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“俺”の地獄と、オレの地獄 ─西加奈子『夜が明ける』を読んで─【大根仁 12月号 連載】

西加奈子の新作小説『夜が明ける』の帯には【5年ぶりの長編。再生と救済の物語】とある。主人公に据えたのは、“観た人の世界が変わる”ほどのドキュメンタリー番組作りを目指し、テレビ業界の末端制作会社にADとして入社する“俺”。

オレもかつては「センスだけは誰にも負けない、いつかすげえものを作ってやる!」と息巻いて業界に入ったが、今も昔もAD業務は過酷・苛烈・薄給・人権不在・万年睡眠不足・不健康生活の地獄ループで、根拠なき自信と自意識は半年もすればどこかに消え去る。『夜が明ける』で“俺”が喰らう数々の“AD地獄あるある”は、オレにも身に覚えがあり過ぎて、読んでいる途中で何度も「うっ!」となり、何度も頁を閉じてしまった。特に同期や先輩ADがある日突然失踪してしまう=業界用語で“飛ぶ”エピソードは、オレも何度も経験した。

オレがADだった1990年代前半は、バブル絶頂期で業界人は皆マジで泡まみれだったが、末端ADにその恩恵がこぼれ落ちてくることはなかった。入社したその日から半年間アパートに帰れず、事務所に寝泊りし、しかもその半年間は研修期間ということで無給だった。今となっては信じられない超ブラック職場だが、無給の理由は“いつ飛んでもおかしくないADに金を払う必要はない”という、ブラックどころか完全に法に触れるものだった。最初にオレが付いた先輩AD和田さんは、痩せた体型で銀クレームのメガネをかけていて、見るからに頼りなげだったが、そのルックスとは裏腹、めちゃくちゃタフで面倒見もよく、右も左もわからぬオレにAD業務の基礎を一から教えてくれた。だがいかんせん気が弱く、声も小さいので、体育会系ゴリゴリの先輩ディレクターによく殴られていた。

『夜が明ける』の“俺”の時代になくて、“オレ”の時代のテレビ業界には常識的に蔓延っていたものは“暴力”だ。なにか仕事のミスをすれば殴られる、蹴られるは当たり前。テレビ業界に限ったことではないと思うが、昭和〜平成の端境期は“ハラスメント”という概念が、まったくなかったわけではないが、ものすご〜〜〜く希薄だった。

ある仕事の現場で大きなミスをした和田さんは、その夜ディレクターに鉄拳制裁を受けた。床に落ちたメガネはわかりやすくツルが折れていた。ディレクターが帰ったあと、和田さんはツルをセロテープで貼りながら「大根、なんでこんなことやってるんだろうな……」と小さな声で呟いた。2人とも3日間くらい寝ていなかったのでヘトヘトに疲れていて、オレは答えることもできずに、そのまま自分の寝床であるパイプ椅子を並べて寝てしまった。

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