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”緊急事態”のなかで、やるようになったこと、やらなくなったこと。 「消えものと身軽に」 岡田育(文筆家) 【6月号特別企画】

企画・構成/おぐらりゅうじ

およそ2ヶ月前の4月7日、政府により緊急事態宣言が発出。これにより、新型コロナウイルス感染拡大を防ぐため、外出の自粛や、いわゆる3密の回避が求められ、人々の生活様式やコミュニケーションのあり方にも大きな変化をもたらしました。

また、切迫した状況下における、政府の指針や関係各所の対応、さらには(SNS上での振る舞いも含めた)人々の言動や態度などを目の当たりにし、根本的な生き方や考え方を見直した方もいるでしょう。

そこで、今回のコラム企画では『“緊急事態”のなかで、やるようになったこと、やらなくなったこと。』と題して、多方面の方々から「やるようになったこと」と「やらなくなったこと」をテーマにご執筆いただきました。

第6回は、文筆家の岡田育さん。2015年からニューヨークに生活の拠点を移していましたが、新型コロナウイルスの影響で、現在は日本へ一時帰国中です。

おかだ・いく ● 文筆家。東京出身、NY在住。出版社勤務を経て2012年よりエッセイの執筆を始める。著書に『ハジの多い人生』(文春文庫)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房)、『天国飯と地獄耳』(キノブックス)、『40歳までにコレをやめる』(サンマーク出版)。二村ヒトシ・金田淳子との共著に『オトコのカラダはキモチいい』(角川文庫)。

消えものと身軽に

 右腕にタトゥーを入れた。初めてなので面積の小さいものから試そうと、お相撲さんのワンポイントにした。セルフで処置して2週間ほどで消える、テンポラリータトゥーという商品である。思った以上にくっきり墨色が出て肌にも馴染んだ。もう少し大きな図柄もいくつか買ってあるので、夏の間にまた入れるつもりだ。

 「彫らない刺青」には以前から関心があったものの、我が人生において「広い風呂」ほど優先順位が高くはなかった。私は温泉や銭湯やサウナが好きだ。日本の公衆浴場に入れなくなるくらいなら刺青なんかしないぜ、と思って生きてきた。だが新型コロナウィルス流行拡大中の今春、生活拠点である米国から日本へ一時帰国してずいぶん経つのに、まだ銭湯へ行っていない。

 いわゆる緊急事態の最中でも、銭湯は「保健衛生上必要な施設」として営業を続けていたそうだ。それはつまり、趣味で通う私と違い、外風呂が生活に欠かせない人たちがいるということ。公共交通機関と同様、ここはエッセンシャルな利用客に譲るのがよかろう、と考えているうちに3ヶ月が過ぎた。

 これも今だけの辛抱、との気持ちが転じて、ならば今しかできない遊びを解禁しようと、タトゥーを入れた。やることとやらないこと、できないこととできること、いつもと違う選択肢を採っては、なんとか退屈しないよう過ごしている。世界中誰だって、望んでこの状況に身を置いているわけではない。たとえ感染症に罹らずとも、好奇心が死んだら命取りだ。

画像1イラストレーターmajoccoによるINKBOXのタトゥー

 昨年『40歳までにコレをやめる』という本を出した。タイトル通り、生まれてから39年間でやめたことを列挙してある。お酌をやめた、年賀状をやめた、ポイントカードをやめた。毎日ハイヒールを履くのもやめたし、度が過ぎた節約やダイエットで無駄な我慢を己に課すのもやめた。好きでもないのに無理して手料理に凝るのもやめた、誰かのために化粧するのもやめた、仕事も生活様式もコロコロ変えたし、とうとう日本に住むのさえやめてしまった。

 現代社会を生きる我々、困りごとの大半はカネで解決できてしまう。何でも自分で背負い込まず、難しいことは賢くプロにアウトソーシングしよう、という発想で書いた本だった。俗に言う「ていねいな暮らし」と真逆の都市型生活である。ところが未曾有の疫病禍ともなれば、絶対変えないぞと決めていたはずの個人の信条など、簡単に吹き飛んでしまうのだった。

 今現在の生活は「やめたはずが、またやらざるを得ない」ことにあふれている。当面は日本に住み続けねばならないし、外食ができないから毎日自炊するしかない。いまだかつてないほど目玉焼きと回鍋肉の腕前を上げて、自分でも驚いた。窓辺で豆苗やネギに水をやり、成長を見守る。大好きな和菓子のレシピを調べて手作りする。ニュースを観ながら繕い物をしたり、収納用品を自作したり。老舗の蔵元や高級レストランを救済するという名目で、銘酒や山海の珍味のお取り寄せもしてみた。

 待てよこの暮らし、相当ていねいじゃないか。しかも、実家を出てすぐの若い頃に一通りやった「できる」ことの繰り返しだ。偉そうに「やめる」などと豪語していたが、ひょっとして「すぐ飽きて長続きしない」だけだったのではないか?

画像1山形県から山菜料理のお重をお取り寄せ

 いつまでも入荷しないマスクの在庫を調べに行ったドラッグストアでは、代わりにネイルケアキットを買った。リンゴ飴みたいに鮮やかな真紅のマニキュア。しばらく見ないうちに速乾コートの性能が進化して、昔よりずっと簡単に塗れる。でも在宅では夫以外に見せびらかせないし、食器を洗って洗濯物を干して使い回しのマスクを煮沸消毒なんかしているうち、1週間で剥がれてしまう。

 街が復活したら私はきっとまた、割引クーポンを駆使してネイルサロンに足を運ぶだろう。やっぱりプロの施術がコスパ最強、なんつって、優先順位があっさり切り替わる。銭湯と同じだ。そのうち窓辺で豆苗の水耕栽培なんかしなくなる。お菓子作りに使った白玉粉だって袋全部は使いきらないかもしれない。

 お取り寄せした酒肴の数々を、部屋着姿でガツガツ食らう。こんな日々の反復をプチ贅沢と呼ぶのなら、私はやっぱり、温泉旅館でも行ってパーッと一度のガチ贅沢したいな。でも、次にそんなことできるのがいつになるか見当もつかない。人と会う用事が減った分、家であれこれ自分をあやしながら、ラッキョウの皮をめくるように「やりたいこと」を探していく。どうか、芯が空っぽではありませんように。

画像1VHSテープのデジタル化作業、ごく一部

 そんななか、真に習慣化したことといえば、せいぜい二つ三つしか思い浮かばない。一つはパジャマ。東京に緊急事態宣言が発令される前日、無印良品でパジャマを買った。先の見えない生活では安眠も損なわれるだろうと考えてのことだ。ニューヨークでも長らく在宅勤務だった私、一日中ずっと同じ部屋着のまま、寝て起きて仕事机に向かうのが当たり前だったが、毎朝毎晩きちんと着替えるだけでもメリハリが違う。計測アプリによれば睡眠の質も向上している。今後とも積極的に続けていきたい。

 もう一つは断捨離。海外引越するとき、溜めに溜め込んでいた蔵書やCD、スクラップなどをすべて倉庫に預けていた。その数、60箱超。外出自粛期間中からすべて開封して整理整頓し、VHSテープやカセットテープはデジタルデータ化作業に着手した。電子書籍で買い直した紙の本や漫画のうち、読みやすいものは小学生の甥姪のところへ送っている。

 来年、再来年、次の5年10年、世界全体で著しく移動の自由が制限される、そんな時代が当面続く。これを機にせっせと巣作りや築城に励む人もいれば、何が起きても小回りがきくよう、身軽な状態を保ちたいと願う人もいるだろう。ついついモノを増やしがちだから前者だと自認していたが、じつは後者だった、と気づかされる3ヶ月であった。新しくお金を遣ってみた対象、ほとんどが「消えもの」なのだ。

 やることとやらないこと、できないこととできること、どちらかが正解という話ではない。銭湯をとるか、タトゥーをとるか、選択はそれぞれである。もちろん、日本の公衆浴場で刺青の利用者も入場可能となれば、欲張りな私には一番いいんですけどね。

画像1外食再開。ごっつぁんです

(了)

<書籍情報>
岡田育さんの最新刊『ハジの多い人生』が文春文庫より発売中。巻末には宇垣美里さんによる解説付きです。

『ハジの多い人生』というタイトルは「恥」ではなく「端」、中心に対する周縁を指している。私はいつも世界の隅、真ん中じゃなくハジッコ部分を生きており、無駄を嫌う人が削ぎ落としてしまうような、雑多な余白にこそアイデンティティを置いている。 「文庫版のためのまえがき」より


「”緊急事態”のなかで、やるようになったこと、やらなくなったこと。」
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