心理的安全性がないのは、悲劇のはじまりかもしれない

みなさんこんにちは!組織改善に励むのんにゃんです。

前回のバーチャルオフィスについての記事は、note公式さんに取り上げられたおかげで多くの方に見ていただくことができました!ありがとうございます!あれから2週間くらい経ちましたが、いまだにお気に入りです◎

今回は、組織改善を仕事にしているわたしの個人的な考えを書きたいと思っています。決して、会社を代表して発信するわけではないので、ご理解いただけますと幸いです。


わたしと同じようなお仕事をされている方であれば、誰でも「心理的安全性」に注目せざるを得ない世の中だと思います。特にわたし自身がゆとり世代の真っ只中に生まれたので、他人事ではなく身をもってその大切さを感じています。

「心理的安全性」とひと口に言っても、分かるようで、本当に分かっているのか分からなかったりもします。仲の良さ、信頼関係、それらとどう違うのかと思うこともあるでしょう。

わたしも改めてきちんと勉強しようと思い、まさに「心理的安全性」の提唱者であるエイミー・C・エドモンドソンさんの著書である『恐れのない組織』を読み始めています。2018年に英語で出版されて、今年の2月にようやく翻訳されたそうです。英語で読めていれば3年前に知れたのか…と思うと悔しいですね。。

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さて、本題です。

こちらの本はまだ序盤しか読めていない中で大変恐縮なのですが、それでも医療の現場でこそ心理的安全性がとても大事である、ということが繰り返し書かれています。研究対象も医療現場だったりするそうです。

理由はシンプルで、医療の現場で働く方は仕事柄そもそも緊張感やストレスが大きく、小さなミスが文字通り命取りになる可能性があるからです。だからこそ、何か問題があれば安心して上長に伝え、冷静に問題を解決していかなければならないわけです。

ご存知の方も多いと思いますが、最近、2016年に発覚した看護師による点滴殺人事件の犯人の判決が下ったと思います。事件そのものについて、わたしが何か言えることはありませんので、気になる方は各自お調べください。

今回は判決の結果ばかりが注目されていたのですが、気になったので、犯行の動機やいきさつを少し検索してみました。

大前提として、いかなる理由であれ他人をあやめてはなりませんし、わたしは犯人の肩を持つつもりはないので、そこだけは勘違いしないでいただけるとありがたいです。

まず、彼女は看護師として働いた最初の病院で患者がなくなるところに立ち合い、精神的に辛くなり、その後精神科を受診し3ヶ月間休職した過去があるそうです。

医療に携わる方々に、このあたりどのような教育がされているのか存じ上げないのですが、医者や看護師に肩書き上なったからと言って、このような場面にショックを受けないなんてことはないでしょう。

"リーダー" になっただけで部下の心が読めてマネジメントが上手になるわけないですし、社長だからといって必ずしも器が広くカリスマ性が備わるわけはないでしょう。なので、「看護師なのに」という前置きは少しも意味をなさないと思います。(「社長なのに」「リーダーなのに」も同じですよ!みんな人間ですからね)

きちんと精神科に頼れたのは良かったように思いますが、職場でのケアはあったのでしょうか。ちなみに、その後転職されたそうです。

次に犯行の動機です。もちろん、彼女の発言がすべてではないかもしれないです。が、それ以上に知りようがありませんので、そのまま受け止めたいと思います。要約すると、勤務中に患者がなくなってしまうと遺族に説明をしなければならないのが嫌だった、ということのようです。過去に、勤務中に亡くなってしまった患者の遺族から罵倒された経験があるのだそうです。

事件や彼女についてはこれ以上触れませんが、わたしはその職場に心理的安全性がなかったのではと感じました。(もちろん、事件の原因を心理的安全性のなさだけだったと言いたいわけではありませんよ)

先程の本によると、心理的安全性の高い職場では、低い職場よりミスが多いのだそうです。しかしこれは、実際にミスが多いのではなく、ミスをきちんと報告しているという事実ということなのです。事件はミスではないですよ、そうではなくて、自分の役割が明確で、心理的に安心して他者とかかわれる環境であったならば、"自分が罵倒されたくない" という理由で命を救うはずの役割と正反対の行為をするなんてことは有るはずがないと思うのです。

ミスをきちんと報告するというのは、自分の役割に沿った行為であり(自分のミスが原因で患者さんが亡くなってしまったらそれこそ目的とは反対の行為ですからね)、自分にとって不利益なことでも厭わず伝えられる安全性があるということの証拠なのです。罵倒されるのが怖いということも、相談できていれば、もしかしたら解決の糸口があったかもしれません。

ミスだけでなく、一人ひとりが感じる小さな違和感を一つずつ解消していくことで、より働きやすくなり、会社自体の生産性も上がっていくのだと思います。それには心理的安全性が必須です。

医療現場を責めているわけではないですよ…!コロナもありますし、精神的にも体力的にもきつく、経済状況も含め医療現場がいかに大変か、心理的安全性なんて言ってられない、ということも想像できるような気がします。

ただ医療現場についてはあくまで例であり、ここで言いたいことは、心理的安全性がないと悪循環しか生まれないということ、また、そのような環境で起こるなにかしらの問題を個人の責任だと結論づけることは非常に雑なのではないか、ということです。

わたしは、環境で人が変わるということはあまり納得できないし、いかなる環境であれ結局自分は自分だと思う一方で、自分の中のどの面を表出させることになるかは環境により大きく変わるのではと思っています。

つまり、ものすごく平たくいうと、人にはポジティブな面とネガティブな面があって、環境によっては前者が多く表出される場合もあれば、後者の場合もある、ということです。そして、良い面を多く出すために、心理的安全性というものはとても大切であるわけなのです。緊張したり、恐怖を感じている場面では、自分のできることが最大限発揮でないのは当たり前だと思います。

しかしながら、家族でもない価値観の異なる赤の他人が一日8時間も一緒にいるわけですから、いくら心理的安全性が大切だと分かっていてもすぐに確立するのは非常に難しいでしょう。自分が先陣を切って少しずつ、地道に積み上げていく他ないと思います。

心理的安全性がどれだけ大切か、そして、たとえどれだけ良好に見えていたとしても、常に考え積み上げていかねばならないという教訓を込めて。




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