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発達障害の診断を受けた頃

今や1クラスに1人はいると言われる発達障害

僕がADHD/ASDと診断を受けたのは23歳の時

当時は新卒で入社した会社で2年目になり
後輩も出来て自分の担当も持ち

社会人としての軌道に乗ったばかりだった。

割と会社ではそれなりに上手く
行っていたつもりだったが
不器用故に自ら首を絞めて息が浅くなる。

それが人間関係だ。

この話について、前置きとして過去の
経験を話させてもらう。

僕は幼い頃から友達と呼べる人がいない。
うまく人間関係を築く事が出来ない。

そんな僕に転機が訪れたのは大学生の頃。
ファッション好きから始めた
古着屋でのアルバイトだった。

接客業は初めてではなかったが
好きな物に対しての熱量が過剰だった為に
人と話すのが苦ではなくなった。

普段の僕とはまるで別人のように
人と話せたことで

接客という新たなペルソナが生まれた。

お客さんからたくさん慕っていただき
店員の中でも軍を抜いて愛された。

そして知る
このペルソナは人から愛されると。

そして冒頭に戻るが
僕が自ら人間関係において
首を絞めることになったのか

僕は社会人になった際
新しい環境において
接客のペルソナを付け続けたのだ

まるで別人の愛される自分

社内においても営業においても

今取り巻く環境、生活
全てを接客の容量で生きていた

結果社内においてもどの部署の人とも
人間関係は良好
社内での評判は上々となる

毎晩のように上司と呑み歩き
仕事も任せてもらい
期待してもらえて順調だった

ただ、こうも演じてしまったが故
本来の性質、本当の自分から
大きく逸脱していたのだと思う

次第に眠れなくなり常に心に
ドス黒くドロドロとした気持ちが
渦巻いていた

でも表面上は常に元気で笑顔

それがしんどくなって
元気だと思っているのに
自殺未遂を起こした

流石にまずいと思い受診

そこで斯々然々あり
診断結果が発達障害

見事に崩壊した
まさか自分が.. 

確かに忘れっぽいし
散財癖はあるし片付けもできないが

まさか疑ってもなかった

発覚してから見事に窶れた
あまりに分かりやすかった為に
人事と面談が持ちかけられた

親しかったこともあり
発達障害である旨を相談した

それが大きな間違いだった

瞬く間に社内に広まる僕のこと

居場所も分からなくなり
どうすればいいのかもわからなくなり

会社に行けなくなった
常に涙が溢れ続け

鬱病のどん底に落ちてしまった
眠剤ODにリストカット
あらゆる手段で死のうとした

そんな過去

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