ミュージカル「おとこたち」はどうやって作られているか【岩井秀人 連載 2月号】
男岩井はPARCO劇場で上演する「おとこたち」の稽古の真っ只中でございます。稽古は全7週間ほどで、現在3週間を過ぎたあたり。「まだあと1ヶ月も残ってるのにこの段階ですよ奥様!」と喜びの叫びをあげたい日々である。
まあ毎日毎日の稽古が充実している。日本ミュージカル界のお宝、吉原光夫さん、橋本さとしさん、大原櫻子さんを始め、デカめの岩井作品では必ず前説をやってもらわなければならないユースケ・サンタマリアさん、そして「いきなり本読み!」でも異常なストイックさとぶっ壊れキャラクターで八面六臂の活躍をしてくれた藤井隆さんを始め、めちゃくちゃ力のある俳優さんたちに出てもらっている。川上友里ちゃんはこれをきっかけにあちこちの大舞台に呼ばれると思う。まあ岩井がそんなこと言わないでも、もう松尾スズキさんの作品でも「叫ぶことを覚えた摩訶不思議な植物」的な存在感を発揮しまくっている。なんだ、俳優に向かって「叫ぶことを覚えた」って。もちろん全面的に褒めさせてもらっている。
「おとこたち」は、2014年に劇団ハイバイで初演を迎えたもので、劇団と岩井の代表作だ。4人の男たちの20代から80代に至るまでの人生を猛スピードで追ったもので、成功したりボケたり死んだり宗教に入ったり不倫して地獄に落ちたりする。それを今回は「ミュージカル」として上演する。過去に男岩井は劇団公演でもミュージカル「もどき」を作ったことはあり、3年ほど前には「世界は一人」で音楽劇を作っている。でもしっかりと「ミュージカル」と銘打っての作品作りは、今回が初めてだ。
去年の曲作り段階では、「どうやってちゃんとしてミュージカルにしよう」などと礼儀正しく思ったりもしていたが、いつしかそんなことは思わなくなった。なんならミュージカルを見慣れた人々に、「ミュージカルでは、なかった」と言われてもいいや、と思っている。自分が面白いものを作る、今回はそこに歌の力もしっかり借りるよ、というくらいの違いだな、という認識に落ち着いた。これも稽古前や稽古が始まってからの俳優たちとのディスカッションを重ねた上で産まれた感覚だ。
時間的には3週間ほどだが、もう3年分くらいの経験を積ませてもらったと感じている。ハイバイで「父親との確執を演劇にする」経験をしたことで、演劇にせずただシンプルに父親と確執し続けていたら得られなかった感覚や視点を手に入れ、岩井の精神の成長は当社比5倍ほどのスピードで進んだと感じている。そこにきて今回の「もう3年くらいの経験」なので、ざっくり計算するに15年くらいの経験を3週間でしたんじゃないかなって思ったりもしている。本番始まる頃には死んでいるかもしれない。それもめでたいとさえ思える今日この頃だ。
稽古場では、主に吉原光夫さんがさまざまな提案をしてくれる。この提案がイチイチ鋭くてありがたすぎる。とてもじゃないけどイチ出演者とは思えないスケールの、要は演出レベルのことまでしっかり見えている発言を連発してくるので、時々ありがたいを通り越してビビったりもしている。「俺、いらなくねえか!?」レベルなのだ。最初のうちはちょっとショゲかけたりしながら聞いていた。「演出家なのに出演者の提案聞いて演出変えてる~」とかって。でも、確実に面白くなるわ深くなるわな提案なのだ。めっちゃミクロなプライドで、作品が面白くなることをみすみす捨てるなんて出来ないし、これをサラサラと「ありがた提案」として採用できるようになったらサイコーじゃねえですか、と途中からさっくりシフトチェンジに成功し、今では稽古場の通常の景色として、吉原さんが演出の提案なんぞをしてくれる流れができた。それに準じてなのか、出演者陣からいろんな提案をしてもらえるようになった。もちろん全て採用しているわけじゃないけど、このカンパニー、「つええ!!」と思っている。スイミー的な集団的ストレングスを持って、本番に向け日々ゲラゲラ笑いながら進んでいる。
今回の作品作りにあたっては、ちょっと特殊な歌の作り方をしている。通常のミュージカルでは、音楽監督や作曲家というものが存在し、稽古前に全ての曲が歌の旋律も含めて作られ、楽譜となり、俳優に渡される。作品全体の稽古前に歌だけの稽古の時間をとり、そこでガッツリ歌のみの練習をして、ようやく稽古に入る。
我々、いや男岩井とミュージシャン前野健太(以降、マエケン)の「世界は一人」からのコンビは、そんなことはせぬ。まず、楽譜が二人して読めぬのだ。従って稽古前に楽譜を渡す、というスタイリッシュなことが出来ない。「世界は一人」でも、マエケンが目の前でお手本を歌うのを聴きながら、出演してくれていた松たか子さんが手書きで譜面にしていた。そして改めてもう一度マエケンが歌った際に、まるで違う旋律を歌い始め、松さんがなんとも言えない笑顔のまま、マエケンを眺めていたのも、良い思い出となっている。ごめんなさい、松さん。ごめんなさいでもあるが同時に、実際そうなんだよね、と思いながら、岩井とマエケンはその方法を今回も採用している。
この「おとこたち」の稽古が始まる1年近く前から曲作りは始まっていて、新宿のスタジオに吉原さんやさとしさんを呼び出し、マエケンが1回か2回歌ったものを聞いてもらって、あとはもういきなり本人に歌ってもらう。つまりお手本を覚えてない部分はなんとかしてその場で歌の旋律を作ってもらわなくてはならない。
「旋律を作ってもらわなくてはならない」と書いたが、そこにこそ、その人が歌う理由が生まれるとも思っている。吉原さん、さとしさん、大原さんらは特に、メチャクチャな数と量の歌を歌ってきた。ということは「旋律の蓄積」を感覚的にまとい続けているのだと、男岩井は解釈している。なので、ある程度聴き馴染みのあるコード進行(歌のベースになる伴奏の組み合わせ)を聴きながら、そこに詞をを載せていくうちに、半自動的に言葉が旋律を持って飛び立ち始める。
僕はそこにミュージカルの本質のようなものがあると思っている。楽曲が始まったから歌うのではなくて、言葉と感情と最小限の楽器で、音楽にしていく、歌にしていく、というのが、舞台芸術の上での歌のあり方だという感覚が、ほぼほぼ確信として、ある。
そして実際、吉原さんさとしさん大原さんとのスタジオでの歌作りは、超常現象の連続のような体験だった。曲のコード進行、歌詞は固定されたもので、その上で各者に好きに歌ってもらうと、「ここで次のサビを明るくしたかったら」などと、サビ前のメロディー終わりのニュアンスを自在に変化させて聞かせてくれたり、ただのセリフのやりとりだったものを、お互いの感情が高まるにつれてセリフがリズムと旋律を持ち始め、やがて歌となってスタジオの上の空に召されていく、みたいなことまでいきなりリアルタイムで見せてもらえる機会も多くあった。なんだこの人たち。
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