いた通り、ポスターを描いている女の子含め、「お喋りマシンガン」なのだ。
習字が得意だから文字を書くことに楽しさを感じている話、
運動会で4曲ぶっ通しで踊らされて先生に不満を持っている話、(先生のあだ名がハゲだった)
今学校ではNiziUと鬼滅の刃が流行っている話、
この後塾に行かなければいけない話、
クラスでBL本を読んでいる子たちがいる話、
突然始まる英語のクイズ大会、(まじで焦った)
好きな色は何?彼氏はいるの?好きな俳優女優は誰?好きなアニメは何?といった質問攻め、などなど。
子供達が自分の感情のままに、次々と話題が変わっていくのでその熱量についていくのに必死だった。自分よりも大きく下の年齢の子供達だからといってオーバーにリアクションをとって「あげる」というよりかは、話している内容や場の雰囲気が本当に面白くて、素でゲラゲラと笑っていた。

ちなみに好きなアニメを聞かれた際、「ハガレンが大好きなの!」と答えたらその場にいたマシンガンちゃんたちがみんな「あ〜ハガレンね。」と答えたのには驚いた。すげえ、今の小学生にも通じるハガレンですよ。

私自身、中学校の保育体験で小さい子と触れ合った時、どう接していいかわからずその時からやんわりと小さい子に対して苦手意識を持つようになってしまったことがある。だから今回もどんな風に接していこうか若干不安ではあったのだが、特別子供扱いしたりするのではなく対等に「えっ、やば!大変だったね!」とか「字すごいうまいね!私こんなにうまく書けないよ!」とか普段友達と話す感じのテンションで言ったら向こうも敬語はそこそこに使っていたけれど変な気を使われることは無く対等に接してきてくれた。
それが本当に嬉しかったし、小さい子だからって気負いすぎる必要は無いんだと22歳になってやっと気づけた。

「ずっと小学生のままでいたい。」とみんなが口々に言っていたのは何だか印象的だった。今年はリモート形式の授業も始まって色々大変だっただろうに、本当に良く頑張りましたともっと褒めてあげれば良かった。

最初こそは教室内で私の姿を認識するなり照れたり、穴だらけの耳を指してヒソヒソされてたりしたが、帰る頃には「来週は来ないの!?」と歓迎ムードを作ってくれたことに感謝感激です。そんなアトリエ教室の可愛い後輩たちからお近づきの印に折り紙をプレゼントされた。ありがとう。

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バラっぽいお花と、金銀のクローバー、小物入れ、そして芋。可愛いね。




生徒たちが帰った後、教室の片付けや掃除を行い、S先生との帰り道。
とにかく凄い感謝の言葉を言われた。

まず第一に子供達の良い話相手になってくれたこと。
単純に、突如現れた私に対して興味を持ってもらえたというのもあるだろうが、私の話し方や接する態度が子供たちを惹きつけるような魅力があったからこそだと言ってもらえた。そんな、、照れてしまうで、、。照
もう一つ。親御さん方に良い卒業生像を見せることができたこと。
元アトリエ教室の生徒が現在はこんなに立派に成長しています、と言った指標的なことだろう。理想像として掲げてもらえるのは恐縮だけど嬉しい。

私からも感謝の気持ちを伝えたい!と思い、
私はアトリエ教室で大好きだったものづくりがもっと楽しいものだと知ることができましたし、こうして自分のやりたい道に進めたのも、自由にものづくりをさせてもらえた環境があって、S先生が色んな楽しさを教えてくれたおかげです。本当にありがとうございます。
みたいなことを言った。照
文章で書くのとは違って実際はこんなに流暢に喋れていないけど。

何はともあれ、10年越しに再会が出来たことが本当に嬉しかった。12歳の時から抜きでたように22歳の姿で現れて、当時の私の面影のようなものは残っていたのだろうか。こう思うと時間が過ぎるのは本当に早いなあと思う。思い出話に花を咲かせていると、帰りにマックに連れて行ってもらったことや、共働きだった両親の代わりに駅まで一緒に帰ったこと、いい作品を作って欲しいと思うあまり指導に熱が入りすぎて私が反抗期みたいになったこと、などなど、忘れかけていたこともうっすらと思い出してくる。私にとってS先生はアトリエ教室の先生であり第二の親みたいな存在だったと思う。何から何まで本当にお世話になりました。

別れ際、社会人になる前にもう一度アトリエ教室に伺う約束をした。
マシンガンちゃんたちの話ももっと聞きたいし、S先生のお手伝いもしたい。次に行けるのはいつ頃かは未定だけど、きっと次行った時も楽しい時間になることは間違いないと思う。




S先生からいただいたものを帰宅後に開封してみる。

中には当時私と同じくアトリエ教室に通っていた友達のお家がやっているお菓子屋さんのギフトボックスと、紫色の二枚のハンカチ。

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23時にも関わらずマドレーヌを食べた。デブ活だ。だけど美味しかった。あの子は今はどうしているのかなと思いながら。

紫色のハンカチは母に聞いたところ、「感性の色」らしい。
ひらめきとか創造性とかそんな感じの意味合いらしく、母がなんでそんなことを知っているのか少々疑問だが、S先生がそのあたりの意味を組んで選んでいたのならなんだか、本当に嬉しい。嬉しいことばっか。
まあ、ただ単にS先生の好みかもしれないがそれで良いし、社会人になったらこのハンカチが似合うような人になれるようにお仕事を頑張ろうと思えた。

改めて振り返って、今日は記念的な日だったと思う。
このご時世、遠くの人ともラインやらDMやらで簡単に連絡を取ることができるようになった。別れが別れと感じなくなっていく。でも実際は時間の経過と共にいつの間にか人の縁は切れていくものだと思う。そう思うとなんだか悲しくなるけど、今日みたいに長い時間の中切れなかった縁も確かに存在していたし、今回に限らず、そういった貴重なご縁を大切にしていきたいと思った。

おわり。

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