女の変化について 2
ずっと待ち望んでいた妊娠。私は安堵と共に反省をしていた。1人目を産んだ後、自分の設定を「田舎街のお母さん」にしてしまったことを。自分の女自認が薄まるとき、パートナーへの性別自認も薄まるということが想定外だった。私自身もバランスを崩し、そのバランスのまま相手を見ることでまた崩す、足場のもろい場所ではすべてが簡単に崩れ去り、構築するのが難しかった。家族という一つに混ざりあうものだと思っていたこともあった。しかし、家族は一つになるものではない。元々他人だった個人同士がやはり個々に存在し、枠で支えているものだった。二度と同じような状態に戻りたくなかったので、明らかに女の設定を変化させようと思った。
おなかの中の子が「女」であると告げられてから、彼女が産まれてきた後に着るもの、過ごす場所、それらの準備が始まった。一人目は男の子だったので、そのまま使うには肌着も違うようで買い直す必要があった。目につくものが女性的なものになっていった。私が許せたキャラクターはまだアンパンマン程度だったのに、サンリオが目に入るようになった。ごく自然にキティちゃんをかわいいと思ったときは本当に吃驚し、少し笑った。
「お母さん」をコスプレしていたつもりだが、髪の毛を剃り上げたあたりから、服も以前のテイストに少し戻し、黒いものばかりを着ていた。感情と外観にずれが生まれてきた。また今と同じように「お母さん」になりきる道を進むのか?
私は寝床に共についた夫に告げた。
「私は今回、妊娠しながら、女になろうと思う。しかも、今度はそのあたりにいるたくさんの量産系女子になろうと思う。」
大学を卒業して12年はたっていた。30才の自分が量産系女子に目がいったのは、インスタでヘアスタイルを検索していたときだった。前回で話したとおり、「男に気に入られようとして、わざとあんな服にしている」女は嫌悪の対象であった。なぜこんな服を着るのか?なぜそんなヘアスタイルなのか?そう思っていたのに、女の子を宿した私はなぜかそのような女の子たちをずっとスクロールして見ていた。嫌悪というのは関心があるということだ。関心が興味に移動していった。すべての画面が量産系女子で埋まったときふと気がついた。「この人たちはみんな、口を半開きにしている。」
よく見るとどの女も口がちょっと開いていた。私は猛烈に感動した。みんながみんなだったからだ。そして「この子もだ、この子もだ、この子もだー!」と大発見をした子供のように一人で騒いでいた。そして急激にその子たちが愛らしくなった。こんな面白い種類はいない。何もこの人たちは隠していない、きちんと男を欲し、全面に女を出している!中途半端さが彼女たちから消えた。私はこれになりきるんだ!と心に決めたのである。
そのような私の意思表明を聞いた夫は大変に驚いていた。いつも変なもの、過剰なもの、が好きな私にはこれを目指すのは厳しいのではないか?と言った。そして彼も量産系女子に魅力を感じないタイプだったので、全く賛同は得られなかった。けれども、私はこの新しい発見に興奮していたので続けて彼に言った。
「この手の女をするには、年齢という壁がある。すでに30才になり、かなりきつい。35才までこの女をやってみたらきっぱり終わろうと思う。だから、思いっきり、これをする。君が好きな形ではないだろうけど、実験だと思って付き合ってほしい。そしてきっとこれが、パートナーへの性別自認を持ち続けることになるような気がする。」
そして私は新しい美容室にいった。女を変化させるには、まずは美容室を変えないといけない。美容室にも種類があるのだ。特に私は奇抜なデザインが得意な美容室にいっていたのでそこで量産系女子を作り上げるには難しい。普段なら絶対に選ばない美容室にいった。
1回目は女性の金髪の美容師さんで、私の「量産系女子を作ってほしい」といったオーダーに笑っていた。私は一度もしたことのない、ブラウンのストレートミディアムの女になった。まだ、その中はこないだ剃った髪が2センチほど伸びているだけだった。それでも外観が見たことの無い自分になった。そこから服装もかえていった。普段なら絶対買わない洋服屋さんに入った。白いリブのカットソーや身体に吸い付くような紺のニット、花柄のフレアスカートを買った。夫と試着室の前でたくさん笑った。お互いに作品を作り上げていくようで面白い。まるで私では無い。なのに、髪型や化粧のおかげですべてがきれいにかみ合っていく。
2回目の美容室、担当を変え男性の美容師になった。「量産系女子を作ってほしい」というオーダーに乗り気になる人だった。私の意図をすぐに理解してくれた。「そして今の時代ではやりすぎなぐらいの女の人を作ればいいんですね。これはそういう女の人のコスプレなんですね。」と言った。その頃の若い女の子の中では、nikoandなどのボーイッシュカジュアルが流行っていたようだった。太めのズボンでゆったりとしたトップスが洋服屋に並んだ。私は時代と逆行し、より量産系女子らしいものを求めていたので、服屋探しもなかなか難しかった。女性の洋服ブランドは違うように見せかけて同じものに集約していた。ちょっと前までなら、フェミニンが強いブランドもカジュアルによっていた。わずかにフェミニンが残る服を宝探しのように見つけては購入した。普段はLサイズを着ていた私だが、あまりにも身体に密着するような服が見つからないのでSサイズを買うことすらあった。美容師はレイヤーをしっかり入れて、毛先を外ハネさせて髪を巻いてくれた。前髪を流すように巻いた。できあがった私を見て美容師と一緒に笑った。「めちゃくちゃあざといじゃん!これこれ!」私は口を半開きにして鏡を見つめた。
髪も服も化粧も変わった私に、世間はしっかりと変わった。とにかく周りが優しく、順番は必ず譲られた。ナンパもされるようになった。年配の方にも声をかけられるようになった。義母の周りからの評判も上がった。「分かりやすさ」というのは大事なのだな、と思った。久々にあった知人には「誰か分からなかった。」と言われ、その笑顔はいつもより柔らかかった。若い頃からの友人は私の実験がうまくいっていることに驚いていた。写真をたくさん撮ってくれた。この手の女は生きやすい。つまり賢かったんだな、と思った。若いときに私は、量産系女子は何も考えていない主軸の無い人間であろうと思っていたが、違うのである。やはり、一番賢いのである。むしろ、何にも気づかずこちらの種類の女の方が物事を考えていて賢いと思っている私は大馬鹿者であったのだ。私はこの変化により、さらに許容の範囲を広げることとなった。
常に女というものを意識しだして、インスタを見る時間が増えた。「美人百花」という雑誌を臆すること無く買うようになった。服はピンクや紫色に囲まれた。髪の毛や化粧を毎日手入れした。その心の余裕のおかげなのか、2人目の子はよく寝て癇癪もなく、ご飯もしっかり食べる子に成長していた。まさか自分が量産系女子になることで、育て方にまで影響が出てくるとは思わなかった。3回目の美容室では、まだ中の髪の毛が伸びきっていないのでアシスタントの子がぎょっとしていた。
量産系女子になるためには、似合う服を着なければならない。より、コスプレを追求するために次は装備では無く、中身を変えることに興味が出だした。インスタもそうだが、見るYoutubeも変わっていた私はモデルやダイエッターの動画を見ていた。情報が日頃の生活に浸食し、少しずつ習慣が変化していった。37才の1月、私は本格的にダイエットを始めることとなった。
そう、35才の期限はとっくに過ぎていた。それぐらい、量産系女子の生活は、とても生きやすい。到底やめられそうには無かった。
このダイエットがさらに人生を変化させることとなる。それはまた次回とする。
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