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キミのキャリア(中編2)

こんにちは、T.Wです。
夏の夜を楽しんでいますか。
アイスコーヒーを味わいながら家で音楽を聴きながら仕事をするのも良し、
読書するのも良し、note執筆活動をするも良し、色々な過ごし方がありますよね。さて、今日は『キミのキャリア』と言うことで、続きを書いていきます。

ここまでのおさらい

まず、アウトラインは
■Career 中小SIer(アプリ)→自社プロダクト(プリセールス・営業)→SES(インフラ)→事業会社(アプリ・インフラ 社内SE)
こうですね。前回は『自社プロダクト(プリセールス・営業)』でインフラを入り口にしつつ幅を広げていくも、停滞していた時期でした。
ここでは『SES(インフラ)』について描いていきます。
前回は自社プロダクトを納入する際の環境構築を通じてインフラに触れていきます。非機能要件に触れていくわけです。ここで、結婚し、子供が出来てこのままでは...と一念発起して精を出し、上司にも「はっはー!!給料上げたぜ!!!!」となり、結果2,000円...とほほとなります。さぁ、とほほほ、となるか、違う道を探すか、分かれ道ですが、これだけでは少し弱いです。もう一つだけドラマがありました。

息子を私の扶養に入れれなかった

当時の勤め先は保険証の上が黄色い大き目の組合に属していました。twitterだと、入っていること自体が、割と優良企業の証みたいな感じになっています。しかし、私的には違うイメージを持つくらいの出来事が起こります。
勿論、赤坂で寿司も安く食べれるし、ベネフィットは素晴らしいことに間違いはないです。今、私が所属している保険組合よりも充実していると思います。世間一般的には素晴らしい組合だと思います。何が当時あったかと言うと...息子が産まれたので、扶養に入れる手続きを取ります。すると、組合からご連絡を頂きます。「年収が奥様の方が高いので、そちらの組合で扶養に入れてください。」と言われ、さっそうと電話を切られます。妻と相談すると、産後の不調もあってまぁまぁ取り乱されましたが、お互いの組合に掛け合うこととしました。結果、私が所属していた方は、もう数年前のことなので、内容はうろ覚えです。ひょっとすると尾ひれがついているかもです。「そこまでして入れたいならば、奥様がご自身の組合からこちらに入れる証明書を取得してください」的なことを言われました。後は必要な書類。そんなの産後で出来ないことを分かって言ってるんだろうな。と推測してひしひしと怒りがわいてきたことは覚えています。※細かいやり取りは覚えていません。会社からも援護をお願いしましたが、結局何もありませんでした。我が家は父親の扶養に入れたい、という意見としましたので、会社だってそれに付き合ってくれても良かったと思いますが、窓口の社労士の先生も先方に言いくるめられた、とか意味の分からんことを言っていました。結果、自分で怒りの猛抗議をして入れたことは今でも忘れられません。給料を上げねば、と言うことと、窓口の方にすら動いてもらえない辺りで気持ちが切れました。給料の上り幅で気持ちが切れかけていたところを扶養の騒動で完全に切れた感じでした。「チクショウ、転職だ」みたいなアレですね。さて、いよいよ始動します。

初めての転職

さて、いよいよ転職活動の開始です。結局何したら良いか分からず、とりあえず広告に綾野剛が出ていたd〇daへ話を聞きに行くこととしました。
この手の会社の方はいつだって「今始めるのが最後のチャンスです!!」的なことを言うんだろうな、と思います。今でもそう思います。そうしないと商材である求職者をストックできませんから。でも、それ自体は当然と言えば当然です。そんなに違和感はありません。

方向性

ここで方向性を考えます。ここまで私は営業とエンジニアをやっています。ここが分岐点となります。恐らくもう戻ってこれなくなるでしょう。私はエンジニアを選びました。営業も良かったのですが、中途としての経験年数を考えると、最初の間口はエンジニアの方が広かった記憶があります。つまり、直近は営業でしたので、エンジニアとして再起を掛けることとなります。

さて、履歴書と経歴書を作成して添削してもらって、応募です...が...私はここで転職展に何回か行きました。正確には登録前からどんなところかな、時になっていたのでd〇daに行く前からブースをブラッとしていました。そこにずっと行きたかった会社のグループ会社があるではないか!!!そこのグループの仕事にも携われると言われました。

転職活動のスタートとして受けさせて頂きます。実はここが前職です。親会社は募集していなかったので、ここを受けてみることに...「インフラに興味があるんだ!!!後、年収ね」と言うことを話した記憶があります。ブースでの面談と会社で面談し、会社に二回目呼ばれた時点で内定の説明でした。ちなみに、面接頂いたのは常務と取締役でしたが、「年収??そら安いわー。転職したくなるよな。インフラって言っても規模デカいよ!!!構築もあれば保守もあるよ、どっちの方向性が良い??」と言われ、どっちも好きだけど、今あるものをより良くする保守ですね。的なことを言った記憶があります。因みに他の会社はお祈りを頂き、SESの会社3社内定を頂きました。まぁ、表面上はあまり変わらないんですよ。年収も業務も。エージェントは紹介したところを推しますが、正直なところ、ピンときませんでしたので自分の行きたかったグループに行くこととなりました。しばらくしてグループの構築や保守やっている会社に業務委託で常駐します。因みにとあるプロダクトの保守をやりますが、当然そのプロダクトに関わったことはありませんでした。※メジャーらしかったのですが。知らなかったです。あまり詳しく書くと宜しくないので、ご了承を。

インフラエンジニアになりました。

インフラエンジニアとしてとあるプロダクトの自営保守チームに入りました。問い合わせから障害対応、性能解析、現地での調査、パーツ手配等をやっています。やっぱり、障害解析、性能解析はかなり強くなります。もうログの解析からハード障害のエンジニア手配、先方との調整を延々とします。なんなら、構築チームの若いメンバーが「Tさん、構築中のやつが動きが遅いんだけど、なんででしょうか?」みたいな問合せもあります。オンプレの仮想基盤が多かったことと、ユーザーは多岐に渡るので、どんな運用をしているのか、どんな構成なのか、は良く見ることが多く、短い期間でしたが、濃密な時間を過ごせたと思います。この職場に来て、行きたかった企業そのものでは有りませんが、系列でそこの機器をサポートしたり保守の意見交換、メーカーとの打ち合わせと、技術的なことに思う存分疲れる日々で、長い停滞期間から解放されて一気に走り出すことができた時間でした。その分、体力的には相当しんどかったです。土日も土曜は半日ほど起きれなかったり。もう削られまくった日々でした。それでも、お客様から指名されて障害状況を調査してレポートしたり、運用面のアドバイスまで出来てくると、自分としても幅が広がったなー、と実感できて充実した時期でした。

仮想サーバが停止してますよ。

ここで事件(障害)が発生します。ユーザーさんの機器がダウンします。
それは私のプロダクトだったので調査、解析しますが、どうしても根本の原因は分かりませんのでtakeoverさせて回避します。

しかし、だんだん頻度は近くなってきます。私の担当プロダクト以外を疑いますが、ステータスは正常です。疑いようがない状況です。しかし、他に波及していくので現地調査ですが、私担当のプロダクトも事象は起きても、原因は他にある動きをしています。

もう、こうなったら現場としてもチームを組むように指令を頂いたので、仮想基盤の各カテゴリの担当と各メーカーの担当でチームを組んで解析します。

私が指揮を執るように依頼されたので自身で資料を作成し、調査個所、方針をメンバーで合わせていきます。ケーブル一本から機器一つ一つ解析します。壊れていません。

いよいよ、DAG側が停止します。次は本番環境の停止が見えてきた中で...何とかパケットキャプチャからあるポートでエラーが発生していることを捉えます。スイッチか、ある個所のマザボか。どちらかです。マザボはナレッジ含めて詳しくメーカーとも調査しましたが、そんなバグや不具合はありません。と、なるとスイッチです。スイッチは最も以上が無さそうでしたが、ポートを変えたら悪化したケースとしないケースでした。

結果、ASICが不調だったようです。ボカシながら書いているこの状況では臨場感0ですが、実際は数日間生きた心地がしない状況でした。スイッチに疑いを絞って、DAGサイトに修理のエースを各カテゴリで手配して送り込みます。そして、スイッチを交換...無事に復旧!!!!回収したスイッチを入念に調査したらやはりASICでした。ASICが変わるポートだと症状はおさまり、同じASICのポートだと一気にひどくなっていきました。

しばらくは様子見で現地に赴いて、動作と性能確認をしていました。
終わってみると、自分のプロダクトを軸に仮想基盤全体を見れたのは凄く良い刺激になりました。いつしか、このプロダクトだけではなく、仮想基盤全体や、インフラ全体を見れるようになりたい、と言う欲が出てきます。

不思議な仲間

インフラ全体を見たい、とか思いだしOSやほかのプロダクトの知識も吸収しようとしていましたが、やはり別のお客様でも仮想基盤がトラブりました。当時は私のプロダクトは問題なさそうでしたが、他のチームの方が、「自分は他のプロダクトの調査技法や必殺技を吸収しています。Tさんの技も吸収させて下さい」とか言われたので、お互いに勉強していた時期もあり、一つ何かを覚えて使えるようにしていくことでダイレクトに幅が広がっていく実感が出来て楽しかったです。しかし、この上昇気流は更なる気流、と言うか渦を巻き起こします。

オファー

この時期、転職市場は空前の売り手市場です。もうd〇daにはかつて見たことが無い企業からオファーが舞い込みます。外資系のPCメーカーから大手家電メーカーの名前のSIerからOSの会社からクラウドの会社までもう、自分の価値がバブルになっています。それらが届く手前に、ある会社からオファーが届きます。いよいよ、ITインフラだけでなく、社会インフラに近しいところでエンジニアができそうでした。そう、現職です。物語は次でクライマックスを迎えます。

最後に

相変わらず、身バレをビビって妙にぼかしているので掴みずらい、と思いますが、いかがでしたでしょうか。次に現職に転職します。前職での在籍期間は実は1年ちょっとです。結構リスキーな転職かもしれませんでしたが、この転職バブルに乗らなければ、一生ここに行くことは無いだろう、位の流れでした。今から5年ほど前の転職バブルは本当に凄かったです。不思議な時代でした。

また、当時は停滞していた自分の殻をワークライフではなく、ワーク、ワーク、ワークで強引に打ち破ってとにかく前進していた時期で、楽しかったです。やっぱり、エンジニアとしての再起と行きたかった会社の系列、と言うところは物凄く大きかったです。やりたいことが一番の原動力であることが分かる時期でした。もし、今停滞している、と感じられている方はワーク&ワークでがむしゃらになってみてください。また違う境地に達することができます。

お付き合い頂き、有難うございました。


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